お話

お話

思いついた話を載せて行きます。お付き合い下さいませ。

 サムソンの話が広まるにつれ、フィリスティアのイスラエルに対する物言いが少なくなってきた。下手な事をしようものならサムソンがやって来るからだ。それならば、懐柔しながら支配をしておいた方が良かった。無理のない範囲で税を集め、無理にない範囲でフィリスティアの文化を浸透させ、無理のない範囲でイスラエルに譲歩した。フィリスティアの支配をあまり感じさせない環境になって行った。そのせいか、イスラエルは悔い改め、徐々に真の神へと戻りつつあった。
 フィリスティア側からすれば、そのような状況を苦々しく思っていた。サムソンが正に目の上のこぶだった。
 サムソンさえ取り除けば怖れるものは無い。しかし、あの怪力をどうすればよいのか。あの力がイスラエルの神から出ているのならば止めようがないのか。いや、何か方法があるはずだ。本当にそんな方法があるのか。フィリスティアの枢軸領主たちは集まってはそのような議論を繰り返していた。
 
 そんな折、サムソンはソレクの奔流の谷に住まうフィリスティアの女を愛するようになった。
 その女は名をデリラといった。
 今のこの状況は、サムソンが若い頃にフィリスティアの娘をめとろうとし、付き添いの者たちになぞかけをし、その答えを婚約した娘を使って聞き出し、それに腹を立てたことが始まりだった。
 サムソンはフィリスティアに反抗し、真の神が怪力をサムソンにお与えになった。フィリスティアは恐れ、イスラエルへの支配も緩んできている。真の神への信仰も取り戻しつつある。しかし……

 あの時と同じように、フィリスティアがデリラを使ってサムソンの秘密を暴くのではないか。
 デリラは噂に聞く美女だ。秘密云々の前に骨抜きにされてしまうのではないか。
 骨抜きならばよいが、寝返ってフィリスティアに付いてしまったら、イスラエルはどうしようもない。
 いや、真の神が士師とされたのだから、きっとフィリスティアを倒してくれるだろう。その前触れに違いない。

 様々な懸念や憶測がイスラエルではささやかれていた。

「デリラはいるか?」
 威圧的な口調で呼ばれ、デリラはむっとした顔で家の外に出た。上等の衣服に身を包んだ年配者たち数人が立っていた。
「おお、お前がデリラか……」一人がデリラを見て、いやらしい笑みを浮かべた。「話には聞いていたが、美しいな」
「そりゃ、どうも……」デリラは表情を崩さない。「で、あなたたちは?」
「わしらはフィリスティアの枢軸領主だ」
「……」デリラは戸惑い、一歩下がった。「そんな偉い方々が、わたしに何の用です……」
「まあ、そう恐れずとも良い」別の枢軸領主が優しく微笑んだ。「お前はイスラエルの士師、サムソンに想われているようだな」
「でも、でも!」デリラは緊張した様子で答えた。「言い寄ってきたのはサムソンです! サムソンは『誰かが文句を言ってきたらオレが吹き飛ばしてやるから心配するな、それがフィリスティアでもイスラエルでもだ』と言いました。だから、わたしも受け入れたんです。今、こうして皆さんが来たのは、わたしを糾弾するためでしょうか? だとしたら、サムソンが戻って来たら話をしなければなりません! わたしのためならサムソンは喜んであなたたちを、それこそ吹き飛ばしてくれるでしょう!」
「まあ落ち着きなさい」笑顔の枢軸領主はデリラの方に優しく手を置いた。「誰もお前を糾弾しようとは思っていない。ただ、手を貸してほしいのだよ」
「手を貸す……?」デリラの緊張が少し緩んだ。「どう言う事ですか?」
「お前もフィリスティアの者だろう。最近のイスラエルの図々しさは目に余る」
「このままでは、イスラエルが我々を滅ぼそうとするかもしれない」
「そして、その先頭に立つのが、士師であるサムソンだ」
「そうは言いますが、あの人、サムソンはわたしには手を出すことはないはずです」
「そう、サムソンは、手を出さないかもしれない。しかし、イスラエルが攻めてきたら、その者たちによってお前は殺されるかもしれんぞ……」
 枢軸領主の言葉にデリラの顔が蒼白になる。
「そこでだ……」笑顔の枢軸領主がデリラに顔を寄せ、小声で続けた。「サムソンをだまして、あの大きな力が何によるのか、どのようにしたら打ち勝つことができるのか、どうしたら必ずやつを縛って制裁できるのかを見つけてくれないだろうか。そうすれば我々としては,めいめいが銀千百枚をお前に与えよう……」
 デリラの表情が変わった。
 

