7月23日(15日目)午後2時すぎ宣昌長途汽車客運站に着きましたが、重慶の旅行社から聞いていたのは、船が宣昌に着いたら葉石の名前で迎えに来てバスに案内するからとの事で、宣昌の旅行社の名詞をもらっていました。
名詞の旅行社へタクシーで、小道を入ったホテルで ”ここだ”と、さてそんな看板はありません。表通りに出て捜してもありません、お店のおやじに訊くと、おやじさん案内してくれます。おやじの言う所は最初のホテル!ウム・・・?(中に入って訊くか!) ”清問?”なんと聞いてる相手でした。
ホテルのフロントなのか旅行社なのか?ソ!両方ということ!出してきた模造紙に名前があります!お!待ってた?では早速行こうかと、ワゴン車に乗せられ、近くの宣昌港客運站。そこには武漢行きの大型バスが待機していました。
2時55分バスは発車、でも乗客は6,8人?なんとそれから1時間近く市内でお客を拾ったり、待ったり。そんな中に船で同室だったあのアメリカ人二組も乗り込んできました!(三峡ダムの見学コース経由?)向こうも怪訝な顔していました。
それでも途中運転手さん知り合いのお店によって休憩?4時20分になってようやく高速に入りました。4時間ほどかかって8時半ようやく武漢市漢口のホテル前?に到着。やはり観光バス?
鄂鋼大酒店、勝利街275号。時間も時間です、標準間で150元、少し高いのですがそれなりの部屋なので決定(これを狙ってのことなのかと疑いたくなります、でもあの4人組は表で旅行案内のYHの場所を聞いていて、いなくなりました。サスガです)。
7月24日(16日目)一応はビジネスホテルと英語表記していました。すぐ近くには市政府の建物。
写真は戦前の建物?奥に現在の建物があります。三峡下りのあたりから写真の残りがなくてちぐはぐな写真編成になってしまいました。
堤防完成記念碑だったと思います、毛沢東の詩文が刻まれていました。
高水敷に設定されている?
そして公園は長江の水に接して!ここまで来ると長江もゆったりとした大河!
ホテルのチェックアウトと荷物の仮置きがあるので、ひとまず駅の確認もかねてバスで武昌駅に行きます。武漢の街は漢口、漢陽、武昌という3つの街から成り立っています、かっての武漢三鎮の呼称?湖北省省都。揚子江中流域の要です。そして黄鶴楼のある所。
バスは漢口の街中を抜け漢陽を経由して武漢長江大橋(橋の管理は解放軍?)をわたり武昌駅前?に。武昌駅は目下新築の真っ最中、やはり湖北省の面子をかけた建物になるようです。来年にはここも見違えるように・・・、中国ではそれが可能です!

ここでも建物の規模とそこで働いて?いる人のギャップに戸惑いますが・・・、大らかなのだなー。
さてザックを仮駅横の寄存所に預け8元て、夜行の午後10時8分まで武漢探索!駅の近くのラーメン屋の刀削麺8元はとっても食べられませんでした、女の子がみようみまねでやってるようですが、不揃いで・・・、横の中国の人も文句言って食べ残して出て行きました。意気は解かるのですが・・・、でも意気で商売するのが中国かも!
太平天国時期(1850年代 )はまさに川岸!今は長江も遠く、ましてやその先に橋があったのでは何とも・・・。建物も立派すぎて(入場料50元も立派!)・・・。お寺でもないのに鐘楼?
左の宝珠状のものは以前の物だそうです。鐘は有料で衝くことが出来ます。この尾根の先には岳飛の像がありました。岳飛の戦った所では絶大な人気です。ここら一帯は日中戦争では結構な攻防戦が展開され、その時には日本軍が毒ガス弾も使ったそうです。少しは考えなければ・・・。
ここの近くで食事をしましたが、やはりお客のいない所は避けたほうがいいのは何処でも同じです、薦める割にはそれほど、値段だけは一人前?ビールもですが35元。
ここも素晴らしい施設?でも正面は閉鎖中。ここの 展示物では曾侯墓発掘場所からの木製棺とその中にあった沢山の副葬品が印象的でした。
この鐸?も副葬品!
さて閉館(5時?)までいましたがまだ時間があるのですぐ近くの東湖風景区といって杭州の西湖よりずっと大きな湖に隣接した公園に行ってみました。充分整備されている公園ですが、広すぎる?中に遊泳場まであります。湖の中に桟橋状で生簀のように区切って使っています。長江のにごった水と違って充分澄んでいます。海水パンツさえあれば・・・・(淡水は気持ちいいです!)。なにせもうデジカメは満杯、残念ですが紹介できません。
日暮れ前に離れバスで駅方向の街へ。夕食もあるので街で降りて駅のほうへと・・・、適当な食堂がないので、面包(パン)を買って反対のほうから駅に入ろうとしたのですが道が工事で行き止まり? 脇のほうを地元の人が入っていったので私もと、入っていったのが甘い!線路で行き止まり、裏町の中を抜けて(まだまだ豊かさに与っていない人達も沢山います、闖入者に向けられる視線を感じながら)表通りに戻りました。
さて少し早いのですが駅の待合室で時間をつぶすべく改札を受けます。駅は工事中!待合室は出来た?地下を使っていました。臨機応変!
