今回の件で

一番大人だったのは

娘だったかもしれない

今年、薬を多量接種して

植物人間状態になっていたかもしれなかったことが


3月25日に、国交省の出先機関である東京国道事務所内で

職場内での嫌がらせに耐えられず

職場や組合、国交省の幹部や国土交通大臣にまで
mailをして飲んだ

でも、逝けなかった。
昏睡状態が3月29日まで続いたものの
翌日には、退院した。

生き残りはしたものの、その結果
4月から決まっていた更新を3月31日に拒絶された。


それまで、いろいろと関わってきた組合にも見捨てられた。


生き残ってしまったために、真摯に受け止めてもらえなかった対応に


生き残ったことをずっと後悔していた。


それでも生きていくために、新たな職場を見付けた。

簡易裁判所だった。


でも、前の職場で言われ続けた言葉が


何度も谺して、フラッシュバックをお越し

出勤できなくなってしまった。


前の職場で、オルグへ行った時に

他の地域で似たようなことがあり

似たような症状を起こした娘の話を思い出していた

突然、連絡もなく休んでしまう

そんな彼女を支えられながら、そこでは、みんな働いていた


私の周りには、何もなく

今の職場も辞めてほしいと言われ


紹介された心療内科医にも酷いことを言われ

そんなときだった。


8月14日、

仕事にも行かれない

親としてもダメな自分を責め

今年、2度目の多量接種だった。


一度目、娘は集中治療室で私の手を握り

私を揺すり

『お母さん、お母さん。目を開けて』

そう言って泣いたそうだ。

娘は、何も悪くなかったのに

自分と兄(息子)にも責任があると

帰宅後に言っていた。

二度目の時は、引金であっても

息子のせいではないと

兄に向かって話した娘

息子は、

自分が傍にいたら、またお母さんを追い詰めてしまう

そう責任を感じで

高校1年生だというのに

家を出る覚悟をしていた。


本当は、親である私が守らなければならないのに

私が子供たちに守られていた。

前の職場の職員が

私の息子は、クズだと言っていたが

私にとって、この子たちは

何よりも、誰よりも大切なものであり


宝物だったことを思い出した。


退院して今日で二日目

まだ、眠ることすらできないが

買い物にも、気分転換にも、いつも2人が私に付き添った。

眠るときも娘が隣にいてくれている。

こんなに幸せなのに

何もしてあげれない

自分がもどかしい


だからこそ
自分が生きている価値はないと思っていた。

でも、もう一度

歩く決意をさせてくれたのも

こんなになってしまった私を許してくれた

子供たちがいたから


心身ともに元気になって

大切なものを守りながら

今度こそ

未来を明るいものにしたい。


そして、自分自身が受けた痛みと

同じ痛みを受けている人たちを

自分と同じように追い詰められてしまわないように

逃げることなく、生きていけるような

社会環境にしていけるように

貢献できればと思う。