 

(士師記16章4節、五節をご参照ください)

 フィリスティアの都市、ガザの人々は互いにささやき合った。

「おい、聞いたか? サムソンがここに居るらしいぞ」
「あの家らしいぞ」
 指さされた家は、遊女のものだった。
「よりによって遊女の家とはな……」
「まあ、まともな宿じゃ、誰もサムソンを泊めやしないがな」
「それにしても、イスラエルの士師様が、つらっとしてここへ着やがったもんだ!」
「怖いもの知らずなんだろうさ」
「話だと、怪力サムソンと言われているらしいぞ……」
「ユダのレヒで、オレたちの兵を千人倒したそうだ」
「そうそう、それもろばのあごぼねだけでだそうだ」
「信じられないな……」
「たしかユダの連中が三千人でサムソンを捕えに行ったそうじゃないか」
「そうだって話だな」
「きっとその三千人がサムソンと一緒になったんだ」
「そうだ! いくら怪力とはいえ、ありえない話だものな!」
「そうなると、怪力自体も怪しいものだな」
「イスラエルたちの作り話ってことか」
「でも、イスラエルの真の神が力を貸したって言う話も聞いたぞ」
「お前、我らの神ダゴンを侮辱するつもりか! ヤツらの神の方が上だとでもいうのか!」
「そうは言うが、その昔、やつらの二人目の士師シャムガルが、六百人ものオレたちの兵を牛の突き棒で倒した事があったってことだ」
「それだって、誰も目撃したわけじゃないだろう? ヤツらが話を盛ったんだよ」
「そうだな。イスラエルがはったりをかましているんだ」
「たしかに、ちょっとは力もあるだろうが、これだけの人数でかかれば問題なしだろうさ」
「今日は助ける三千人もいないしな」
「じゃあ、朝日が差してきたら襲って殺してしまおう!」
「そうしよう! 一斉に襲いかかればあっという間だろう」
「それじゃ、出入りの門の所で待ち伏せしようじゃないか」
「そうだ、サムソンがこそこそと逃げ出したら、そこで襲ってしまえるしな」

 夜半になって、サムソンが泊まっている遊女の家の扉が開いた。大きなからだが扉からのそりと現われた。月明りにその姿が鮮明に見えた。
 城門の脇の茂みで待ち伏せしている人々がささやき合う。
「おい、あれがサムソンか?」
「ああ、そうだ」
「あんなに厳ついからだをしているのか! 怪力の噂が本当のように思えてくるな」
「な~に、見かけ倒しだよ」
「誰も居ないとでも思っているのか、のん気に伸びをしてやがる」
「これからこそこそと逃げ出すんだろうさ」
「そのために、からだをほぐしてやがるのか」
「さあ、襲いかかる準備をしようか」
「……おい! こっちへ近づいて来るぞ!」

「おや? 季節外れの虫が鳴いているぞ」
 サムソンは出入りの門の脇の茂みの前でわざとらしくつぶやいた。
 気付かれたと思った人々は息を殺した。近くで見るサムソンは威圧的だった。人々の意気はすっかりくじけていた。
「さてと、イスラエルに帰るとするか…… ガザの連中はおとなしそうだから、悪さはしないだろう」
 サムソンは、ふっふっふと愉快そうに笑い、出入りの門の前に立った。そして、扉と二本の側柱をつかみ,それをかんぬきを付けたまま軽々と引き抜いた。それを肩に担いで悠々と歩き去った。

 サムソンの気配が消えてしばらくし、茂みから人々が出てきた。
 ぽっかりと空いた出入り門の跡を、人々は呆然として見つめていた。
「あの重い扉を柱ごと引き抜いたぞ……」
「それも軽々とだ……」
「オレは見た! サムソンがあの扉を肩に担いで平然と歩いている姿を!」
「……サムソンの怪力は本物だ……」

 それからしばらくして、ガザに知らせが入った。
 ガザの出入りの門が、ヘブロンの山の頂に置かれているというのだ(ガザから約六十キロメートル離れている)。
 ガザの人々は、いや、フィリスティア人全体が、屈辱と恐怖を覚えた。
 怪力サムソン、フィリスティアを怖れぬサムソン、士師シャムガルの再来、フィリスティア人たちは口々に噂し合った。

 フィリスティアの枢軸領主たちは、サムソンの大きな力が何によるのか、どのようにしたら打ち勝つことができるか、考え探ろうとしていた。

 

 

(士師記16章1節から3節をご参照ください)
 

