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私の上半期でNo.1の映画は「ブラックスワン」です。

しかしヤフーの評価などをみて愕然とした。。それについて私がなぜ「ブラックスワン」が面白かったかを語っていきたい。と共に、ヤフーでよく見たアホみたいな評価を批判?していきたい。

まあさておき、私が面白いと思ったのはストーリー。
最初にブラックスワンについて親切にも監督が説明しています(若干本物と違うけど)。
「純粋無垢な少女が一羽の白鳥に閉じ込められてしまう。自由を奪われ、自由を求める少女。その呪いを解くためには王子様の愛情が必要。しかしそれを邪魔する、双子のブラックスワンと悪の王子。絶望を感じ、白鳥は自殺。しかし死によって自由を少女は得たのであった。」(若干間違っていますが、大体あっていると思います)

まさに本編もそれにそったストーリーと言っていいと思います。悪の王子は監督役のヴァンサン・カッセル。双子のブラックスワンがミラ・クニスとそして自分自身、つまりナタリー・ポートマン。もちろん純粋無垢な少女で白鳥に封じ込まれたのもナタリー・ポートマン(ここでも二役を演じきっているのです。だと私は考えています)。
この作品ではラブストーリーが無いといってもいい。つまり主人公はブラックスワン(白鳥の湖)というのに呪われてしまっている。もし恋人などが現れれば主人公は生きているうちでの完璧=自由を
得られ、呪いもとけたであろう。しかし、それはストーリーに背いているので却下になったのだと思う。そして最後に主人公は死んでしまいます。つまり、本当の意味での完璧=自由を得るのです。まさに最後の言葉通り「完璧」。なストーリーでした。言うまでもなく演技もですけど。。

次から見なくてもいいけどヤフーで低評価をした人たちの主な書き込み
「あんな精神が弱い奴がプリマドンナになれるわけがない」
「ホラー映画じゃん」
「踊っている姿が素人」
「最後死んでしまった意味って?」
「本当に監督やスタッフはバレリーナの世界を知っているのか?」
などなど・・・。

一番多かったのが精神面のことや、まあプレッショーで押しつぶされる弱さについてかな。。

まず言っておきたいのが、
「あなたこそ本当のプリマドンナをみたことあるんですか?しかも24時間」
「本当の白鳥の湖を見たいのであれば劇場にいってください。ナタリーポートマンが完璧に踊り演じきったら、それこそ女優にならずにバレリーナになっているから」
「冒頭のブラックスワンについての話を聞いていましたか?」
「ホラー映画だったらそりゃつまらないですよ。でもこれはホラーじゃないから。どう感じたらそうなるのですか??????血やグロいところだけですか?浅すぎです。」

精神が弱いって、実際に一人とかになったその人がどうなっているかなんてわからないじゃん。例えプリマドンナだろうと。。周りにはそれはもうお高くとまっていたり、気が強く自分が一番みたいな風に見せるのは当然というか、それがトップの風格という成りでしょう。実際このナタリー・ポートマンだって(もちろん映画の中での)、周りから「精神弱いな」とか周りから思われていないし、参っている時には必ず一人で化粧室にいたり、または母親の前とか少数にしか弱さを出さず、周りには見せていません。
精神が弱いっているちょっとアホの人は、ある意味映画にのめり込んでいますよね笑。だってその姿を自分はみていると思っているから。映画でスクリーンで見ているのに。

それによく「プリマドンナは」って書き込んでいる関係者気取りか知りませんが、ヤフーの評価を書き込むぐらい暇人なあなたが、プリマドンナと本当にお知り合いですか?って感じです。そのプリマドンナの存在こそ疑わしいです

あとまだまだ書きたいことがありますが、今日はこの辺で。。
希望があればまたブラックスワンについて語ります。反応おまちしております。

今回は小説について語ります。もちろん私の考えで、他の人には理解してもらえないかもしれないけど。。。


友達に「これ読んだんだよね」と私はいう。

友達は「今更それ読んだの?」と、ちょい小バカにしてきた。

友達に「え?読んだの?」と聞く。

友達は「読んでないけど結構前に話題になったよね」といった。


友達のことを悪く言うわけではないけど、本を読まない人ほどメディア(特にテレビ)の情報だけで古い古くないを決めている。それも本の。。彼らは知らないのである・・・。


では、読書好きの友達との同じ会話。


友達に「これ読んだんだよね」と私はいう。

友達は「そうなんだ。感想聞かせてよ。」

以下その本の話題で盛り上がる。お互いの意見を言い合う。


小説好きは「小説に賞味期限がない」と知っている。


そしてだからこそ、永遠に語り続かれる小説がある。


仮にビジネス書を例にしたい。私もビジネス書は読むし、参考にすることは多々ある。またビジネス書によってお金持ちになったり、成功している人もいる。

ただ、ビジネス書は時代によって変化していかなければならない。つまり、昔のビジネス本が「今」通用するかといったらそうでもない。もちろん例外はある。例えばドラッガー「マネイジメント」や稲森和夫さんの「働き方」(ちょっと違うか?)などなどである。しかし、それらは数少ない。


時代が変わり、科学が進歩し、文化が栄え(または衰え)、人類が進化しても、どの世界にも小説は昔のまま不滅であり続けると思う。なぜならば小説は人が書いているからである。



「先生、どうしてなんでしょう。私、音楽が聞こえないんです。」

以下新潮文庫あらすじより

少女期の兄との近親相姦により、美しい「愛」のオルガスムスを味わった麗子は、兄の肉体への憧憬を心に育み、許婚者をも、恋人をも愛することができない。麗子の強烈な自我は彼女の不感症を癒すべく、懇切な治療を続ける精神分析医の汐見氏さへえもきまぐれに翻弄し、治療は困難をきわめる。


付け足しておくと、「音楽が聞こえない」と麗子は汐見の診療所に現れた。精神分析を駆使しその解決を探る汐見。音楽は何をさしているのか。そして麗子が抱える心の奥底に眠るものはなんなのか。




作品の冒頭で著者はこのように述べている―

「人間の性の世界は広大無辺であり、一筋縄ではいかないものだとという感を深くする。性の世界では、万人向きの幸福というものはないのである。読者はこれをしかと心にとめておいてもらいたい。」


この作品を読んでの感想は、性の奥深くに眠るコアの部分は少年期ないしは、幼少期に育まれる環境及び人間環境の記憶ではないだろうか。もちろん性とはさっきも述べたように広大無辺である。ゆえに語ることは不可能であろう。そして作品から引用させてもらうと「流露と阻害、破倫と純潔、精神と肉体、その他の人間の相対立」これらがこの作品のドラマチックな組み合わせを演出する。


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