2話 復讐の鬼 伍子胥 -続き- | 3分でよめる中国古典ブログ

2話 復讐の鬼 伍子胥 -続き-

こんにちわ品川です。

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ところで思い込みが強い人って、損をしてると思います。

詳しくは編集後記で。

◆◆◆◆本文◆◆◆◆
呉にたどり着いた伍子胥は公子光の口利きで呉王遼に謁見し、楚への侵攻の際に
は力になることを上申し、中央に進出し覇を唱えたい野望がある呉王遼も伍子胥
を受け入れます。

ただ呉王遼は、呉はまだ楚と張り合えるだけの国力はないと考えていた為すぐに
は侵攻するつもりはありませんでした。

ところが、思わぬ事で呉と楚が闘うことになります。

ある日、呉と楚の国境にある互いの村の子供が喧嘩をしました。その喧嘩はやが
てその子供の親同士の喧嘩となり、その喧嘩に負けた呉の村の家は焼かれてしま
い、それに怒った呉の警備兵は楚の村を攻め、、、その報告を受けた楚は国軍を
あげて呉の村を攻め、、、それに怒った呉も国軍を挙げしまい、両国はついに衝
突し呉が勝利を収めました。

この勝利で楚おそるるに足らずとみた呉王遼は楚への侵攻を検討し、伍子胥に意
見を求めます。

楚の実情に詳しい伍子胥は、強国と思われてる楚は弱体化しつつある旨などを説
明し楚への復讐心も加わって、楚侵攻を強く薦めます。
しかし、この楚侵攻は公子光が強く反対します。公子光曰く「伍子胥は楚への復
讐心から楚侵攻をあおってるだけにすぎず、先の戦いは一時的な勝利であり、呉
は楚と張り合えるだけの国力はありません」と。

この公子光の反論は伍子胥を戸惑わせました。公子光は伍子胥のよき理解者であ
り、聡明であるため楚の弱体化は知ってるはずである。なぜ反対するのか?公子
光の言動に悩んだ伍子胥はここで公子光の真の考え方に気付きます。公子光は楚
の前に自分が呉王になる野望があるんだと。

かつて呉王寿夢のころ、4人の子供がいました。その4人の子供の中で四男の李札
が優秀であり寿夢は自分の跡継ぎを李札としていました。ところが寿夢が死亡す
ると李札は兄達に遠慮して王を継ぐのを辞退します。仕方ないので長兄の諸樊が
呉王となります。諸樊は自分の跡継ぎは息子の公子光でなく次男の余祭とし余祭
も跡継ぎは三男の余昧としました。このように弟に継承していけば四男の李札に
王位が巡ってくると兄達は考えたのです。

しかし三男の呉王余昧が死ぬと、李札は今度も王位を辞退してしまったので余昧
の息子の遼が呉王になります。

これが諸樊の息子である公子光には納得がいきませんでした。本来なら自分が呉
王になるべきでは?と。

このような経緯があるため、公子光は楚侵攻よりもまずは呉王になる事が何より
も優先事項であり、呉王遼が楚を討伐してしまっては呉王遼はますます力をつけ
てしまうので王位奪還はますます困難になってしまう。だからこそ伍子胥の楚侵
攻の意見に反対したんだと。

しばらく呉は王位継承の問題で落ち着かないと考えた伍子胥は、専諸という男を
公子光に紹介し、自分は外から呉を見つめなおす為に一時野に下ります。

そのまま4年がたちました。

(次号へ続く)

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

ここまでお読みいただきありがとうございます。
ご意見、ご感想、ご要望などがありましたら遠慮なくメールください。

次回は4年後、ついに公子光が王位奪還のクーデターを起します。

思い込みが強い人って、自分の人生を結構損してると思うのです。人って自分が
正しいとどこかで考えてると思うのです。マイナス思考の人でさえ、自分を否定
してるのではなく、そのマイナスになってる思考を正当化しようとしてるに過ぎ
ません。思い込みが強いって事は自分の考えが正しい、という主観が正しいので
、他人の意見を聞きません。聞かないどころか否定さえします。自分の意見を否
定した人に好意をもつ方って少ないのではないでしょうか?

つまり思い込みが強い人って、たとえ意図してなくても他人を否定してる可能性
がありますので、知らず知らずに嫌われたりしていくのではないでしょうか?


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