夜行では杭州に新学期前の下見、それとも就職の下見なのか卒業したて?の女の子の集団も一緒。女の子が来て私に場所を替わってくれと言っています。とっさには機転が利かず、”服務員の了解がなければダメだ” と言うと彼女らブーイング! 何回かやり取りしているうちに気付きました。そう服務員が来る前に替わっておけば・・・。すぐに変わってあげました、ハハハ?
発車まもなく就寝、この列車は Zタイプ(中国国鉄は今年から列車のスピードアップを取り入れました)、1,003㌔を8時間で走ります。料金は他と十元チョットしか変わりません。
そして杭州駅には25日早朝6時10分に到着。懐かしい銭塘江と六和塔、そして杭州駅、バス、西湖、大学、留学生会館。16泊17日の卒業旅行は終わりました。留学生会館には25、26日と予約していましたし、顔見知り!チェックインして部屋へ。完了!
武漢の印象: 街は長江を挟んで、長江と共に出来た街。漢口の長江沿いの通りには結構古い建物も見られます。街はまだまだ古さを残している漢口と、どんどん変わる?武昌。懐の深い街?一日の通りすがりではわかりません。でも駅の様子を見た限りでも、ここにも変化が押し寄せてきているようです。
旅への思: 中国は広い!報道されるにはあまりにも多様性があって伝えきれないほうが多い。でも中国の人々も同じ人間、思考回路はどこかで似ているし、同じ。そもそも私たち日本人が生活規範としている思想は中国で纏められた物。ゆっくりとした長い歴史から、現代の近くなった世界の目まぐるしい係わりの中で、それぞれが歩んできた違いが、見た目の違いを生んでいるだけ!!一人で歩いているとそんな中国の人達が見えてくるような気がします(そう、一人ですと多勢に無勢、こちらの意思より相手の意思が大切になります!)。こうして一人で中国を旅することが出来るの事に
7月27日杭州とも暫くお別れ(9月には来たいと思っていましたが・・・)、今日は上海に移動。11時入管開始なので明日でも間にあわなくもないのですが、頼まれた烏龍茶を九星市場のあのお店で手に入れるのと、娘の友達が上海交通大学に留学中(私も面識がある子)で、娘を通して食事しようとなりましたので。
友達に預けていた荷物と旅行中のザック、そしてパソコン。中国での5ヶ月の生活はこれだけに収め、さあ!
荷物から、上海へは東ターミナルからの長距離バス58元にして、大学からはタクシー(宿泊は一般扱いになるので80元/泊、タクシーは25元?)。バスは定刻8:42、半分ほどのお客ですが途中客拾いで止まることもなく2時間半ほどで上海南駅に隣接したターミナルに着きます。
買い物、ホテル探しがあるのでまずはキャリーを寄存へ預けるべく・・・、上海南駅の一時預かりはバスターミナルの反対側西北出入口脇にあります。案内表示は?。
そして乗船乗り場近くのホテル探し!チケット購入のときに目星をつけていました。軌道交通3号線で宝山路、4号線乗り換えで楊樹路下車、道なりに楊樹路から大名路へ埠頭に向けて。目指すホテル(二つ星半か・・)では400元!暑いのと荷物があるのでしんどかったのですが、この値段では納得できません!さらに埠頭に向けて、次のホテルは満員、でもフロントの小姐 ”この先にもあるよ” ”謝謝!” なんと埠頭入口交差点すぐ横 翰博酒店150元(シャワーの口金はくたびれていましたが・・・、そう長くないかなー)。
埠頭へはここを入って行き、左の地下駐車場が入管になっています。
看板がホテルです。
大名路にはかっての建物も残っています。埠頭側は今再開発の真っ最中、反対側はこれからで、今はまだ今までの中国で食べ物屋さんを中心に・・・。この建物もリホームまでいってなくて、ホテル?でしたか。ここから外灘までは歩いても行けます。タクシーで10元、面白い地区です。
彼女との待ち合わせ時間は5時半、5時間ほど市場でお茶の買出し、その後荷物を引き取ってここまで。
お茶のお店に行くと、探しても?なんとお店改装中!思案しているとそこに大人と子供。大人のほうに ”主人はいないか?” ”不在!” 横で聞いていた子供がここの2階にいると言っているよう。お茶を買いに来たと言うと、その子が呼びに入ってくれました(残った大人、この役立たずのやつめが!)。夫婦で降りてきて、覚えているようで・・・。烏龍茶を半斤梱包で2斤750元(少しまけて貰った上に、新茶を1両サービス、喜ばれているようでした)。日本から注文、口座振込み支払いOK 。値段と品物がつりあってるようで、我が家で合格の品です。
荷物をピックアップしてホテルへ。もう上海地下鉄の窓口も充分対応できます。
さて夕食は彼女とホテル近くの海鮮(かっこいいレストランには意味を見出しませんので、彼女には悪いのですが)。狭い店内ですが、伊勢海老(後で思うに生きていたかなー?)、エビ、魚、貝を、二人してあちらの人にまぎれて楽しみました(私だけ?)。終わったあとは彼女、私が中国最後の夜だというので、付き合ってくれて、外灘へ。すごい人出でした!!ありがとう○○○!
