11月12日
Googleのロゴが、またいつもと違う。
今日のGoogleロゴは「オーギュスト ロダン 生誕172周年 」という。
ロダンの代表作といえば「考える人」だろうから、それにふさわしいデザインとなっている。
ロゴの部分をクリックすると「オーギュスト・ロダン」で検索されるのはいつもの通り。
今日のGoogleロゴは「オーギュスト ロダン 生誕172周年 」という。
ロダンの代表作といえば「考える人」だろうから、それにふさわしいデザインとなっている。
ロゴの部分をクリックすると「オーギュスト・ロダン」で検索されるのはいつもの通り。
京都非公開文化財特別公開 法性寺
この秋も「京都非公開文化財特別公開」がある。
つまり「京都非公開文化財特別公開 2012年秋 」である。
21カ所の寺院や神社が参加するそうで、いずれも興味深い。
私が注目するのは、春に続いてこの特別公開に参加する法性寺である。
「またか」という気もしないでもないが、ここ法性寺の国宝“二十八面”千手観音菩薩の公開はこれが最後で、
「今後10~20年は公開されない」のだそうだ。
今後10~20年は公開されない国宝“二十八面”千手観音菩薩
http://www.asahi.com/travel/kobunka2012/topix/OSK201210180041.html
春の特別公開があまりにひどく期待外れだったので、私はもう行くつもりはない。
が、そう簡単には拝観できない国宝仏の一般公開で、千載一遇の機会であることは間違いない。
11月2日~11日11月9日(金)から11月18日(日)まで。
受付時間:午前9時から午後4時。
つまり「京都非公開文化財特別公開 2012年秋 」である。
21カ所の寺院や神社が参加するそうで、いずれも興味深い。
私が注目するのは、春に続いてこの特別公開に参加する法性寺である。
「またか」という気もしないでもないが、ここ法性寺の国宝“二十八面”千手観音菩薩の公開はこれが最後で、
「今後10~20年は公開されない」のだそうだ。
今後10~20年は公開されない国宝“二十八面”千手観音菩薩
http://www.asahi.com/travel/kobunka2012/topix/OSK201210180041.html
春の特別公開があまりにひどく期待外れだったので、私はもう行くつもりはない。
が、そう簡単には拝観できない国宝仏の一般公開で、千載一遇の機会であることは間違いない。
受付時間:午前9時から午後4時。
東京国立博物館 特別展「中国王朝の至宝」(その2)
東京国立博物館平成館で10月10日(水)から開催されている特別展「中国王朝の至宝
」。
必見の文物が多数出陳されているが、その目玉のひとつが阿育王塔である。
阿育王塔(あいくおうとう)[一級文物]
銀製・鍍金(内部は木組)
北宋時代・大中祥符4年(1011)、高さ 119cm
江蘇省南京市長干寺地宮出土
南京市博物館蔵
南京市の古刹・長干寺(ちょうかんじ)の地下から近年出土した新発見の仏塔で、この種の遺品の中では最大のものです。阿育王塔は、古代インドのアショカ王(阿育王)が八万四千の仏塔を造立したという故事にちなんだものです。他に例のない大きさ、細部まで克明に表現され、バラエティに富んだ図像、仏骨をはじめとする珍貴で多彩な副葬品など、どれをとってもこの種の仏塔としては規格外の規模と優れた出来映えを誇ります。そのため、中国の関係者は、これを「塔王」(仏塔の王様)と称し、驚異と賛嘆の念をもって接しています。圧倒的な存在感を放つ破格の仏塔の姿を目の当たりにする、絶好の機会です。
という。
たしかに「細部まで克明に表現」されているし、「規格外の規模と優れた出来映え」であるのは間違いない。
阿育王塔の展示は最後の最後である。
時間配分を間違えて、阿育王塔の展示にたどり着いたときは閉館間際。
残念ながら、じっくり観賞する時間がなかった。
もう一度、足を運ぶ必要がありそうだ。
(続く)
必見の文物が多数出陳されているが、その目玉のひとつが阿育王塔である。
阿育王塔(あいくおうとう)[一級文物]
銀製・鍍金(内部は木組)
北宋時代・大中祥符4年(1011)、高さ 119cm
江蘇省南京市長干寺地宮出土
南京市博物館蔵
南京市の古刹・長干寺(ちょうかんじ)の地下から近年出土した新発見の仏塔で、この種の遺品の中では最大のものです。阿育王塔は、古代インドのアショカ王(阿育王)が八万四千の仏塔を造立したという故事にちなんだものです。他に例のない大きさ、細部まで克明に表現され、バラエティに富んだ図像、仏骨をはじめとする珍貴で多彩な副葬品など、どれをとってもこの種の仏塔としては規格外の規模と優れた出来映えを誇ります。そのため、中国の関係者は、これを「塔王」(仏塔の王様)と称し、驚異と賛嘆の念をもって接しています。圧倒的な存在感を放つ破格の仏塔の姿を目の当たりにする、絶好の機会です。
という。
たしかに「細部まで克明に表現」されているし、「規格外の規模と優れた出来映え」であるのは間違いない。
阿育王塔の展示は最後の最後である。
時間配分を間違えて、阿育王塔の展示にたどり着いたときは閉館間際。
残念ながら、じっくり観賞する時間がなかった。
もう一度、足を運ぶ必要がありそうだ。
(続く)
東京国立博物館 特別展「中国王朝の至宝」
東京国立博物館平成館で10月10日(水)から開催されている特別展「日中国交正常化40周年 中国王朝の至宝
