☆大学進学をめざす皆さんの参考に☆

 

講師の先生方に、進学大学決定の動機をインタビューしています。

 

今回は第1回・K・K先生へのインタビューの続きです。京都大学へ入学してからのことを伺いました。

 

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それで、無事京大に入学されて、どんなことを感じられましたか?

 

当時は新聞やテレビ・ラジオなどの媒体しかなかったので、京大の先生方については、現在のように、お一人お一人の研究について、詳細に知ることはできません。

 
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実際、京大に入ってみれば、非常に優秀な先生とそうでもない方もいらっしゃったり…。

まあ、テレビで、もてはやされていた教授の授業を受けましたが、その先生の講義自体は、面白かったのですが、自分の感性とイマイチ合わなかった場合もまま見受けられました。

 
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外でご覧になっていた時と、大学内部で実際の講義を受けた時とでは、違いがあったのですね。

 

無論、その逆もありましたが…。

いずれにせよ、私がやろうとした心理学の分野は、学べば学ぶほど理解不能に陥る分野でもありました。

 
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人間の心って、研究すればするほど、わからなくなるなあ…というのが本音で、自分で自分のやり方で、人間に肉迫したい…という思いになったのが、京都大学で得た一番の気づきであったかもしれません。

 
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大学に入ってから直接・間接を問わず、一番感化された人物や書物などございますか?

 

入ってからですか…うーん、難しいなあ…受験期に、岡潔という数学者の書物に感化されたことかな?

数学者なのに、教育に関心があったり、日本人がよりよく生きていくことに対して、真摯な考え方を持っておられたことにも多大な影響を受けましたね。

 
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大学に入ってからは、もちろん指導教官の影響もですが、同じ専攻の先輩方に影響を受けました。ただ徐々に、自分が志した専攻の学問的追求を求めるというよりもは、人間…それ自体を追求することで勝負がしたい…というように、関心対象が変わってきましたね。

 
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ということは、特定の誰か…であるとか、特定の研究…というものに影響を受けたというよりも…

 

京都大学の地場そのものがもつ力というか…マグネティックな力の可能性は、素晴らしいものがあったと思います。友達も優秀で、人間的にも面白い連中がいたので、京都大学という「場」に影響を受け、栄養をもらったと感じています。

 
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最後に、これから受験しようとする高校生や浪人生に、何か一言アドバイスをいただけますか?

 

自分の中にあるもの…自分に合うものではなくて…自分の感性ではなく…、自分自身の感覚…何か心の奥底からぴったりすることに、時間とエネルギー・その他諸々を注ぎ込むといいですね。

 
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今、この瞬間の成果や結果に惑わされず、とにかく、自分に齎される瞬間・瞬間が楽しく愉快で、それがずっと続きそうなもの…それは享楽的でなくて…むしろ地道で目立ちにくいが、自分をワクワクさせるものがいいです。

 
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もしワクワクするものがない場合は、どうしたらいいでしょうか?

 

当面、元気になることや楽しいことに全力投球すること。

そのうちに、飽きがきたりこれは自分のやりたいことに近いかな?と思って、軌道修正したり…の試行錯誤を繰り返しつつ、徹底的に今の自分の喜びになることをやり続けることで、自信にも繋がるし、本当の意味のライフワークにもつながっていきます。

 
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なぜ京都大学に入学されたか…ということから、人間が生きることと学ぶことは、常に表裏一体になっている…と考えることで、人間としての自分自身を、より深く、より楽しく充実させて生きていくことができる…というお話しまで伺えたのは、良かったと思います。

 

 

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今日は本当にありがとうございました。

 

ありがとうございました。

 
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☆大学進学をめざす皆さんの参考に☆

 

講師の先生方に、進学大学決定の動機をインタビューしていきます。

 

今回は第1回として、K・K先生にお聞きしました。

 

K先生は、京都大学教育学部を卒業されています。先日このK先生に、どうして京都大学に進学されたのか?と言うことや、現在、進学や就職で悩んでいる人にアドバイスをお願いしました。

京大時計台

  

 

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今日はKK先生にどうして京都大学に進学されたのかについて伺いたいと思います。早速ですがなぜ京都大学に進学されたのですか?

