朗詠は漢詩・漢文の二節一聯のものに、曲節をつけて歌ったものです。単純に朗吟するほかに、儀式や饗宴、雅楽の演奏会でも用いられました。今に残るものとしては藤原公任の『和漢朗詠集』がほとんど唯一無二の文献ですが、調べてみたところCDなども出ているようです。


少し前に催馬楽のお話をしましたが、そのときの「更衣」「伊勢の海」とともに、神社の祭事の最後、直会の際に用いるとよいものとして、以下の二つの朗詠をあげています。


●嘉辰●
嘉辰令月歓無極 万歳千秋楽未央


『和漢朗詠集下』「祝」の部にありまして、もと謝偃の雑言詩にある句を朗詠したものです。「カシンレイ月クワンブ曲万セイセンシウラクビヤウ」とそのまま音読みのように詠じます。意味を取るなら「嘉辰令月 歓極み無し、万歳千秋の楽は未だ央(つ)きず」と訓読して「(この)よい時、よい月に喜びは限りがない。いつまでも続く楽しみはまだ尽きていない」くらいの意味でしょうか。まさに「祝」にふさわしい、おめでたい句です。


これは非常に有名な句で、『大鏡』の八に「小野宮に人々まゐり給ひて、いと臨時客などはなけれど、嘉辰令月などうち誦させ給ふ」とあり、『栄花物語』「初花」に、万歳楽に合わせて「万歳千秋などもろごゑにて誦したまふ」とあり、また『増鏡』の「うちのの雪」に「大夫朗詠、嘉辰令月とのたまへば、ありすけ、こゑ加へらる」などとあり、よく詠じられていたことが分かります。


また、勧学院(藤原氏の学問所)の学生がときの摂政の賀に参列し、この句を朗詠したとの記事が『玉海』の文治2(1186)年6月25日の条にあります。このときは、二度漢字を音読み、三度目は訓で朗詠したそうです。


●納涼●
池冷水無三伏夏 松高風有一声秋


池冷やかにして水に三伏の夏なし。松高うして風に一声の秋あり。


夏の盛り。池のほとりに松が立っております。涼をとろうと池の水をすくってみると冷たく、暑さを忘れます。見上げてみると、松の梢は高く、吹きすぎる風が揺らす葉の音には爽やかな秋の風情があります。


これは『和漢朗詠集上』「夏」の「納涼」にありまして、「夏日閑にして暑を避く」と題して源英明が作ったものと言われています。これが時代を下ると、


池のすずしき水際(みぎは)には、夏のかげこそなかりけれ、木(こ)高き松を吹く風の、声も秋とぞ聞こえぬる


と歌われるようになります(『梁塵秘抄二』「雑」)。また『唯心房集』所載のものにも「声も秋とぞ聞こゆなる」とあります。このように、朗詠だったものが今様に取り入れられております。


ちょっと時代がさかのぼりますが、『枕草子』七十八段に、こんな一節があります。


殿上人あまた声して、なにがしの「ひとこゑの秋」と誦んじて参る音すれば、逃げ入り、物などいふ


つまりは、誰かが「納涼」を詠じていたのですね。


その他、謡曲の「天鼓」「東北」「西行桜」にも引用されており、非常に人気があったことが分かります。