先生が「これ,昨年度の試験の過去問」と,スクリーンに試験問題を映し出した.

何人かがスマホを構え,シャッター音が教室に響いた.
学生のジャーナリズムがうずいている.

今や,小学校低学年でも自分用のスマホを持っている時代だ.
キッズケータイとはわけが違う.
そういえば,キッズケータイにはそれにしか見られないデザインがあった.

触角が生えてる.
僕らにとっての「今」はドコモダケのストラップとキッズケータイを首からぶら下げていたはずなのに,あっという間にこれも「過去」になってしまった.
スマホを首からぶら下げるのはちょくちょく見るけど,ストラップというより今はケースと本体の間にチェキとか入れちゃう.
チェキは,それはそれで僕らにとっては「過去」だったと思うんだけど,いつの間にか「今」に戻ってきていた.
チェキだけじゃない.プリクラ,映画のチケット,ポケモンカード,ワンピースのステッカー,紙だったらなんでも入れていいというレギュレーションらしい.
僕も時代の波に乗ろうとして,「ビクティニ」のポケモンカードを入れているけど,ケースがすけてないから,ケースを取るまで気づかれることはない.

上野公園にいたパンダが中国に返還された.
パンダファンの皆様がお別れを伝えるところニュースで見た.
みんな自分の肉眼に焼き付けることよりもスマホの画面に,のんきに笹を食べる雑食動物を収めることに必死だった.
パンダファンのジャーナリズムがうずいている.
まあ僕はその人の熱狂具合に反応したテレビマンのジャーナリズムによってこれを知ったわけだけど.

大学の英語の授業の教室にはちょっと変わった人がたまにいる.
僕らが使うひとつ前のコマの授業に出て,教室のスクリーンの裏にある物陰で身をひそめる習性のある人だ.次の授業が始まるまでには出ていくので,特にこちらに不都合はない.
スクリーンで腰より上が隠れているが,ちょうどその人の見える位置に座った僕と同じ学部の学生たちがその人に気が付いてざわざわしだす.
僕もお手洗いに行こうと教室を横切ったときに,その人がいることに気が付いていた.
すると,僕と同じ学部の女の子がその人に向かってスマホを構えた.
同級生のジャーナリズムがうずいている.

僕は,スマホが物理的な攻撃力を大して持たないことは奇跡だと思っている.
スマホがあれば,買い物もできるし,知識も手に入る.ゲームもできるし,人とコミュニケーションだってできる.
こんなに便利なのに,物理的な武器にはならない.
もしスマホが銃だったら,シャッターという引き金を引かれて,大学の先生もパンダも,大学の変わった人もジャーナリズムに殺されていたのかもしれない.

こんなことを考えてしまうくらいに,僕はシャッター音に違和感を覚えている.
芥川賞作家の受賞会見,国際映画祭,汚職した議員の記者会見,一度は容疑者と呼ばれるも釈放された芸能人が出てくる湾岸署の通用口.
過剰なシャッター音.撮られている人はだれもこのシャッター音に喜びを感じているように見えない.

せめて僕くらいは,ジャーナリズムを抑えて暮らそうと思った.