 

小学校の頃に、近所のお兄さんから、「アインシュタインって、知ってるか?」と尋ねられたことが、きっかけだったように思います。

 
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と同時に、六年の時の担任の先生が「東大・京大・阪大は特別な大学で、そこに行ったら、ご褒美あげるよ。」と言われたことも、潜在的なきっかけになったみたいです。別にブランドに心ひかれたわけでなく、先生のご褒美をあげる…と言う言葉に引っ張られたみたいです(笑)

 
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何か楽しそうな、ホッとするエピソードですね。

 

 

それから中学二年生頃から、アインシュタインの本を読むようになり、アインシュタインのやっていることとか、生き様が気になっていました。

 
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高一になると、京都大学の理学部の物理学科に行こうと考えるようになりました。その頃、日本人でノーベル賞を受賞する方が、二人でて…、それは湯川秀樹博士と朝永振一郎博士のお二人ですが。

お二人とも、京大理学部の物理学科で研究をしておられた…と言うことも、京都大学に進学しようとした理由の一つでした。

 
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何か、常に新しいものや考え方に興味が湧いているようですね。それで、理学部物理学科ではなく、教育学部へ進まれたのはどうしてですか?

 

 

物理学をやろうとしていましたが、物と言うより、人間というものに興味を覚えて、哲学書や思想書など数多読んでいたと記憶しています。

 
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そうするうちに、一見物理学とは対極にあるような、心理学をやろうと思い始めました。

と言っても、根底には常にアインシュタインへの思慕があったことは否めません。

 
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自然の摂理や宇宙の真理を論理的に解明することと、小宇宙と言われる「人間」そのものへの飽くなき追求へと、より複雑で柔軟な思考を必要とする方向へ移っていったのですね。

 

というか、学問をしながら、学問に埋没することなく、人間に迫りながら、学ぶ真髄に触れたかったように思います。

学びの王道のようなものが、京大にいけば体得できるかな?と考えていました。

 
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引き続き、京都大学に進学されてからのことをお聞きしていきます!

 

(次回へつづく)

 

 

誰でも勉強に限らず、得意・不得意があります。

それが個性となる場合もありますが、不得意なものを、日々やらねばならないとすれば、人間誰しも憂鬱になってきますね。

そこで、不得意科目が出来てしまった原因は何か?を、思い出してみることをお勧めします。

 

例えば、

 (1)厳しすぎる英語の先生の叱責に耐えられなくなった。

 (2)クラブ活動中心の生活で、勉強まで手が回らない。

 (3)気を抜きすぎて、気がついたら成績が地に落ちていた。

 (4)中学の時は、簡単に思えた数学が高校に入った途端難しくなった。

 (5)先生のおっしゃる事が理解できない(説明が下手?)

 

等々・・様々な原因があるでしょう。

 

その原因を全て、紙に書き出してみましょう。

 

次に、書き出した原因をジャンル別に分別しましょう。

 

例えば、ジャンルAは、先生が原因と見られるものばかり集める。

ジャンルBは、自分自身が原因と思しきもの。

ジャンルCは、友人が原因となるもの。

ジャンルDは、どこと言って悪いところがないはずなのに、体調がすぐれない・・などという、体調に関するものを集めていきます。

ジャンルEは、クラブ活動が原因と思えるもの。

ジャンルFは、家族関係に関係するもの。

ジャンルGは、いくつかのジャンルが複合的になっているもの。

その他に属するものは、ジャンルHに集めていく。

 

こうして出来るだけ多くのジャンルを設定し分別したものを、一枚の紙に図式化していくのです。

 

 

するとある決定的な事実に気付くでしょう。

 

不得意科目を作る原因の多くが、自分自身が、「学ぶこと」の根幹を、「他人の善意の協力」に委ね続けている・・ということに。

 

自らが学ぼうとする折に、いつも他人頼りする自分自身に気付くことでしょう。

 

詰まる所、形而上(現象を超越し、その背後にあるものの本質・存在そのものを、純粋思惟や直感に基づき探究すること。)、並びに形而下(時間・空間のうちに、形をとって現れるもの。)の双方から学ばして頂ける・・という、人間にだけ許された「学びの自由」が、他者の手に委ねられている事実と直面します。

 

 

日本人であれば、義務教育、並びにほぼ義務教育化されている高校、将又(はたまた)大学や大学院に至るまで、自分自身が好む・好まない・・にかかわらず、カリュキュラムに沿って学んでいるにすぎません。

  

翻って、自らが学ぶ・・とは、如何なることでしょうか?