 ユダの人々が三千人が集められ、エタムの大岩へ向かった。
「こんなに大人数が必要なのか?」
「フィリスティアに誠意を見せるためじゃないのか?」
「いや、サムソンが怪力の持ち主だからだ」
「そうだってな。だからこれだけの数を集めたってわけだ」
「でも、同じイスラエルの者だろう?」
「フィリスティアの娘と結婚したがるような男だからな……」
 人々は言いながら、エタムの大岩に着いた。君の一人が裂け目に向かって呼ばわった。
「サムソン! 出て来るが良い!」
 その声にサムソンは出てきた。茫々に伸びた髪の毛と髭。薄汚い服。しかし、その隆々たる肉体はやってきた三千人をたじろがせるほどの迫力があった。
「こんなに大勢で、オレに何の用だ?」サムソンは不思議そうな顔をしている。「力仕事ならいくらでも手伝うが……」
「……サムソン……」君が溜め息をついた。「お前、フィリスティア人が我々を支配していると言う事を知らないのか?」
「知ってるさ。オレが生まれるより前からだ」
「じゃあ、なぜ我々にこんな事をしたんだ! お前のせいで、フィリスティアがレヒに攻め上ってきたのだ」
「やつらがオレにしたように、オレがやつらにしてやったんだ。オレは妻を殺されたんだぞ! だからそれに加わったやつらを殺したんだ!」
「原因はお前にあるんじゃないのか?」
「やつらは卑怯だった。オレの出したなぞなぞの答えを、妻に聞き出させたんだ。それだけじゃない! 舅はオレの妻を他人に勝手にくれてやってんだぞ! こんなふざけた話があるか!」
「お前がイスラエルから妻をめとれば何も問題は起こらなかったのだ」
「何言ってやがる! お前ら年長の者たちが真の神から逸れたのが原因だろうが! お前らがしっかりしていれば、こんな馬鹿な事なんぞ起こらなかったんだ!」
「今はそんな話をしていても仕方ないのだ、サムソン。我々はお前を縛り、フィリスティアに渡さなければならない。そうしなければイスラエルに多くの犠牲者が出るだろう」
「……真の神よりもフィリスティア人か……」サムソンは拳を強く握った。「……お前らはオレを襲わないと誓うか?」
「誓おう。我々はお前を縛ってフィリスティアに渡すだけだ。お前を討つようなことはしない」
「……わかった」
 サムソンは両腕を差し出した。人々は二本の新しい縄でサムソンを縛り上げ、レヒまで連れて行った。
 
「おい、サムソンだぞ!」
 連れて来られる姿を見てフィリスティアの兵が叫んだ。
「あれが怪力サムソン、乱暴者のサムソンか!」
「人殺しの大罪人だ!」
「同胞に縛られるとは、愚かで迷惑なやつだ!」
 兵たちは罵り、歓呼の声を上げた。
「ご苦労だったな」将軍は君に言い、にやりと笑った。「これで、お前の首はつながったな」
「いえ、滅相もない事で……」
 サムソンは、囃し立てる兵たちや、将軍に媚を売る君たちを見ながら怒りに震えた。
 ……情けない! 真の神! もうオレの妻の復讐なんて話じゃない! イスラエルはフィリスティアに支配されることの疑問を持たないのですか! 今ここに裁き人、士師を遣わしてください! 真の神のイスラエルを取り戻すために! ソロモンは心の中で真の神に苦悶の叫びをあげていた。

 その時、真の神の霊がサムソンに働いた。そして、その両腕にあった縄は火で焼け焦げた亜麻糸のようになって、縄目は手から溶け去った。サムソンは自由になった両腕を大きく振り回した。
 フィリスティアの兵たちは動揺した。サムソンが縄目を引き千切ったように見えたからだ。慌てて武器を構え、サムソンに突進する。
 サムソンは雄ろばの水気のあるあご骨を見つけ、手を伸ばしてそれを取った。それを振り回して兵たちを迎え討った。骨は砕けることも無く、群がる兵を次々と倒して行く。
「なぜ骨ごときで、我らを倒せるのだ!」フィリスティアの将軍がサムソンに胸倉をつかまれながら叫ぶ。「それに、お前のこの力は何なのだ!」
「オレのこの力はイスラエルの真の神から出ているのだ!」サムソンは骨を振り上げた。「そして、オレはお前たちフィリスティアを討つためにこの力を使うのだ! オレが裁き人、士師となるのだ!」
 サムソンは骨を振り下ろした。将軍は倒れた。

