11月1日。
この日を忘れることは、きっとないだろう。
新生児仮死という状態で生まれた次女は、
紫がかった肌で、
産声を上げずに静かに生まれてきた。
数分間の蘇生を経て、
産声を上げてくれたものの、
この地球の酸素濃度(21%)は、
彼女にとっては少し苦しかったようで、
保育器の中で
酸素を足してもらうことになった。
そんな事情もあり、
私は娘を残して1人で退院。
その2日後、
娘の退院の目処として伝えられていたのが
11月1日だった。
朝、搾乳を届ける時間を聞くために
産院に電話すると、
電話口の相手が
看護師さんからお医者さんに代わった。
保育器の酸素濃度を下げると、
娘の呼吸が不安定になるので、
23%から25%に上げたこと。
長期戦になりそうなので、
新生児科のある大病院で
専門的に診てもらった方が良いこと。
これから転院先を探すので、
病院が決まり次第、
救急車での搬送に同行してほしいこと。
退院日の目処として聞いていたその日は、
全く違う日になった。
電話を終え、
夫、手伝いに来ていた母、
長女のいる部屋に戻った私は、
「23%から25%に上がって…」
と言いかけて、
途端に声が詰まった。
長女の前で泣いたら心配をかけるから、
夫に「あっちの部屋で話そうか」と
涙声で言うのが精一杯。
別室で夫に事情を話して、泣き崩れた。
搬送先の病院が決まり、
産院に向かうときも、
お医者さんと話しているときも、
意外と冷静でいられた。
だけど…
救急車のサイレンが近づいてきて、
「娘が乗る救急車の音だ」と悟ると、
涙が流れてきた。
保育器から出された娘を抱き、
産院の受付に行くと、
救急隊がストレッチャーを準備して
待っていて、
待合室は物々しい雰囲気に包まれていた。
ストレッチャーに載せられた保育器に
娘を入れるまでの数分間。
それが、
私が初めて娘を腕に抱けた瞬間だった。
出産直後に写真を撮るために、
分娩台の上で
娘を腕に乗せてもらったけれど、
そこからはずっと保育器の中にいて、
保育器の小さな窓から手を入れて、
触れることしかできなかったから。
初めて我が子を抱けるのが、
救急車用の保育器に移すまでの
数分間なんて、切なすぎた。
待合室の患者さんたちからの視線が
自分に集まっているのを
気にする余裕もなく、
娘を抱きながら泣きじゃくった。
生後10日目、
転院した病院で、
初めて保育器の外で娘を抱けたとき、
何とも言えない幸福感に包まれた。
我が子なのに、
「え、抱っこしていいんですか?」って
聞き返したりして(笑)
だからかな。
生後2ヶ月半となり、
呼吸にも問題なく
スクスク成長している今でも、
スヤスヤ眠る娘を抱き、
ぬくもりを感じながら、
ソファに座って過ごす時間が、
何とも言えず幸せなのです