~新川の社務所から~-201001110935000.jpg


今日はしめ縄についてのお話を、ひとつ。市内N神社の宮司さんに調べろとご下問ありまして、菲才ながら調べたわけでございます。写真はじゅうたんの上に空箱を置き、さらにいわゆる大根じめをその上に乗せたものです。じゅうたんの柄のヒエログリフらしきものや空箱は気にしないでください。左の方、根本には紙垂の入った小さなビニール袋が取り付けられています。しめ縄をつけるときは、まずこのビニールをとって紙垂をつけるわけです。


さて、しめ縄の定義というか、どんなものかは誰でもお分りかと思いますので置いておくとして、ここでは特に、横にしてつけたとき、片方が太くもう片方が細くなるタイプの(いわゆる大根じめ)しめ縄について考えたいと思います。というのは、このタイプには神棚に取りつけるとき、どちらが太くてどっちが細いなんだ、という疑問が絶えずつきまとうからです。


一般には、神棚に向かって右が太く、左が細くなるようにと言いまして、私も誰かに尋ねられたときにはそうお答えします。ところが、地方によって、職業によって、まるきり逆にしていることもあるのです。


ここで基本的なことをまとめます。まず大根じめでは、ない始め(つくり始め)の方が太く、ない終わりの方が細い、ということ。それから、しめ縄の多くは左ないにないまして、ある方が調べたところによると、8割が左、2割が右だということです。また、右を太く左を細くするつけ方を「入船」、右を細く左を細くするつけ方を「出船」と呼ぶことがあります。


「左ないになう」のは日本書紀にすでに記述があります。天の石屋戸の伝承の中です。お隠れになっていた天照大御神が出ていらっしゃるときに、再び入れないようしめ縄をはりました。これが左ないだった、と書かれています。また、古神道では「天道の左旋」を模すので左ないにするといいます。


それから「入船」「出船」は職業によります。客がたくさんきてほしい商売の方なら「入船」がよく、たくさん外に出て稼ぐサラリーマンでしたら「出船」がよいといいます。また、「玄関の方を規準にこの『入船』『出船』を見る」という見方を聞いたこともあります。玄関の方角に細い方が向いていれば「出船」、向いていなければ「入船」というわけです。


神棚から少し離れ、神社について見てみますと、日本全国各神社のしめ縄は、実にさまざまです。大根じめのところもありますが、そうでないところも多数です(下の写真は当社のしめ縄ですが、やはり大根じめではありません)。そして大根じめでも、左が太いところもあり、右が太いところもありと、ばらばらです。


~新川の社務所から~-201001101407001.jpg


向かって右が太い神社は、笠間稲荷神社、箱根神社、大国霊神社、真清田神社、椿大神社、吉田神社、香椎宮(神門)などなど。左が太い神社は、出雲大社、熊野大社、大神神社、大山祇神社など。もちろんその他にもたくさんあります。


こうしてみると、どっちが正しいということは言えないようです。あえていうなら、どっちも正しいのかもしれません。


ただ、一般に神道では左右について、神様から見て左(向かって右)を上位とし、右(向かって左)を下位としますから、向かって右を太くするのはその意味では理にかなっているといえます(太い方が「ない始め」でモトなので)。したがって、参拝者にご説明するときなどは、やはりこう申し上げる方が自然かもしれません。前述の「入船」「出船」の考え方にしろ、上位である左側から船が入って来ているのが「入船」で、左側へと出て行くのが「出船」ですよね。これも上位・下位を規準にした見方なのでしょう。


しかし、前述のように逆だからといってまちがいだとはいえません。とすれば、理由が必要ですよね。なぜ右を、あるいは左を太い方にするのか意識してつけるべきで、そうでないなら単に物を知らないでまちがっているだけの話になりかねません。向かって右に太い方を持ってくる理由としては、「ない始め(太い方)」を上位に、とすでに述べましたが、では全く逆、向かって左に「ない始め」を持ってくる理由はどうなんでしょうか。


これも前述のように「うちは出船にする」とはっきり意識されているなら、それもよいでしょう。近くの神社で、また、この地方ではそうしているから、という理由ももっともです。こうした理由は、決して否定されるべきではないでしょう。


神社におけるしめ縄の向きについての理由は、その向きと御祭神に何らかの関係がある、というのがヒントになりそうです。全国の神社のしめ縄を調べたわけではないので類推に過ぎませんが、向かって左が太い神社は、御祭神が国津神系ではないかと思われます。国津神に対して天津神という言い方もありまして、どの神が国津神でどの神が天津神かという問題は非常に難しいのですが、大まかにいって、もともとその土地にいらっしゃった神様が国津神、それに対し(基本的に)高天原にいらっしゃるのが天津神です。