 しんとなったその場に、一千人のフィリスティアの兵が倒れていた。
「雄ろばのあご骨をもって、一山、二山! 雄ろばのあご骨をもってオレは一千人を討ち倒した!」
 サムソンはそう言うと、その骨を投げ捨てた。そしてここを、フィリスティアの兵を一千人倒した場所を「ラマト・レヒ(あご骨の丘)」と呼んだ。
 不意にサムソンは喉の渇きを覚えた。サムソンは天を仰いだ。
「この大いなる救いをこの僕の手中に与えてくださったのは真の神、あなたです。それなのに今、オレは渇きのために死ぬのでしょうか。無割礼の者たちの手に落ちなければならないのでしょうか」
 すると神はレヒにある搗き臼型のくぼ地を裂いて開かれた。水がそこから出て来た。サムソンはそれを飲むと、霊は元に戻って生気づいた。そのため、そこの名を「エン・ハコレ(呼ばわった者の泉)」と呼んだ。それは今日までレヒにある。
 
 そしてサムソンはフィリスティア人の支配の間、裁き人、士師としてイスラエルを二十年間裁いた。

 

 

(士師記15章11節から20節をご参照ください)
 

 小麦の収穫の時期に、サムソンは子やぎを携えて自分の妻を訪ねに行った。
「なんだかんだ言っても、オレは妻を愛しているんだよなあ……」
 怒りが鎮まるにつれて、妻を愛しく思う気持ちが強くなったのだ。
 妻の家に着いた。
「さあ、奥に入れてくれ」
 サムソンは言ったが、妻の父親は許さなかった。
「お前はきっとあの子を嫌っているに相違ないと、わしは思った」父親が言う。「それであれは、お前の花婿付き添い人に与えた。それよりどうだ、妹のほうがあれより器量が良いではないか。さあ、妹の方を代わりにお前のものとするが良い」
「なんだって!」サムソンは叫ぶと、そこに居た人々を見回した。「なんて勝手な人たちなんだ!」
「だがな、誰がどう見ても、あの時のお前は怒り心頭だった。とても娘をめとるというものではなかった」
「あんたらは結婚てのをそんな程度のものと思っているのか? オレの心も考えずに、勝手な事をしてもいいと言うのか?」
「取りつく島など無かったろうが」
「妻も同意してって言うのか?」
「あれはお前の怒りを恐れていたよ」
「怒らせたのはそっちじゃないか!」サムソンは携えてきた子やぎを解き放った。「あんたらフィリスティアに害を加えたとしても、今度はオレの罪とはならない!」
 そう言い捨てるとサムソンは走り去った。

 サムソンは三百匹のキツネを捕まえた。それらの尾と尾を向き合わせて、その間にたいまつを結びつけた。その後たいまつに火を付け、キツネをフィリスティア人の刈ってない穀物畑の中に放った。こうしてサムソンは、穀物の束から刈り取っていない穀物まですべての物、またぶどう園とオリーブ畑も火で焼いた。
 焼き払われた畑を見て、フィリスティアたちは「誰がこんな事をしたんだ!」と口々に言い合った。すると、一人が言った。
「あのティムナ人の娘婿サムソンだ。父親が、舅がその妻を取って、花婿付き添い人に与えたからだ」
 それを聞いた人々は怒り、舅の家へ行き、家もろともに舅と妻を焼いた。
 サムソンはその話を聞いた。サムソンは怒りに震えた。
「なんて事をしやがったんだ! オレの妻を焼き殺しやがって! 腹を立てる相手はこのオレだろう! 復讐してやる!」
 サムソンはティムナは乗り込んで暴れた。そして、大勢を殺した。その後、エタムの大岩の裂け目、洞窟に住むようになった。

 フィリスティア人たちはユダの中に宿営を張り、レヒを攻めた。レヒはユダの地にある。そこで、ユダの君たちがフィリスティアに問うた。
「どうしてあなた方はわたしたちに向かって上って来たのですか。イスラエルはすでにフィリスティアの下にありますのに」
「サムソンだ!」フィリスティアの将軍が吐き捨てるように言った。「あやつが我らに何をしたか、知っておるか」
「はい、聞いております。恐れを知らぬ者でございます……」
「ならばわかるだろう?」将軍は怒りを込めた目で君たちを見回す。「あやつを縛るために来たのだ。我らにした通りの事をあやつにしてやるためだ!」
「ならば、わたしたちの命じていただければ良いものを……」君の一人が言う。「サムソンは今はエタムの大岩の洞窟におります。我々が言って連れて参りましょう」
「あの暴れん坊の怪力を、お前たちが?」将軍はあざけるように笑った。兵たちも笑う。「良いか、あやつの罪は今回だけではない。婚宴の際にも三十人のフィリスティアの同胞を手にかけている。もしお前たちがサムソンを連れて来られなければ、まずは三十人で罪を償ってもらおう」
「罪を償うとは……?」
「命を奪うと言う事だ! 真っ先にお前だ!」将軍は連れて来ると言った君を指さした。「それが嫌なら、さっさと行って、連れて来い!」
 

