神職養成課程の頃の教科書『神社有職故実』(八束清貫・神社本庁)で、御幣について調べてみました。


すると、「御幣」の項はなくて「紙垂」のところに以下のような図がのっていました(「紙垂」をふたつ使って作るようなものですから、当然といえば当然です)。


~新川の社務所から~-201008041311000.jpg


書き込みは学生の頃のもの。この図を見ると、先日ご紹介した御幣の作り方は、吉田家タイプといえます。


さて同85頁に、幣串のはさみ方は、「奉書紙(二枚)を縦三つ折(内方に)にして鏡(頭紙・かしらかみともいふ)とする 四垂の紙垂(二枚又は四枚重ね)を左折り、右折りの左右に相対にして鏡の前で交叉して鏡と共に幣串に挟む」とあります。


下線部のところ(図の左の方もご参照ください)、ご紹介した当社での作り方と、ちょっと異なっています。当社では「鏡で」はさみますけれど、ここではクロスさせて鏡を後の方に入れています。


それから、図を見て気づくことは、左右の紙垂の部分が細長いことです。最初に切れ目を入れるとき、恐らく縦長にしているんだろうと思います。


また「鏡の上、幣串の挟み目を紙縒(こより)で諸鉤(もろかぎ)に結ぶ(之を烏帽子紙といふ)。此の左右の紙垂の垂れ方により白川流、吉田流の二様ある。白川流は三垂目から裏返しにする」とあります。


やっぱり下線部のところが異なっています。当社では紙縒ではなく麻を、諸鉤(蝶結びです)ではなく、写真でご紹介したような形で結び切りにしています。


このように見てきますと、吉田家タイプであっても吉田家そのものの御幣ではありません。


どういうルーツで当社の今の形になったのかは、非常に興味深いのですが、調べるのもホネですので、今日はもうひとつの白川家タイプを作ってみます。


鏡の部分は当社での方式を使うとして、特徴的なのは左右の紙垂の部分です。


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↑【左】切れ目を入れたところ。切れ目を入れる前に、紙を縦にしてこのように切れば、上にあげた図のような形そっくりにできると思いますが、ここでは横で作ってみます。なお、当然ですが同じものを二つ用意します。念のため。【右】吉田家タイプと全く同じ。左の方から、手前(下に)折り、


~新川の社務所から~-201008041319000.jpg ~新川の社務所から~-201008041320000.jpg

↑【左】二回目は向こうの方に折り返します。ここが吉田家と違うところ。【右】三回目(右端)は一回目と同様、手前に折り返します。これで左側の紙垂が完成しました。


~新川の社務所から~-201008041320001.jpg ~新川の社務所から~-201008041321000.jpg


↑【左】今度は右側から順に、まず手前に折り返します。【右】左側の紙垂を作ったときと同様、二回目は向うの方に折り返します。


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↑右側の紙垂が完成しました。


~新川の社務所から~-201008041322000.jpg ~新川の社務所から~-201008041322001.jpg


↑今回は横に切っていますので、『神社有職故実』そのままに作ると、かなりヘンになりますので、ここも当社の方法で。【左】上の方を重ねて、【右】折ります。


~新川の社務所から~-201008041328000.jpg


↑写真を撮ったとき曲がってしまいました……。でも、鏡ではさんで、さらに幣串にセットすると、それらしい形になってきました。あとは真ん中と上の方を麻で結んで、完成です。


なぜ白川家の御幣を作ってみたかというと、単に作ったことがなかったからです。特に白川流と関りがあるわけでも、白川家伝の神道説に深く共鳴しているわけでもないので、今後こうした形の御幣をお祭りすることはまずないと思います。


それでも、他にも実に様々な御幣が存在していますし(神様のヨリシロと考えられるようになって以降は特に、その神様固有のカタチが生まれてくるのは必然ですよね)、そうしたものを見ていると非常に面白いです。


今度は、この記事の一番上にあげた図にもう少し近づけて、作ってみたいと思います。