~新川の社務所から~-201003201342000.jpg


まず忙しい方のための、今日の記事のまとめ


「『延喜式』にある他の『天津祝詞の太祝詞事』というフレーズを調べてみました。でも、秘密のことばが唱えられていた形跡はないようです」


では、ここから本題です。


現行の「大祓詞」には、参列者に向かって述べ聞かせるタイプ(宣命体)と神前で奏上するタイプ(奏上体)のふたつがあり、前者の方が古いという話でした。そしてこのタイプの祝詞は『延喜式』の中に収められていますので、今日は『延喜式』の中にある「天津祝詞の太祝詞事」を見てみたいと思います。


そうなんです。「天津祝詞の太祝詞事」は何も「六月晦大祓」(≒大祓詞)の専売特許ではないのです。そこで、とあるサイト様からコピー&ペースト、ワードで開いて該当部分を検索、書き下して、『延喜式祝詞教本(附宣命)』(写真の本です)を参考に訳をつけてみました。


①皇御孫命(すめみまのみこと)は豊葦原の水穂国を安国と平らけく知(しろ)しめせと天下寄さし奉りしときに事寄さし奉りし天都詞太詞事を以ちて申さく・・・・・・「鎮火祭」


「皇御孫命は豊葦原の水穂国を安泰な国として平穏にお治めなさい」と、天の下をお委ねなさいました時に、仰せ授けなさいました天都詞太詞事によって申し上げますことは・・・・・・


「天都詞太詞事」は「天津祝詞の太祝詞事」ではない、といわれるかもしれません。しかし「都」も「津」も現在カナで「つ」と書くところで当時、よく使われていました。「詞」と「祝詞」の違いについても同様に、現在ノリトというと「祝詞」と書くのが一般的ですが、昔は統一していませんでした(単純に誤字である可能性もあるかもしれません)。いずれにせよ、ほとんど一致していますから同内容と考えて差し支えないと考えます。内容は、高天原の神々から委ねられた「天津祝詞の太祝詞事」をもって申し上げます、ということです。「高天原の神々から委ねられた」という部分だけ見ると、いかにも秘詞の類のように見えます。でも「天津祝詞の太祝詞事」をもって(使って)申し上げるわけですから、この「鎮火祭」全体が「天津祝詞の太祝詞事」と考える方が自然です。


②横山のごとく置き高成して天津祝詞の太祝詞事以ちて、称辞(たたへごと)竟(を)へ奉らくと申す。・・・・・・「鎮火祭」


(お供えを)横山のようにおいて高く積みあげまして、天津祝詞の太祝詞事を奏上して、お祭り申し上げます次第でございます」と申します。


「鎮火祭」の最後はこのように結ばれています。①のあとより「称辞竟へ奉らく」の前までが「天津祝詞の太祝詞事」の内容です。もちろん秘密なことばではありませんけれど、なかなか面白い内容ですので、一度ご覧ください。私には、「天津祝詞の太祝詞事」だ! 最強のことばだ! というよりも、ここにある火の神様を鎮める呪術の方がよっぽど興味深いと思えます。


③平らけく斎(いは)ひ給へと、神官(かむづかさ)天津祝詞の太祝詞事を以ちて称辞竟へ奉らくと申す。・・・・・・「道餐祭」


平安にお護り下さいますようにというので、神官が天つ祝詞の太祝詞事によって、お祭り申し上げます次第でございます」と申します。


また「以ちて」です。核心部分は②と同内容ですね。


④天照坐皇大神の大前に申し進(たてまつ)る天津祝詞の太祝詞を、神主部(かむぬしべ)物忌(ものいみ)ども諸(もろもろ)聞こしめせと宣る。・・・・・・「伊勢大神宮 六月月次祭・同神嘗祭」


天照坐皇大神の大前に申しあげます天津祝詞の太祝詞を、神主部、物忌ども一同、聞かせていただけと申し聞かせます。


伊勢の神宮で、六月(と十二月の)月次祭、神嘗祭という重儀で使用されていた祝詞の冒頭部分です(共通している)。これらのお祭りは「三節祭」と総称され、今でも重要なお祭りとされております。ここでは神主部や物忌が「天津祝詞の太祝詞事」を聞くことができるんですね。


⑤大中臣、太玉串に隠り侍りて、今年九月十七日の朝日の豊栄登りに、天つ祝詞の太祝詞辞を称へ申す事を、神主部物忌ども、諸聞しめせと宣る。・・・・・・「伊勢大神宮 同神嘗祭」


大中臣が立派な玉串に隠れまして、今年九月十七日の朝、天つ祝詞の太祝詞辞を(もって)称え申し上げることを、神主部、物忌ども一同、聞かせていただけと申し聞かせます。


こうして見てきますと、まず「天津祝詞の太祝詞事」とあっても何らかの秘詞秘言のようなものが唱えられていた形跡はありません。また、これらの祭儀すべてに共通する点も、見当たりません。宮廷祭祀であって『延喜式』に収められているというごく当然のことくらいです。