「蝉の声」
ラジオから流れるポップ・ソングが耳につき始めた頃、来客があった。音楽を止めると薄い壁や窓の向こうからやかましい蝉の声が響いて来た。世界中が騒音で溢れているようだった。
彼は部屋に入って来るなりこちらが勧めるまでもなく僕と、簡易的な折り畳み机を挟んだ向かいにどっかりと腰を下ろして、ぼんやりと僕の後ろの壁か天井のあたりを眺めていた。
「それで…金かい?」
僕は尋ねてみた。お互いに大学を留年してロクにバイトも勉強もせず日々を無為に過ごしている身だった。金が無いのはお互い様だったが、僕の方にはこの前実家からの仕送りが届いたことをちゃんと彼は知っているのだった。
「いや、そんなことじゃないんだが」
「じゃあ女か」
「まあな」
こんな男にも大学に入ってからかれこれ5年近く付き合っている女がいた。
「別れたのかい?」
「ああ。終わってみると呆気ないものだな」
僕は何と言って良いのか分からないまま麦茶のお代わりを注いでやった。相変わらず蝉の声はうるさく響いていたが、彼の耳にそれが届いているのかどうか、よく分からなかった。
「じゃあそろそろ行くわ」
特に何を話すでもなく30分ほどお互いにぼんやりと時間をやり過ごしたあと、唐突に彼は言った。
「うん」
「行くところもあるしな」
「うん」
僕が返事をすると彼は特に急いだ様子もなく部屋を出て行った。
彼が行ってしまったあと、僕の安アパートの部屋は妙にガランとしてさっきより広く感じた。蝉の声がまたやかましくなってきた。まるで誰かがボリュームのつまみをいじったみたいに。さて、と僕は思った。時刻を見るとまだ昼前だった。これから今日1日をどう過ごすべきか?僕にしたところで、特にどこに行くあても無いのだった。