 

(士師記15章1節から10節をご参照ください)

 

 

 サムソンのなぞなぞの答えを考えを考えていた付添い人たちだったが、三日経っても答えが出なかった。
 その間中、サムソンが「答えは出たか?」と聞いて来るのが煩わしかった。また、思いつく限りの答えを出すものの「はずれ~!」と小馬鹿にしたように言われるのも癪だった。
 婚宴が四日目になった時、彼らはサムソンの妻をこっそり呼び出して言った。
「このままでは婚宴の一週間の間に答えが出せない」
「あのイスラエルの若僧に、ひと泡吹かせたいものだ」
「お前はオレたちの持ち物を奪うつもりでオレたちをここに招いたってのか?」
「お前の夫をだまして、答えを聞き出せ。さもないと、お前とお前の父の家を火で焼いてやるぞ」
 怒りに駆られた男たちに迫られて妻はうろたえ、サムソンに泣きついた。
「ねえ、あなた……」
「なんだい、愛しの妻よ」
「あなたはわたしを嫌っているのね。愛してなどいないんだわ……」
「何を言い出すんだ!」
「だって、あの人たちに出したなぞなぞの答えを教えてくれないんだもの……」
 妻はサムソンの分厚い胸にすがって泣き出した。
「待て待て、愛しい妻よ」サムソンはためらいがちにその背中を撫でる。「オレの父さんや母さんにも話していないのに、どうしてそれをお前に話さなきゃならないんだ?」
「だって……」
 妻は泣き出した。サムソンは困惑したように頭を掻いた。 

 宴会が続いている日の間、どんなにサムソンが機嫌を取っても聞く耳を持たず、すんすんと、時には大きな声で泣き続けた。そして、二人きりになると、なぞなぞの答えを教えないのは愛していないからだと責めた。そのわけを知っている付き添い人たちは、あえて知らぬ顔をし、宴会を楽しんでいた。
 ついに七日目にサムソンは妻に言った。
「わかった、愛しい妻よ。お前に答えを教えよう……」
「嬉しいわ!」妻はぴたっと泣き止んだ。「じゃあ、教えて! これは愛の証しなのよ!」
「『蜜より甘いものに何があろう。ライオンより強いものに何があろう』ってのが答えだ」
 サムソンは言った。妻は覚え込むように何度も口の中で繰り返した。
「とっても嬉しいわ、あなた……」
 妻はサムソンの胸に顔をうずめた。しかし、その顔には嬉しさとは別の意味を表わす笑みが浮かんでいた。

 サムソンは七日目の昼間に、妻の家の奥の部屋に入る前に、付き添い人たちから声をかけられた。
「おい、サムソン! 『蜜より甘いものに何があろう。ライオンより強いものに何があろう』、なぞなぞの答えは『蜜とライオン』だ!」
 哄笑が湧き上がる。それを聞きながらサムソンは怒りに全身を震わせた。
「『わたしの若い雌牛ですき返さなかったなら、あなた方はわたしのなぞは解けなかったのだ』!」
 そう言うと、サムソンは妻を睨み付けた。そして、無言のまま去って行った。

 そして、神の霊がサムソンに上に働いた。「その者は、先頭に立ってイスラエルをフィリスティア人の手から救う者となる」との最初の言葉が徐々に明らかにされるためだった。神はサムソンの怒りを留めなかった。
 サムソンはそのまま港町アシュケロンへ下った。そこで三十人を襲って殺し、衣類をはぎ取った。
 それから、それらを抱えてティムナに戻り、なぞを解いたと吹聴する付き添い人たちに投げつけた。
「さあ、受け取れ! 卑怯な手を使ったお前たちには、この程度の物で良いだろう!」
 しかし、怒りは治まらなかった。サムソンは大きな怒りを抱いたまま自分の家に帰って行った。
 サムソンの妻はその父親によって、花婿の付き添い人の一人に渡された。
 
 

(士師記14章14節から20節をご参照ください)

 サムソンはフィリスティアの娘を連れて来ようと思いティムナへ出掛けた。

 イスラエル人はそれ以外の者との婚姻は許されてはいない、異教の者との結婚はもっての外だ、全く今の若者たちと来たら真の神をないがしろにして、など色々と言われた。
「そんなに言うんなら、フィリスティアの支配から離れればいいだろう! 負け犬の遠吠えみたいなことを言ったって、事態は変わらないぞ!」
 サムソンはそう答え、ぐっと力こぶを作ってみせた。その大きさと力強さに文句を言う者は皆黙ってしまった。
 ……ふん、どうせ力には負けるんだ。腑抜けのイスラエル! 口だけ達者なイスラエル!
 サムソンは、フィリスティアに支配されるままにした、親より上の代のイスラエルを軽蔑していた。

