連休って言葉を聞いただけでも いっきに肩の荷を下ろしたくなりますよね〜↘
☆『肩の荷=肩書き』っていう意味合いが大きいと思うんですよ。
それは 社長・経営者・起業家 …
いわゆる一流な肩書きとかに関わらず、
学生・会社員・主婦…
どんな人にでも必ず一つ持たされるモノ。
じゃぁ『肩書き』で相手のどこまでを知ることが出来るのか❓
知ったつもりになって居るのか❓
ここに関しては個人差の幅が広くなる部分だよね。
👉直接 相手に会ったり、聞いたりしない限りは
肩書きだけの判断に委ねられてしまう。
人伝えに聞いたとしても限界があるじゃない?
➡何人ものあとに聞かされてたり
(自分が聞かされるまでに どれだけの人数を挟んで来たのか?)
➡伝えてきた相手の主観や感覚が混ざってる可能性もあったりと…
実のところ 相手の性格に触れただけであって、
大部分はイメージでしかない、
その『肩書き』に込められた期待を達成させなければイケない重圧💦
ただ単に 名前の横に書かれてるだけじゃなくて、本当 肩に乗っかってるモノだよね😥
👉そう考えると、休日にはすべてを下ろして・脱ぎ捨てて
自分の個性だけを持って過ごしたくなるのは自然なことなんだと思うんだよな👍
◇自分に重ねてみると、
『トランスジェンダー』『セクマイ』『中性』…
これらの『肩書き』どおり、
どこまでの期待に応えられてるか❓
もちろん 達成されているモノと同じくらい
出来ていないモノもあるわけよ。
👉例えば『社長』だからと言って、肩書きどおりに 何もかもをやりこなせないのと変わらない話なんだけど、
これが『トランスジェンダー』の場合は
許されない話になっちゃうんだよね😥
⚠『セクマイ』は『セクマイらしさ』の最低限を維持し続けなければならない
『肩書きルール』
肩書きを完全に脱ぎ捨てては
イケない 周りからの期待値…。
⚠肩書きを忠実に沿った生き方をしているのは自分達の様なセクマイなんだろうと感じるんですよ。
『ひとりの生き方』
+『セクシャルマイノリティの生き方』
+『肩書きの生き方』
= 生き方の重ね着・肩書きの二重生活
🌈 休日には『一流の肩書き』を脱ぎ捨てて、振りかざすことなく!? 😜
『トランスジェンダー』は『トランスジェンダーに対する期待値』を脱ぎ捨てて 街を歩けた時
本当の休日・休息・安息…
肩の荷を下ろせる瞬間が訪れるのかな〜って思うよね。
誰もが対等な立場に居る・在るということを忘れちゃダメなんだけどね❤