 

たとえカリュキュラムに則って学んでいたとしても、自らが強く望んで「学ぼう」と決意する事

 

決められたカリュキュラムの中でも、とりわけ心惹かれるものを中心に、「自らが学びたい・・」と、強く意識しそれを実践しましょう。

 

そうすれば、今までと同じように見えても、全く異なった「新生の自分自身」と遭遇し、今まで嫌いだったものも抵抗なく、学び始めていくでしょう。

 

 

英語の単熟語のテキストは種々雑多、様々なものが世に出回っています。

でも単純な覚え方をしていると、飽きが来る上に、なかなか覚えられないもの。

そこで万人に効果がある画期的な方法をお教えしたい。

 

 

まず英語の単熟語のテキストを用意しよう。

アルク社の『キクタン』シリーズがいいでしょう。

 

その理由の第一は、聴いているだけで、英語と日本語がわかり、更に単熟語をもう一度確認できる仕組みになっているところです。

 

ネイティヴが発音した英語に続いて、その意味を表す日本語が流れます。

4つ単語が示されたら、もう一度この4つの単熟語を再びネイティヴが発音してくれます。

 

第二に、チャンツ音楽が流れ、リズミカルに単熟語を体の中に入れることができます

 

この2つの利点によって次に述べる学習法に合っていると言えよう。

 

さていよいよここからが本題です。

 

まずノートに1から100までの番号をナンバリングしておきましょう。

あるいはナンバーを書いた紙を用意。

鉛筆も書くのに一番良い太さ、長さを調整したものを数本用意し、用意万端準備しましょう。

シャーペンは折れやすいためあまりお勧めしませんが、最近は良いシャーペンが出回っているので、一概にシャーペンを使ってはいけない…ということはありません。

 

そして『キクタン』のCDを流します(最近はダウンロード音声をスマホで聴けたりします)。

いよいよ英単熟語が流れてきます。

 

即座にその英単熟語を繰り返しつつ、同時に単語をノートに書きとっていきます

この時英語を聴いていたものの、はっきり聞き取れなかった場合でも決して諦めてはいけません。

 

 

日本語を聴きとった瞬間、意図する英単熟語がわかることがよくあります。

ネイティヴが4つの英単熟語を言った後に、再度、英単熟語だけ繰り返して発音してくれるので、この時に書き落としていた単語を書きとったり、書き間違えを訂正していくのです。

 

これを最低100個行います。

聴いて〜発音し〜書き取り〜確認することを、リズミカルにやっていきましょう。

 

慣れてくれば、ネイティヴの発音を聴いた途端、2回英語を繰り返し、日本語も可能な限り2回繰り返すと、実に効果的に学習が進んでゆきます。

 

 

面白いことに、英語の発音に不慣れな人の多くは、母国語である日本語自体も即座に発音できないことが多いのです。

気力の続く限りこのトレーニングをやっていくと、長く出来る人の中には、500個から700個ぐらい、一気に英単熟語を書くことができる人が出てきます。

 

『キクタン』の英検準1級版には、1120個の英単熟語が載っています。

これを集中力のある人ならば、音楽に乗って、聴いて〜二回発音〜書き取り〜確認の一連のプロセスを、途中一度の休憩を挟んで5時間程度で出来てしまいます。

 

 

英語の音声を耳でキャッチすることは、〈音声言語〉が入力されることを意味します。

 

次にそれをリピートする事で、再度〈音声言語〉が入力され、音声を聴きそれを真似て、自分自身が繰り返し発声した言葉を書きとる事で、〈文字言語〉を出力する事に繋がってゆきます

 

 

『キクタン』を活用したこのトレーニングでは、上記のような〈音声言語入力〉〈音声言語入力〉〈文字言語の出力〉…というこの繰り返しを数分間、将又数十分間繰り返すトレーニングです。

 

 

現在の脳科学では、各人の脳内における〈音声言語〉と〈文字言語〉各々のネットワークは、独立していると考えられているようです

よってこのトレーニングは半ば強制的に、〈音声言語〉〈音声言語〉〈文字言語〉への入力の切り替えを、凄まじい勢いで行なうハードワークだといえます。

 

〈音声言語の出力〉は、前頭葉のブローカ野とつながっており、常に脳を動かし、音声と文字それぞれの〈言語ネットワーク〉へのスイッチの切り替えを行う事で、脳をフルに働かせることになると考えられます。

 

 

そのうちに耳でキャッチした音から単語のスペルが想像できるようになり、たとえ知らない単語であっても、容易に単語を書けるようになってくるのです。

ちょうど「フォニックス学習」の反対のやり方で、音声を頼りにして単語を創り出す力が身についてくるのです

 

