食事については、高校生の頃には、トラウマとなってしまい

見ただけ、匂いだけで嗚咽して食べられなくなってしまったものが
かなり増えていました。

絶対に食べることができなくなってしまったものとして

牡蠣、蝦蛄、海鼠、イクラ、ウニ、生レバー、猪・鹿・馬のお肉、レアのお肉、白魚、ドジョウ、雀の焼き鳥などでした。

私が苦手と表現したものは、
その食材尽くしで出されます。

しかも、大盛りラーメン用どんぶりで、山盛り二杯が食卓へ

牡蠣ならば、牡蠣の炊き込みご飯、酢牡蠣、牡蠣のお味噌汁だけです。

食べなければ、食べるまで殴られなければなりませんでした。

蝦蛄も殻つきのまま食卓に山盛り出され
おかずはそれだけ

イクラもウニもどんぶりで、それOnly

ドジョウと白魚は、小学一年生の時に
おどり食いで、口に無理矢理入れられ

『可哀想で食べられない』と泣くと

『人が美味しくて珍しいものを食わせようとしてるのに、人の好意を無にするのか!』

と殴る蹴るされ、口にいっぱい入れられて
口を押さえ付けられました。


私が食べられなかった食材は、翌日も翌々日も出されました。

食べれる努力や工夫を考えることも許されず
味付けや薬味、火を通すなどして、工夫して食べるようにしようとすると

食べられなかった方法で食べることを、体罰で強要されます。


大袈裟に思われるかもしれませんが
私にとって、家での食事は、拷問とも思え

憂鬱な時間でしかありませんでした。


『他の家庭でも、同じようにされてんだよ!』
『てめぇが我が儘なだけだ!』


そう言われて、私は味覚がおかしいのだとずっと思っていました。

父も継母も弟も妹も
勿論、好き嫌いはありました。

トマト、しいたけ、人参、ピーマン、山菜など野菜が多かったのですが

でも、それは食卓には殆どあがることはありませんでした。


彼らは
『よそ様宅に行ったときに、食べれないとお前が困るから、お前のためにやってやってるんだ』

そう言って、焼肉では、ユッケや生レバー

普段は、殆どが内蔵もエラも鱗すら処理していない
東京の普通の醤油と砂糖だけで煮魚

殴られて、蹴られて、生臭いものばかりの食事で小学生まではガリガリでした。

中高生の頃は、ごはんで飲み込んで食べました。


大人になってから継母は、『あの頃の食卓は、パパが好きなものにしてたから
パパが好きなものは、お前の嫌いなものばかりだったから仕方ないのよ』


それは、まったく違う。

あなたに料理に対する向上心や勉強する意識がなかったから

酷いものを食べさせられていたと私は思ってる。

あなたの母親は、お魚、ちゃんと下拵えして料理してたじゃない。

祖母に教えてもらうこともできたのに

父が好きだった食物は、食材だけで食べ方はいろいろあったのに
めんどくさいのと知らないからと
作らなかったのに


当時は、泣き泣き最後まで食卓に座らされていたときに

あなたが、ニヤツキながら実況して父に殴らせてたじゃない

いつまでも、被害者の仮面をつけたまま

加害者なのに、被害者を演じてるのね