上位を天、下位を地に対応させたとき、その土地の神である国津神が下位である地をモトにする(ので、大根じめのない始めを向かって左にする)とすれば、理にかなっているのではないでしょうか。神棚のしめ縄について、そうした神社にならったといわれれば、あながちに否定することはできません。


ただ、神社と家庭の神棚はやはり違う、ということもあります。神棚では基本的に伊勢の神宮のおふだを正面におまつりします。天照大神は天津神であります。したがって、結局元に戻りますが神棚の場合は向かって右に太い方を持ってくる方がよいのではと考えます。


同様に、玄関にもしめ縄類をつけることがありますが、やはり神社や神棚とは違うと考えるべきではないでしょうか。神棚にも神社にも奥には神様が鎮まっていらっしゃいますけれど、一般家庭を神棚や神社と同じと考えるのは無理があるのではと思います。大根じめの中央に幾束かの藁を垂らし、「笑門」と書かれた木札や紙垂、橙(だいだい)をつけた玄関飾りがありますが、これは向かって左が太くなっています。

そしてこれは、他ならぬ伊勢地方でよく見られます。


これも、人が住む家につけるもので神様とは違うから、逆になっているのだと思います。単に、この地方では向かって左に太い方を持ってくる習慣があるから、というだけではないのではと。つまり上位を神・天、下位を人・地とするなら、ない始めの太い方は向かって左にあるべきだ、という考えにのっとっているのではないでしょうか。


以下、長い蛇足です。


大国主命は怨霊で、出雲大社は大国主命を鎮めるために造られたという説を唱える方がいまして、けっこう人気があるようです(かりにIさんとしましょう)。


でも、これって「法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために造られた」という説を唱える方(もちろん別な人、かりにUさんとしましょう)の二番煎じだと感じます。それに、Uさんの文章はすごく説得力があって、なかなか反論を考えだせないんですけれど、Iさんはどちらかというと一般向け、エンターテイメント風に書かれていまして、私には納得がいきませんでした。


危惧しますのは、このIさんのいうことを、特に若い人が真に受け、それが宗教的真実だと思われてしまい、既成事実になってしまわないか、ということです。先日もテレビでこの説が取り上げられていたのを、私は口をあんぐり開けて見ました。広くこの方の本が読まれている証拠でしょう。今、宗教的真実といいましたが、大国主命が怨霊として信仰されて来たことはなく、単にIさんの「解釈」に過ぎないわけです。その「解釈」のひとつを無批判に宗教的真実なのだと受け入れる人もいることでしょう。


怨霊説の例証のひとつとしてあげられるのは、出雲大社のしめ縄です。いわゆる大根じめとは異なりますが、ない始めが向かって左、ない終わりが向かって右になっています。ここで述べました一般の向きとは逆で、左が太く右が太いのです。そして、要するに「逆にするのは死に関すること」で「一般とは逆だから怨霊なのだ」と要約できるでしょうか。


ところが、まず、上にあげたように出雲大社タイプの神社がたくさんあります。では、そこに鎮まる神様がみな怨霊なのでしょうか。


逆だから死に関すること、というのは分ります。確かにそういう習俗があります。しかし、それならなぜ「ない方」も逆にしないのでしょうか。


さらに、「ない始め」「ない終わり」の向きに左右されるのでしたら、当社のように向きがないしめ縄をつけているところは、どうなるのでしょうか。つの字型にしていて本も末も同じ方向にある神社は? 真ん中が俵のように太い神社はこの世とあの世のあわいにあるのでしょうか?


こうして考えてみると、恐らく、しめ縄についてきちんと調べてらっしゃらないのではないかと思います。


また、出雲では通常二拍手のところ四拍手します。この四はシ=死に通じるともこの方がおっしゃています。しかし、みなさんご承知の通り、シは四の音読みで、中国音に由来するものです。古来の日本語の読みではヨですよね。このあたり、全然論証がなっていないと思います。


出雲大社が創建された頃にはすでに、四の音読みシ(九の音読み、クにしても)が死(や苦)につながるとされる(縁起を気にする)習慣があったのか。地理上は中国大陸に近いともいえますが、当時の出雲地方に中国語がどの程度入り込んで、どの程度影響があったのか。拍手という作法の歴史から見て、四拍手はどう位置づけられているのか。などなど数々の疑問が浮びます。