 ティムナを歩いていて、ぶどう園にさしかかった。
「そうだ、あのライオン、どうなった?」
 サムソンは倒したライオンの死骸に近寄った。
 日に干されからからになった死骸の中に蜜蜂が群れていて、蜜が溜まっていた。
「ほう、こりゃあ美味そうだ!」
 サムソンは手で蜜をかき集め、歩きながらそれを舐めた。
「美味い! これは父さんと母さんにも味わってもらおう!」
 サムソンは踵を返し、両手を合わせて深皿のようにした中に貯めた蜜を時々舐めながら、家に戻った。

 家に帰り、サムソンは蜜を見せた。母は器を出し、サムソンがその中に蜜を流し込む。父が匙ですくい上げて口に入れる。満足そうにうなずいた。母も父から匙を受け取り、すくい上げて口に入れた。そうして微笑みながらうなずく。
「サムソン、こんな美味い蜜、どこから見つけてきたんだね」
「とても美味しいわ。なんだか元気になったようよ」
「そうか! それは良かった!」
 サムソンも大喜びだった。しかし、その出所については話さなかった。と言うより、話せなかった。
 
 サムソンは父と共にフィリスティアの娘の所に行った。結婚の承諾を伝えに行くためだった。
 サムソンは宴会を催すことにした。婿になる若者の習わしだったからだ。フィリスティアの人々は、三十人の花婿の付き添い人を連れて来て、共に宴会に出席させた。
 宴会は大いに楽しいものとなった。そこにはイスラエルとフィリスティアの区別は見られなかった。
「さて、ご来席の皆様!」サムソンは立ち上がった。酔って上機嫌だった。付き添い人の三十人を見回した。「ここで、皆様になぞなぞを出しましょう! もし、この宴会の七日の間に正解されれば、オレは三十枚の下着と三十着の衣服を必ず皆様に差し上げます!」
 サムソンの言葉に、酔った付き添い人の若者たちは歓喜にどよめいた。それを制してサムソンは続けた。
「だがしかし! もし正解できなければ、皆様の方が三十枚の下着と三十着の衣服をオレにくれなければなりません」
「わかった! では、そのなぞなぞを出すんだ。聞かせてもらおうか!」
「では……」サムソンは軽く咳払いをする。……ふん、絶対解けっこないさ! サムソンは心の中でほくそ笑んだ。「『食らう者から食い物が出、強い者から甘い物が出た』」
 一瞬しんとなった。
「……なんだそりゃ?」
「訳わかんね」
「酔った勢いで口から出まかせか!」
 怒りの眼差しがサムソンに注がれる。しかし、サムソンは平然としている。むしろ、口元に不敵な笑みが浮かんでいる。
「こりゃ、オレの勝ちだな……」
 サムソンはそう呟いて、ぶつぶつ言っている周りを見ながら、酒の注がれた大きな杯を空けた。
 

 

(士師記14章8節から14節をご参照ください)

「父さん! 母さん!」
 サムソンは上機嫌で両親のところにやってきた。
 サムソンはすでに立派な逞しい若者に成長していた。
「どうしたんだい、サムソン?」上機嫌な息子の様子に母が尋ねる。「良い話でもあるのかい?」
「そうなんだよ、母さん」サムソンは満面に笑みを浮かべる。「ティムナにさ、フィリスティア人の良い娘がいてさ……」
「ほう、その娘さんがどうしたの?」
「その娘をさ、オレの嫁さんにもらってほしいんだ」
 その言葉に両親は顔を見合わせた。それから大きな溜め息をついた。それから父はサムソンの前に立った。すでに父の背を超えたサムソンを見上げる。
「お前なあ……」父が苦りきった顔で怒鳴った。「お前の兄弟たちの娘の中にも、わしのすべての民の中にも女がいないとでも言うのか! それで、お前は無割礼のフィリスティア人の中から妻をめとると言うのか!」
「まあまあ、お父さん……」怒る夫を制して母がサムソンに言う。「サムソン、イスラエルはフィリステアに支配されているのを、知らないわけじゃないわよね」
「知ってるよ。オレが生まれるより前からだ。たしか士師のアブドンがやらかしたから支配されたって聞いた……」
「それはともかく!」母も珍しく語気を荒げた「支配している忌々しい敵の娘をめとりたいなんて、どう言う事なんだい? お父さんの怒りももっともだわ。……どうだい、考え直せないのかい?」
「あの娘をオレのためにもらってくれよ」サムソンは一歩も譲らない。「あの娘は最高なんだよ!」
「なあ、母さん……」父は諦めたようにつぶやく。「この子は、小さい頃から言い出したら聞かない性分だったなあ。……やっぱり、み使いに会ったなんてのは夢か幻だったんだよ……」
「そうだったのかもしれませんね。期待しすぎたのね……」
 両親はまた大きな溜め息をついた。
 しかし、父と母は、これが真の神から出ている事、サムソンを用いてフィリスティア人に立ち向かう機会を求めている事を知らなかった。

