ども。
今週の月曜の深夜3時に岩手から戻ってきました。
直接被災地を訪れたのは仙台市と石巻市、南三陸町でした。
どこもテレビで見ている状況と変わらず、酷い有様で、
特に南三陸町に至っては、本当に「何もない」状態です。
「町がなくなった」という表現を報道などで耳にはしていましたが、
本当になかったです。
一緒に連れて行ってくださったボランティアの方も
南三陸町には何度か訪れたことがあったらしいのですが、
車を運転しながら「わからないと思うけど、たしかあの辺が駅だった…かな。」
といった具合。一度来たことある人でさえ、
何がどこにあったのかわからないような状況でした。
しかし、そんな状況の中でも石巻市では必死に作業するボランティアの方々、
南三陸町でお会いした共同避難生活をしている二組のご夫婦、
それぞれがそれぞれの立場で一生懸命でした。
南三陸町で避難されていたご夫婦は津波で家を失い、
そして奥様は気仙沼に住む妹さんを津波で亡くしてしまったそうです。
それでも笑顔を見せながら、私たちにこれまでの生活や被災直後の状況、
津波の恐ろしさを身振り手振りを交えて語ってくださいました。
しかし、旦那さんと共に時折見せる疲れたような、
悲しいような虚ろな表情にはこちらも胸が痛みました。
そして、そのご夫婦はこう言っていました。
「最初は生きるので必死だったけど、生活が落ち着いてくると
今度は先のことが不安で押しつぶされそうになる。」
「でも、もうあそこには住めないだろうし、住みたくない。」
帰ってきて数日たちますが、こんな遠い長野で見るお日様や
星、月を同じように被災地の方も見ていると思うと、
とてもやるせなく思います。
そしてマスコミをはじめ日本全体で
「がんばろう日本!」「がんばろう東北!」
といったことが言われていますが、
この記事を読んだ方は是非、こう考えてください。
「泣いてもいいんだよ。辛かったら座り込んでもいいんだよ。」
「そんなときは手を貸すから。」と。
そして、今だけでなく、3か月後も、1年後も、
そして5年、10年と経っても
被災地の皆さんのことを忘れないでください。
私も忘れずにいようと思います。
大切な人を亡くした人がいます。
帰る場所を失くした人がいます。
大切にしていたもの、思い出、家族、場所、
すべて失ってしまった人がいます。
そして生き残ってしまった辛さを背負っている人がいます。
そんな被災地の皆さんは、頑張っているんです。
精一杯、現実を受け止めて生きようとしています。
私たちは彼らにこれ以上何を頑張れというのでしょうか。
頑張っている、東北!!!頑張っている、日本!!!
でいいじゃない。
長くなりましたが被災地の皆さんと、この記事を読んでくれた方、そして自分へ。
この曲を聴いて、辛いとき、不安なとき、どうしようもないときは
泣いて、泣いて、泣いて、落ち着いたら大きな声で笑いたい。
いつかそんな日が来ると願っています。