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【さ】
 佐々木主浩からホームランを最も多く放ったのは、落合博満の4本。次いで、(たしか)池山隆寛と野村謙二郎の3本、、、

 そして、新庄剛志も〝フェンス越え性の打球〟を、3本放っている。そのうち1本は、あの、浜スタで応援旗に包まれてグラウンドへ落下→認定二塁打となったやつ (^^;)

 落合さんの4本のうち、少なくとも1本は佐々木さんが先発時代のものなので、〝大魔神〟から最も多くフェンス越え性打球を放った打者には、新庄さんも含まれる。



【し】
 ジャイアンツ入団会見に同席したバリー・ボンズは新庄剛志へ、「俺はホームランを打つから、守備はおまえに任せるよ」と伝えた。

 その年、主にセンターとして守り、守備に衰えが出始めていたレフト・ボンズをカバーした新庄さんは、RF/9(レンジファクター9、守備範囲の広さを示すとされる公式記録)で、センター及び外野全体としてリーグ1位に輝き、チームのワイルドカード獲得に貢献した。



【す】
 スーパールーキーとして投手四冠に輝いた上原浩治からその年、渾身の低めストレートを叩きにいって すくい上げ、甲子園レフトスタンドまで運んで、スーパールーキーをマウンドへひざまづかせたりするなど(注:上原さんは度々ひざまづいてはいた(^^;))、打率.381(21打数)・3本塁打を記録した。



【せ】
 先制・同点・逆転・勝ち越しとなる場合の〝肩書き付き本塁打〟。2000年は全28本塁打のうち20本がそれであった。

 その阪神所属最終年、2000年の勝利打点は13回であり、最下位チーム所属ながら上位チームの江藤智・鈴木尚典の14回に次ぐリーグ2位となり、最多勝利打点(当時は特別賞)を惜しくも逃した。

 なお、メジャーへ移籍した翌年の勝利打点は11回であり、マイク・ピアッツァと並ぶチーム最多を記録している。 〝クラッチヒッター〟(チャンスに強い打者)とも称された ゆえんである。



【そ】
 〝走者追い越しで サヨナラ・フェンス越え安打〟

 2004年、NPB初となるストライキ明けの初戦であった事、ゴレンジャーの かぶりものノック、印象的なヒロインを含めて伝説となっているが、、、

 あの打球は、札幌ドーム左翼フェンス奥の三角形の空間(翌年よりボール型の広告が設置)へ飛び込んだが、その試合の4回に新垣渚から放ったソロホームランも、その空間へ飛び込んでいる。


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【か】
亀新フィーバーの頃、新庄ギャルが虎風荘に連日わんさか押し寄せて帰寮できなくなり、ホテルに仮住まいしていた。



【き】
清原和博のホームランをワンバウンドとアピールして(誤審で二塁打の判定)、そのあと決勝弾を打ってお立ち台で「明日も勝つ!」って言ったら(2回目)、翌日から12連敗(球団タイ記録)。



【く】
クイズ$ミリオネアに挑戦して、最後の2問は鉛筆を転がして出た選択肢を選んで、全問正解、1000万円獲得。



【け】
敬遠球をサヨナラ安打する数日前から敬遠を打つ練習をしていて、首脳陣と「敬遠を打ってよい」のサインを打ち合わせていた(実際に野村監督から柏原コーチ経由でサインが出ていた)。



【こ】
甲子園のレフトスタンド中段まで放り込んだ(2005年の交流戦でハシケンから)。


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