」
を見てきた。
まだ始まったばかり、平日、ということで人は少なく、ストレスなく鑑賞することができた。
中国で最古の王朝といわれる夏の時代からおよそ4000年の間、中国各地にはいくつもの王朝が誕生し、特色ある豊かな文化が育まれてきました。それらは、相互に影響を与えつつ多様な展開をとげ、世界に冠たる中国文化を形成していきました。そして、日本をはじめ、近隣地域にも多大な影響を及ぼしていったのです。この展覧会では、夏から宋の時代にわたる中国歴代の王朝の都・中心地域に焦点をあて、それぞれの地域の特質が凝縮された代表的な文物を対比しながら展示するという新たな手法によって、多元的でダイナミックに展開してきた中国文化の核心に迫ります。国宝級の「一級文物」約60%というスケールで貴重な文物168件をご紹介します。
という。
(続く)
を見てきた。
まだ始まったばかり、平日、ということで人は少なく、ストレスなく鑑賞することができた。
中国で最古の王朝といわれる夏の時代からおよそ4000年の間、中国各地にはいくつもの王朝が誕生し、特色ある豊かな文化が育まれてきました。それらは、相互に影響を与えつつ多様な展開をとげ、世界に冠たる中国文化を形成していきました。そして、日本をはじめ、近隣地域にも多大な影響を及ぼしていったのです。この展覧会では、夏から宋の時代にわたる中国歴代の王朝の都・中心地域に焦点をあて、それぞれの地域の特質が凝縮された代表的な文物を対比しながら展示するという新たな手法によって、多元的でダイナミックに展開してきた中国文化の核心に迫ります。国宝級の「一級文物」約60%というスケールで貴重な文物168件をご紹介します。
という。
(続く)
日本新聞博物館「世界遺産 高句麗壁画古墳報道写真展」
日本新聞博物館で、10月16日(土)~12月16日(日)開催の「世界遺産 高句麗壁画古墳報道写真展
」を
見てきた。
日本新聞博物館は横浜情報文化センターの中にある。
みなとみらい線「日本大通り」駅の3番出口を出ると、そこはもう横浜情報文化センターに直結している。
この展覧会は
北朝鮮の高句麗古墳群は、狩猟図や衣服も鮮やかな女性像、繊細な四神図などの壁画で、世界的に知られています。この古代東アジアに開いた芸術の華は、日本の高松塚古墳やキトラ古墳との関連も深いと指摘されています。
共同通信社は、2010年と2011年、平壌とその周辺の古墳5基を独占的に取材撮影しました。76年前に日本の研究者が発掘した高山洞(コサンドン)1号墳(平壌)の四神図、外国メディアとして初めて取材した玉桃里(オクトリ)古墳(南浦(ナンポ))の人物群像図などの写真を紹介します。過去に取材した安岳(アナク)3号墳や江西(カンソ)大墓などの壁画写真とあわせて、高句麗文化の神髄を紹介するとともに、高山洞1号墳と高松塚古墳の実物大模型も展示します。
【高句麗壁画古墳】
高句麗(紀元前1世紀~7世紀)は、現在の中国・遼寧省桓仁(りょうねいしょうかんじん)付近で建国され、吉林省集安(きつりんしょうしゅうあん)、北朝鮮の平壌と南下しながら遷都を行い、5世紀には中国東北部、朝鮮半島北部で最大の版図を誇りました。集安や平壌周辺には高句麗時代の遺跡が数多くあり、石室封土墳(せきしつふうどふん)に見られる壁画には、当時の生活文化や思想などが生き生きと描かれ、2004年、北朝鮮の「高句麗古墳群」と中国の「高句麗の首都と古墳群」が同時にユネスコの世界遺産に登録されました。
とある。
展示は写真と説明のパネルだけだが、高句麗古墳のスケールと躍動感は想像以上で、見応えがあった。
12月16日(日)まで。
見てきた。
日本新聞博物館は横浜情報文化センターの中にある。
みなとみらい線「日本大通り」駅の3番出口を出ると、そこはもう横浜情報文化センターに直結している。
この展覧会は
北朝鮮の高句麗古墳群は、狩猟図や衣服も鮮やかな女性像、繊細な四神図などの壁画で、世界的に知られています。この古代東アジアに開いた芸術の華は、日本の高松塚古墳やキトラ古墳との関連も深いと指摘されています。
共同通信社は、2010年と2011年、平壌とその周辺の古墳5基を独占的に取材撮影しました。76年前に日本の研究者が発掘した高山洞(コサンドン)1号墳(平壌)の四神図、外国メディアとして初めて取材した玉桃里(オクトリ)古墳(南浦(ナンポ))の人物群像図などの写真を紹介します。過去に取材した安岳(アナク)3号墳や江西(カンソ)大墓などの壁画写真とあわせて、高句麗文化の神髄を紹介するとともに、高山洞1号墳と高松塚古墳の実物大模型も展示します。
【高句麗壁画古墳】
高句麗(紀元前1世紀~7世紀)は、現在の中国・遼寧省桓仁(りょうねいしょうかんじん)付近で建国され、吉林省集安(きつりんしょうしゅうあん)、北朝鮮の平壌と南下しながら遷都を行い、5世紀には中国東北部、朝鮮半島北部で最大の版図を誇りました。集安や平壌周辺には高句麗時代の遺跡が数多くあり、石室封土墳(せきしつふうどふん)に見られる壁画には、当時の生活文化や思想などが生き生きと描かれ、2004年、北朝鮮の「高句麗古墳群」と中国の「高句麗の首都と古墳群」が同時にユネスコの世界遺産に登録されました。
とある。
展示は写真と説明のパネルだけだが、高句麗古墳のスケールと躍動感は想像以上で、見応えがあった。
12月16日(日)まで。