歴史の中で人間が生み出した憎悪が
現世にまで浸透し、問題を引き起こす無念。
後藤健二さん殺害…
イスラム問題で揺れに揺れた1月。
果たしてこの結末に何を感じよう…
メディアが恰好のネタとして追跡リポートや
緊急特番などと謳い、視聴者の関心を
ひきつけながら、結果は全被害者が死亡。
メディアは報道はできても、
命を救うことはできなかった。
結局のところ、問題解決の
究極は現場であり、
メディアの力は
その"境界線"を超えること
はできない。
後藤さんが伝えようとした
メッセージを、
メディアはどれだけ適切に
伝えることができただろう?
そして政府はメディアの報道に
揺さぶられながらも、
命を救うことはできなかったし、
しなかった。
そんな中、とった対応は
主に卑劣なテロ行為への非難。
さらにはテロに対する有志連合としての
非難声明を上げ、
イスラム国からの敵対心を
煽り、強めてしまった。
逃げ場がない事態とは言え、
先行きの不安材料を増やす火種を
作ってしまったことは否定できない。
だからといってイスラムに対する非難声明を
出さないなどということはできなかったのも
事実と思う。
しかし、問題はそこではない。
問題は、前もって今回のような
事態が発生した場合の準備を
怠っていたこと。
救えなかった失敗策がある一方で、
救えた成功策は必ず存在したはず。
有事があった際の国としての
あり方、後手後手の責任回避の動きが
際立って見えてしまったことは事実。
結局根本的なあり方が変わっていないから
問題が起きてから問題解決をしようとする。
悪いクセ。
これは震災にもあてはまることで
問題が起きてから対策を練ろうとし
今度は予算がどうだのと長々しい論議
を繰り返しては対策が遅れ、
そうこうしている間に次の大問題が
発生する…。
事詰まれば、
「未曾有の事態」だった
と責任逃れの弁論が嵐のように
メディアを通して流される。
平和ボケ。
この言葉以外の何ものでもない。
本当に真剣に問題を考え、とらえているならば
国会議事堂で机に肘を置いて
寝ているなどありえない。
介護報酬を削り、
高齢化の進む世の中を
必死でサポートする人たちの
生活を壊す非道なやり方。
許せますか?
しかし、
地位があるだけで、それが許されてしまう国…
それが今の日本。
みんなもう気づき始めてる。
確実にこれから大きな時代の変革期を
迎える。
気づいているあなたはもう、
どう生きていくべきか
気づいていますよね?
このブログを読んでいるあなたに
一つで多くの笑顔に溢れることを、
願っています。
Shinji.
