写真は、先週金曜日に所用で和歌山市に行った帰り、印南SAの高台から撮った一枚♪

不肖私めにとって激動の1月が、ようやく終わろうとしてますあせる
今日は一日久し振りの本降りの雨雨
これで少しは、熊野川の水不足が解消されるといいんですけどね...

さて、今宵も過去記事リメイク。約11年前に書いたものになります。
お時間ある時にでも、生暖かい眼差しでご覧いただければ、幸いかとあせる



司馬遼太郎先生の「新史 太閤記」
その中の一節で、今更ながらに目を引く箇所があります。

秀吉(節中は猿)が今川配下の遠江(静岡西部)地侍「松下嘉兵衛」に拾われ仕官していた件。
猿が屋敷の要害の悪さを指摘した際に、小説の中で松下嘉兵衛にこう返答させています:
  • 今川家の統治は万全で、本領の駿府(伊豆を除く静岡東部)と遠江は平和である
  • 万一の際は、屋敷を捨て遠江の支城に籠もれば済む
  • 外圧外征の際は、保護国の三河(愛知西部)を働かせる
加えて、松下の返答ではありませんが、領内が気候に恵まれ土地が豊かである事、豊かさ故に他国の、主に甲斐(山梨)の人間の多くを農奴として使っている描写があります。

そして、これらをして、

『だから結構な国だ』

と言わせています。

つまり、本部による統治は万全で万一の退路の備えも用意されているので頭を使う機会も少なく、平和と豊かさがもたらされて手足を使う機会も少なく、争乱があったとしても、(我等は)後詰なので命の危険は少ない...

なるほど、このまま障害無く機能するのであれば、松下本人や本領の領民にとっては間違い無く、合理的で結構な国、と言えるでしょうね。

ところで、この結構な国であると言う説明に対して、猿にはどのような感想を持たせていたのか。

そのまま納得して松下に信服したのであれば、太閤記の話自体がそこで止まってしまいますよね、果然、ここでは次のような違和感を感じさせています:
  • 戦に自国兵温存
    →三河兵が戦馴れして強くなるだけではないか?
  • その上畑を耕すのも他国人とは、何とも怠惰では?
  • 強国と言うが、本国(駿遠両国)に有事の際は案外脆いのでは?
故に、長く居る土地では無いかも知れない、と思わせています。

ただまあ、三河を除く当時の今川統治下の領民の中で、この違和感を理解出来た者は居たのかどうかは大いに疑問に思う所だと思いますが。

実際その時点では、戦国の世にあって強国として安定と豊かさを領民に提供していますからね。松下の言を借りれば、万一の際の危機管理も一見分かり易くて理に適っている。
果たしてこの状況で一般の領民が「この国大丈夫か?」とか思いますかね?

猿が実際にこの違和感を持ったか否かは勿論分かりませんが、もし持ったのであれば...
その違和感は彼が今川と同盟関係に無い他国(尾張)からやってきたってのも一因していると思うんですわ。

猿自身は、それまで正規の武士であった事は無く、物売りや野武士奉公など転々と流浪していたとあります。
彼の出身国である尾張は当時未だ統一されておらず戦乱が絶えず、隣国美濃では下克上で斎藤氏が国を乗っ取る始末。言わば混乱と貧困の中で生き抜いてきた形です。

ちなみに、猿自身に超人的な先見の明があったとは思いませんよ?
何しろ彼だって強国との誉が高いこの国に活路を見い出そうとして、自分の故郷を出てやってきた訳ですからね。

でも、そんな彼の境遇を前提にすれば、その違和感はなるほどごもっともと言えます。要は、そんな他力本願(即ち怠惰)な状態は強さとは直結せず、弱肉強食のこの戦国の世を生き抜けるのかは大いに疑問、ってな所ですか。

・・・この「結構な国」の末路や猿の今後は、歴史が散々語ってますから敢えてここで詳しく述べる必要はないでしょう。

不肖私めは、この「結構な国」の件に関して、時代小説の感覚、昔話の実感が持てないんですよ、

今の日本て、結構あちこちに「結構な国」ありませんか?
てか「結構な国」だらけじゃありません?

【うまく機能していると思える合理性が、傍から見れば脆弱にしか映らない】

度を越えて分かり易過ぎる、または難し過ぎる”理屈”は、その越えた度の分だけの脆弱性、危険性を孕む可能性が高かったりするモンです。

それを踏まえて...
この国、このままで本当にだいじょうぶですかね??