 サムソンは両親を連れてティムナに向かった。ティムナはユダとダンの境界にあった場所で、ツォルアからおよそ五キロ西へ行ったところにある。
 重い足取りの両親と軽やかに先を進むサムソンの一行はティムナのぶどう園まで来た。サムソンは足を止めた。動物のうなり声を聞いたからだった。サムソンは素早く両親のもとに駆け寄る。
「サムソン、あれは……」
「あれは、ライオンのうなり声か?」
 両親が抱き合って震えている。
「オレが見てくる。ここを動かないでいるんだ」
 サムソンは言うと、声のする方へと分け入った。
 しばらく捜し歩くと、たてがみのある若いライオンが吠え猛ながら、サムソンに突進してきた。
「おのれぇ!」
 サムソンは素手ではあったが身構えた。
 ライオンが獰猛な牙をむき出しにして飛びかかってきた。サムソンは噛みつかれない様に、その上あごと下あごに手をかけた。
 その時、真の神の霊がサムソンに働きはじめた。
 サムソンは、人が雄の子やぎを二つに裂くかのようにして、ライオンを二つに引き裂いた。
「……危うく喰われるところだった……」ライオンの死骸と自分の両手を交互に見ながらサムソンはつぶやいた。「……真の神が力をお与え下さったのだ……」
 サムソンは両親の所に戻った。蒼ざめた顔をしている両親に笑顔を向ける。
「……サムソン、ライオンはどうなった?」
「心配ないよ、父さん」サムソンは言った。「オレの顔を見たら逃げて行きやがったよ」
 胸を張るサムソンを見て、両親はほっとしたようにその場に座り込んだ。
「そうかい、腰抜けなライオンで助かったよ……」
「そうですね…… もうダメかと思いましたから…… 助かったことを神に感謝しましょう」
 サムソンは事実を語らなかった。これが自分の力ではなく神によるものだったからだ。
 
 それからさらに下って行き、フィリスティアの娘と語り合った。サムソンの耳打ちに娘はぽっと頬を染めて笑顔を作る。
「良い! やっぱりこの娘は最高だ!」
 サムソンは満足そうにうなずいている。両親は諦めたように顔を見合わせ、大きな溜め息をついた。

 

 

(士師記14章1節から7節をご参照ください)
 

 士師アブドンが死に、人々が再び真の神から離れてた。真の神はイスラエルはフィリステア人の手に渡された。イスラエルはその支配を受け入れざるを得なかった。

「おい、サムソンはどこにいる?」
 マノアが妻に問いかけた。
「また、近所の子たちと遊んでいるのでしょう」
 妻は答えた。
「またガキ大将になって騒いでいるのか……」マノアはうんざりしたように言う。「わしらが見たのは、実は幻だったんじゃないか、そう思うよ……」
「まあまあ、そうおっしゃらずに」妻はマノアに笑顔を向けた。「サムソンは大丈夫ですよ」

