上田秋成と言えば江戸時代の人、『雨月物語』『春雨物語』で有名な読本作者ですが、国学者として本居宣長と激しく論争するなど、けっこう論が立つ人でもありました。


ただし、物語を作るのにたけている分、宣長ほどの分析力も論証力もなく、後世の評価は宣長の方が圧倒的に上です。その代わりと言ってはなんですが、和歌を作らせると圧倒的に秋成の方が上だと思います。宣長が「道歌」、つまり信仰を率直に歌うのに終始したからであって、文学的な技巧を凝らそうとする秋成と比べるのは酷かもしれませんけれど。


さて、秋成には『文反古(ふみほうぐ)』という作品があります。書き損じ、ということで、失敗した手紙の文なんですが、もちろん本当に失敗作を載せているわけではなく、現代語にしたら今でも文例として使えるんじゃないかと思われるものも数多いです。


今日はその中からひとつ、例によって大体のところの訳をつけて、ご紹介します。


秋もやや更けゆくものから、なほ土さへさけぬべき暑さを、いかにものし給ふらむと、うしろめたかりつるに、御せうそこを得て落ちゐ侍りぬ。


秋も少しずつ更けて行くものの、やはり土まで避けてしまいそうな暑さですね。どうなさっているだろうかと気にかかっていましたが、お手紙をいただいてほっとしました。


一日まうのぼりしふしは、何くれとあるじしたまひしぞかたじけなき。


先だって伺いましたときは、何かとおもてなし下さいまして、かたじけのうございました。


出立もいとちかづきぬ。今更に別れまゐらするかなしさを思へば、何しに世にことにはなれむつれまつりけむと、なかなかになむ。


(さて)出発がすぐに近づきました。今更ですがお別れの悲しさを思うと、どうしてこう親しくおつきあいしていたんだろうと、かえって辛く思います。


なほまうでて御ゐやもきこえ、つきぬ御名残りもと思う給へらるるを、きのふけふ新さき守らここに到りて、問ひかはしごと何くれとことしげければ、またの御まのあたりははかりがたう、いとどつきぬおもひになむ。


やはり参上しまして感謝申し上げ、つきぬ名残を惜しもうとも思われますが、昨日今日新たに赴任して来た役人がここに至り、問いかわすのが何かと忙しく、またお会いする時期ははかりがたく、いっそう尽きぬ思いが積もります。


さて、あと一文が残っているのですが、ここまで読んで来て誰にあてた手紙だと思われるでしょうか? 詳しく交情が書かれていないのでよく分らないのですが、私はてっきり女性にあてたものかと思いました。ところがこの最後の一文、


いもの君へもくれぐれよきにきこえたまひてよ。


奥様にもくれぐれもよろしく申し上げてください。


・・・・・・で、男性の友人に書いたものだと分ります。


つまり、女性あての手紙だというのは憶測に過ぎなかったんですね。実際、そういうものはなかなか出版しないかもしれません。


時代劇では、その家の娘がお茶を持って客の前に現れるなんて場面がありますけれど、そんなことはまずありえない、なんて話を聞いたことがあります。また、侍は「○○でござる」なんてそれらしく喋ってはいますが、もちろん真似に過ぎず、その頃の話し方に忠実にしたら視聴者には全然分らん、とも。


昔のことをあれこれ考えるのは楽しい反面、現代の思考だけで憶断している恐れがある、ということでしょうか。