翌日、乗船場はホテル前、チケットの確認もあるので少し早めに窓口に行くと、今日もここは閉まっています。
鑑真号のチケット売り場でないのかも、でも入口のガードマンはここを教えます。知らない人は ほんと迷ってしまうと・・・。
そこで前回行った向かいの18階の会社に行って問い合わせると、担当の者と連絡とってくれて、チケットはそのままで入管へ行くようにと。
入管を待っている間に何人かの日本の人もやってきました。雲南にしょっちゅう住んでるという、外務省のエージェントのような?人(私と同室、世界中の話が聞けました。それに雲南の銀細工は99㌫偽物と教えられました!)。67歳?かの人はチベットラサまで2等座席の乗り継ぎで行って、そこから今度はバス(正規のチケットでないよう?)で5日間かかって雲南に抜けてきたそう。まだ若そうな人は2年ほどタイのチェンマイにいて、今度雲南経由でこの船に乗り合わせた人。人数は少ないのですがサスガつわもの達。私なんか駆け出しといった所!!
さて入管もこんな人数(全部で50人もいません)では・・・、すぐに済んでバスで船へ(近くですが歩くには少し・・)。でもここも来年には様子は変わっていることでしょう。
彼女です。昨日は無理しなくていいからと言っていたのですが、見送りに来てくれました。でも埠頭内は入れないので、ここで待っててくれたのです。
午後1時出航して翌々日の午前8時に神戸です。翌日の日の出はまさに船の進行方向!!日出る国に向かってといった光景。
私の故郷は北九州の若松。この少し前 仲間の一人が陸地が見えたのをさして、瀬戸内海に入っていると・・・。でもやがて白島の石油備蓄のあたりで我が故郷の陸地に気付きました、そう新日鉄の溶鉱炉です。小倉の住金の溶鉱炉も確認。日本に帰ってきたという実感です!
翌日定刻 船はいつもの様にといった感じで神戸の港に入って行きました。
日本の施設は何処ももう完成されたもの?接岸も淡々と。これだけの人数です、混雑することもなく?(私の前の人がコピー商品で長くかかりだしたので、すぐに列を換えましたが)。日本に帰国です
時間があって、時期さえ良ければ(海が荒れなければの話。中国で運行しているので、ではないでしょうが少々の荒れ模様でも運行するそうです。その時は覚悟がいりますし、それからは船に乗れなくなるそうですので!)、船旅が絶対いいです!!時間も43時間 中一日ゆっくり船の中。ここでは朝食はサービスです!カレーで500円?。日本では普通でしょうが中国感覚から見れば30元、やはり5倍か!中国側の運行ですが船内の値段表示は日本円!カレーとハンバーグの2食で、後2食は中国のカップラーメン。
中国に入ったときの日本円9千円ほどあったので、これで我が家まで間に合うと思っていましたが、日本の物価の高さに改めて驚きです。フェリ-ではコンビニで買った弁当とまたまたカップ麺で我慢。
さて私は大阪高槻にいる姉に挨拶して(久しぶりのお寿司をご馳走になり感激!丁度甥家族が北京から一時帰国していましたので、賑やかに・・・、中国の話が通じます)、深夜0時45分?の新日本海フェリーで舞鶴から小樽へ、舞鶴へは新大阪駅の一階団体待合室集合で6時半?に専用バスが出ています2,500円。その夜8時40分ころには北海道です。
日本は幸せだなー? 街もみな小奇麗だ、特に年寄りが。小学生低学年の子供連れの親子、お年寄りが来たので席替わりました。意識的なその様子、そう日本ではこう言った規範が肯定されていてそれに対して意識的になっています。ある意味これはこれで素晴らしいことだと思います。これも豊かさでは!
これにて今回中国留学の旅を締めくくります。中国語の語学勉強、4ヶ月でしたがそれなりの結果があったようです、でも成果を出すには最低でもあとワンクルートライしたいものです。この9月からは行けませんでしたが、この後今のレベルをなんとか維持して、次回に備えることが出来れば次ぎの資格があると思います。
今中国銀行には6千元の残高を残してきました、北海道から船を利用すると往復 5万5千円、これに食事代。又は神戸~天津を組み入れた華北めぐりだと1万円アップ。今の中国はいつも私の好奇心を満たしてくれますし、中国の人達は 一人の私を気が付くと手助けしてくれています。その人の素晴らしさを体感すると この旅を終わらせることが出来ません。

















