だミッカル!!

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あの日から5年

7月初めからずっと入院していたおじいちゃん



肺気腫という病気でどんどん調子が悪くなって、ついには喉を切開して延命処置をしてもらった



本当は、おじいちゃんは延命なんてしたくないと言っていたんだけど、




少しでも長く生きて欲しい




家族みんなの願いだった。



だけど、それでも良くならなくておじいちゃんは後悔している、家に帰りたいと


喋れないながらも紙に書いたり、身振り手振りで必死にずっと訴えていた




けど、医者は今帰っても、帰りの車の中で息絶える可能性が高い、と言い、断念していました


でも、なんとか8月末には家に帰るように、と先生も家庭用人工呼吸の手配とか肺炎の治療、強心剤の投入等を熱心にしてくれた




私もおじいちゃんの退院に向けて、おじいちゃんの痰の吸引、切開してる所の消毒やガーゼ交換のやり方も勉強した


おじいちゃんが寂しくないよう毎日会いに行った




私や、家族の誰もがおじいちゃんが退院する日を心待ちに


おじいちゃん自身も頑張って生きていた



半分、生かされていたんやろうけど…






8月25日、突然にその時はきた






午後6時前、母から突然電話が鳴る


「今病院から電話があって、心臓停止して蘇生したけど、家族全員すぐに来て下さいって…」




頭が真っ白になる私


すぐに病院へ向かった



病室に入ると、主治医、看護婦が見守る中、おじいちゃんは意識不明で苦しそうに息をしていた


それまでものすごく急いで病院に駆け込んでいたのに、病室に入ったとたん時間の流れが止まった


気がした




一歩一歩、おじいちゃんに近づくたびに、


涙がこぼれた




手を握り締めて…


その力はおじいちゃんのむくんだ手が骨までへこむ程だった



先生に「ここから回復する事はもうないんですか?」と聞いたら


「残念ですが、それはまずないと考えて下さい」と言われた



すぐに母達が来て、みんなでその時を見守った



母が先生にこう言う。


「来る時の橋の途中で、すごく綺麗な虹を見ました

 あぁ、もうその時が来たんだなって」



そして母はおじいちゃんに駆け寄って


「おじいちゃん…ようがんばったなぁ…」



私もおじいちゃんに何か言いたかった


何を言ったらいいのか解らなくて、ずっと手だけ握ってた



意識の無い、おじいちゃんに



何を言ったら良かったのか、何を言ったらおじいちゃんは報われたのか


また、自分が報われたのか



おじいちゃんは自分なりに一生懸命、呼吸をしていた

人工呼吸が シューッ シューッ と、おじいちゃんの呼吸を助けていた




午後7時過ぎ、先生がおじいちゃんの心臓の音を聞く


やがて人工呼吸の空気が送り込まれる時だけおじいちゃんの胸はふくらんだ




先生が、「もう、5分前に心臓は停止しています」


母は


「おじいちゃん、もう息せんでええねんで…

           先生、ありがとうございます」



先生は、ゆっくりと人工呼吸機をはずした








ピ――――――― ッ








おじいちゃんから人工呼吸機は取り外された


先生はそっと時計を見てこう言った



「7時7分…

    残念です」





目の前で起きてる事が現実とは思えなくて、胸が上下しないおじいちゃんを信じたくなくて、目をそらした




しばらくして、母に


「おじいちゃんの近くに行ってあげぇや」


って言われて、おじいちゃんの隣に行った




その時にやっと言えた言葉は…






「おじいちゃん…今までありがとう…ありがとう…!!」






おじいちゃんに抱きついて、長い時間もがき泣いた




おじいちゃんは楽になれた…

長い間ずっと苦しかった病気から開放された…




しばらくして葬儀屋さんが来て、おじいちゃんを連れて帰ってくれる事になり


先生や看護婦さんもお見送りをしてくれた



先生は涙を流して、おじいちゃんを乗せた車が見えなくなるまで、深々と頭を下げてくれた


5年以上、最期まで諦めずに、治療してくださった先生でした




おじいちゃんがずっと帰りたかった家に、こんなに変わり果てた姿で帰ってくるなんて思わなかった



もっと早く返してあげたかったけど、どうしようもなかった

それだけが今でも悔いてしまうけど…




26日にお通夜、27日にお葬式。


お通夜ではたくさんの知り合い、親戚の方が来てくれた




中には棺桶にすがりついて涙した人もいた



お葬式で、出棺する前にみんなで棺桶の中にお花を添えていく時


みんなの優しさがこみあげる涙になってうちの中でおじいちゃんは楽になったんだって気付かせてくれた気がした




火葬場では、扉がゆっくり閉まっていく瞬間突然隣でウワーッ、と子共のように泣き叫ぶ人がいた





母だった




今まで泣かなかった母は、その時に子共に戻ったように泣いていた

やっぱり父親が居なくなるということは相当辛いのだと思う…







おじいちゃんと過ごした21年間


花嫁姿を見せられて良かった


おじいちゃんの最期を看取ってあげられて良かった


悔いはないはずなのに、何度も涙した


おじいちゃんという人が側にいてくれて良かった


おじいちゃんがいなかったら私はどんな人間になっていただろう



おじいちゃんにもっと早くにありがとうって言いたかったけど


それを言ったらおじいちゃんに、あぁ、もうすぐ死ぬんやなって思わせてしまうから言えなくて



やっと言えた時、おじいちゃんはもういなくて







ありがとうって、ありがとう


本当に今までありがとうって




今なら何度でも言えるのに






おじいちゃん、ありがとう。









(この日記は2005年、大好きなおじいちゃんが亡くなった後に書いたものです)





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