朝微睡の中で、すでにエゴの騒音。
エゴの思考体系から、スピリットの思考体系へと願う。
ホーリースピリットに助けを願った朝。
っていうか、ほとんどそう。
「とにかく静かにしてほしい」と、
受け取っていたギフトは、私の声だと気づいた。
そして、
半年前くらいに、私の願いをノートに書き出してみた時、
内側から声がした。
「わたしのことを ゆるしてくれないだろうか?」
書き綴った、薄っぺらな沢山の願いではなく、
それが本当の願いなのだと感じた。
それと同じ声かもしれない。
「とにかく静かにしてほしい」
本当に沈黙をしたい。
うるさいエゴの声よ、どうか鎮まってくれ、
これも、私の心からの叫びで願いだ。
「わたしのことをゆるしてくれないだろうか」
そうだ、これがずっと続いていたのだ。
かき消して、かき消して、
でも、これなのだ。
イエスの声だ。
わたしの声だ。
レッスン305
「キリストがわたしたちに与えてくれる平和があります。」
まだ読んでないけど、
今日のレッスン。実践するレッスン。
私が受け取ったギフトを数日心に置いていて、ざわつく思いがあった。
エゴが狼狽えて悲鳴をあげているのだろう。
「とにかく静かにしてほしい」
本当にうるさい私のエゴの声を黙らせてほしい。
本当に静かにしてほしいと願う、
その言葉にほっとする。
鎮まりたい。
鎮まりなさい、私の思い。
どうやったら鎮められるの?の声の答えは、
ただ握らないこと。
ただ流れて消えていくものだから。
ただ、そのままにしておく。
見守る。
それが『愛のまなざし』なのかもしれない。
一昨日のレッスン303と繋がった。
「聖なるキリストが、今日、私の中に生まれます。」
うるさいわたしが死んだ日、
聖なるキリストが生まれた日、
救いの日、
ヒントになのかな、書いてあった、、、
そういう事なのか! と思った。
このうるさい声が鎮まった日のことなのだな、と。
そうなりたい。
鎮まりたい。
深い深い海の底へ。
私は、まだ頭の理解。
これを実践したい、心から願う。
祈る。
鎮まりたい
鎮まりなさい
聞こえてきたのは、
「カプリチョーザ」。
私の食べたことのない、食べ物の名前らしき言葉。
なんだそれ、またエゴの声か。。。
それでも調べた。
「気まぐれ」って出てきた。
エゴの気まぐれ
エゴの気まぐれな思い
大空の
空に浮かぶ雲
流れていく
消えていく雲
つかまずにいよう
流れるまま、見ていよう
見守っていよう
愛のまなざしで
理解する声さえもうるさいと感じる、、、
私の心よ、鎮まりなさい。
