今日は「胴合橋」を紹介します。
この胴合橋は川中島古戦場の隅にあるお土産屋さんとお食事処の横にあり、解りにくいので注意です。
私の今回の旅行で一番の目的が川中島古戦場と胴合橋でした。
胴合橋を簡単に紹介すると
禄4年(1561)の第四次川中島合の戦いで「啄木鳥戦法」を見破られた山本勘助は、2百の手勢で敵に斬りこんだが、討ち死にし、その首は敵兵に奪われた。
家来たちは主君の首を奪い返す追跡をし、取り戻してきた勘助の血まみれの首を洗っていると、見覚えのある主君の鎧を着した胴体が流れつき、首と胴体をつなぎ合わせるとぴったり一致した。
その事から「胴合橋」と言われている。とのことです。
なお、この人物は山本勘助ではなく、信玄の弟の信繁だという伝えもあります。
山本勘助は武田信玄の軍師として『甲陽軍鑑』に描かれているので、大河ドラマなどで登場していますが、実在した人物かどうか、ハッキリとは解っていないそうです。
ただ、書状が見つかり「山本管助」という人物が武田家に存在していた事は解っておりますが、この山本管助は使者としての記録であります。
しかし管助は、晴信の名代となりうる地位で合った事が考えられるそうです。
この管助が勘助ではないか。と今では言われていますね。
私は甲陽軍鑑に描かれている山本勘助が好きで、大河ドラマの風林火山に描かれている山本勘助が好きです。
本やドラマでこれほど多くの山本勘助が描かれるのは、やはり人間として軍師として人々を惹き付ける魅力が山本勘助にはあるのでしょう。
胴合橋の実際は武田信繁なのかもしれません。
山本勘助は存在せず、存在したのは山本菅助かもしれません。
しかし、山本勘助を思いながら胴合橋を訪れるのも良いもんですよ