不思議なもので、知らない単語でも、スペルが書けるようになると、日本語の意味も覚えやすくなります

これはまずその単語を耳で聴いて、聴いた音を文字化するプロセスの中で、意味が理解できる土壌が出来上がっていると考えられるのです。

 

東北大学未来科学技術共同研究センター教授の川島隆太氏によれば、〈音声言語の出力〉と関係があるとされるのは、前頭葉「ブローカ野」で、ここは音声の言葉を創り出すだけでなく、文法などの統合構造を解析するということもわかってきているということです。

 

誰かの話し言葉をキャッチすると、側頭葉の上方にある「聴覚野」に言葉が入ります。

この言葉は、側頭葉上方の後ろにある「ウエルニッケ野」に送られ、ここから頭頂葉を通過し、前頭葉の「ブローカ野」に送られ、そこで初めて言葉として理解できるそうです。

 

ただし『キクタン』トレーニングのように、単語だけの場合は、「ウエルニッケ野」で止まっても理解できるそう。

 

よって時には、文章となった英文をデクテイーション(聴き取って書き取る)することも重要でしょう。

 

その際には、テキストにある例文を、自らが二回音読・暗記し、もう一度上を向いてリピートした後、暗記した文章を書きとることで、「ブローカ野」を刺激するのではないでしょうか?

 

 今日は母音読みの効用について書いてみます。

 

まず母音読みを始める前に、普通に音読してみましょう。

その時音読した感触や舌のまわり具合などを自分なりにチェックします。

 

 1 どこでひっかかったか?とか、 

 2 息継ぎはどうだったか?

 3 発音はどうか?

 4 意味を理解して音読しているか?

 

…などなど、自分が認知出来る範囲でチェックしましょう。

 

その上で丁寧に母音読みします。

丁寧に母音読みするとはどういうことか?と言えば、次にその一例を挙げて説明しましょう。

 

   湖の  水まさりけり  五月雨

 

 と言う一句は、(むか)()(きょ)(らい)の作ですが、これを母音読みすると、

 

  …いうういお いうああいえい あういあえ…となります。

 

母音音声で発する時に、はじめの五音にあたる「…いうう…」の二つ目の「う」を発声する際、若干音が弱くなり所謂「弱音」となってしまいがち。

 

しかしこれを持ち堪えしっかりと発声。

しっかり発声する為には、口の形が重要

大きな口を開け口全体で発声。

 

そうすればたとえ同じ母音が続いてもその一音一音が音として存在感を増していきます

 

次に「水まさりけり」…七音の母音「いうああいえい」の部分ですが、最初の「い」から「う」に到る時に、思い切りよく発声します。

そうすることで、漢字で書かれている「水」の力や潔さに加え、梅雨の長雨の憂鬱さまでも体現出来るのです。

 

また同母音が続くが、とりわけ「あ」が連続する場合、出来れば若干スタッカート気味に発声するとよいです。

さらに、母音「い」と「い」の間に「え」母音が挟まれた場合、知らず知らずのうちに、「え」母音が低く、くぐもった発声になりがち。

そこで両端の「い」母音を音を引き上げるように明るく発声すると、音声が断然聴き取りやすくなります。

 

最後の五音は「あういあえ」となります。

「う」から「い」に音が渡っていく折に、鼻の奥で発声することに意識を持っていきます。

そうすることで最後の五音の締めとなる、「音のまとまり」が期待出来るのです。

 

 

このようにして丁寧な母音読みをじっくり行うことを繰り返すうちに、そこに母音音声として立ち上がってきた作品が、聴覚を通じて自らが訴えたいことを語り出してゆきます。

 

最初は普通に音読し、次に母音読み、最後にもう一度普通読みすれば、かなり読みやすく内容も理解しやすくなっているはず!

 

こうしてどんな文章でも最低3回音読することをお勧めします。

 

母音読みがなかなか上手く出来なかったり、内容を明確に理解したい…と言う人は、ゆっくりとしたリズムで母音読みし、その後で普通読み、再び母音読み…気になるところは念入りに母音読みして下さい。

 

すると、そこに書かれてある内容が、リアリティを持ち始め、その一文の本質が手にとるように理解できるようになるから不思議です。

 

 母音読みすることで、上手く読めるようになるだけでなく、文章読解力も身についてゆくのです。