 マノアはツォルアに住むダン人だ。ツォルアは、ユダの部族に割り当てられたシェフェラの都市だったが、ダンとユダの間の境界に位置しており、そこにはダン人が住んでいた。
 マノアの妻はうまずめだった。マノアは肩身が狭かったが、妻を攻めることはしなかった。妻も悩み苦しんでいたからだ。
 そんなある日、妻が目を輝かせて走ってきた。
「どうしたんだ? 何か嬉しい事でもあったのかい?」
「そうなんです!」妻は興奮していた。「真の神の人が、わたしのところに来ました。その姿はみ使いの姿のようで、大いに畏怖の念を抱かせるものでした。わたしは、その人がどこから来たかを尋ねませんでしたが、その人も自分の名を言いませんでした。?ただその人はこう言いました。『あなたは妊娠する。あなたは必ず男の子を産むであろう。それで今、ぶどう酒や酔わせる酒を飲まず、汚れたものをいっさい食べないようにしなさい。その子は、腹を出た時から死ぬ日まで神のナジル人となるからである』と、そう言ったんです!」
「なんだって! 本当かい!」マノアも興奮しながら、真の神に祈った。「ぜひ、お会いして、生まれて来る子に何を行なったら良いかを教えて頂けますように」
 その後、再び妻にみ使いが現れた。妻はマノアを呼びに行き、マノアも会った。しかし、マノアはみ使いとは気が付いていなかった。先を見通す預言者のようなものと思っていた。
 マノアはみ使いに妻と生まれてくる子に対しどうしたら良いのかを尋ねた。
「わたしがこの女に述べたすべてのもの、それを彼女は断つべきである」み使いは厳かな口調で言う。「ぶどうの木から生じる物を何一つ食べてはいけない。ぶどう酒や酔わせる酒を飲まず、汚れたものをいっさい食べないようにせよ。すべてわたしが命じたことを彼女は守るように」
 マノアは礼として食事の用意をしようとしたが、み使いに真の神への捧げものとするようにと言われ、岩の上に並べた。
 炎が祭壇から天のほうに上ると、その時み使いはマノアとその妻とが見守る中、祭壇の火の中にあって上って行った。
 そしてその時、マノアはみ使いに会っていたことを知り、怖れた。
「もし神がただわたしたちを死なせる事を喜びとしておられたのでしたら、わたしたちの手から焼燔の捧げ物や穀物の捧げ物を受け入れたりはされなかったはずです」妻は身を震わせているマノアに言った。「そして、こうした事全てを示して下さることも、このような事を今のように聞かせて下さる事も無かったでしょう」
 その後に妻が男子を生んだ。名をサムソンと付けた。
 
 マノアはみ使いの事もあり、何か特別な能力を持つ子供と思ってはいたが、周りの子と違わない。むしろ力の強いやんちゃな子となっていた。マノアは不満だった。
「それにしても、どうして髪を剃ってやらないんだ? うっとうしい事この上ないんだが」
 マノアは、強い日差しの中で汗をだらだらと流して遊んでいる我が子を見ながら、妻に聞いた。
「あれ? お伝えしていませんでしたっけ?」妻は平然と答える。「み使いに最初に会った時に言われたんです。『かみそりをその頭に当ててはいけない』って」
「おいおい、聞いてないよ」
「それは失礼しました。でも、み使いからの、いえ、真の神からのお言葉ですから、守りませんと……」
「ああ、そうだな」マノアはどうでも良いと言うように答えた。「お前が聞いた通りにすると良いさ」
 妻は微笑んだ。
 妻はマノアに伝えていない事がもう一つあった。最初に妻だけがみ使いに会った時、かみそりの事と共に言われた事だ。

「その者は、先頭に立ってイスラエルをフィリスティア人の手から救う者となる」

 

 

(士師記13章1節から25節をご参照ください)
 

「エロンが死んだか……」
 アブドンは自宅で打ち沈んでいた。座り込み、目を閉じたままだ。
 アブドンは「アマレク人の山中」と呼ばれた地にある町ピルアトンに住む、富と地位のある者だった。 
「平和を楽しむ喜びを知った我々は、このまま歩むつもりではいるが、はたしてどうなる事か……」
 アブドンを心配した妻たちが、口々に慰める。
「ご心配なさらずに、ずっと平穏のままですわ」
「士師エロンの十年間で平和の尊さを学びましたわ」
「きっと、真の神が新たな士師をお立てになりますわ」
 アブドンはすっと立ち上がった。
「そうなのだ! 新たな士師が必要となるだろう! 民も関心を示しているだろう!」アブドンはまた座り込んだ。「だが、我らエフライムからは出ることはないのだ……」
「我が主……」妻の一人が不思議そうに言う。「どうして、そんな事をおっしゃるのです?」
「お前は知らないのか?」アブドンは大きな溜め息をついた。「我らエフライム族は、二度も、裁き人、士師に逆らったのだ……」
 エフライムは、士師であったギデオンとエフタに直接詰め寄ったことがあった。ギデオンは機転を利かし穏便に対応したが、エフタの時には四万二千人が殺された。
「その時、全イスラエルに嘲笑されたのだよ…… 気位の高い目立ちたがり屋とか、裁き人、士師に無縁な愚かなエフライムとかな……」
「でも、我が主……」別の妻が話しかける。「エフタの後に、深く悔い改めたのではないのですか? 真の神もそれは御存じだと思いますが」
「それはどうだろうな。誰もが首を傾げたエロンが士師となったのだぞ。これは真の神がまだエフライムをお許しになっていない証しだ」
「我が主よ!」別の妻が怒った顔で言い放った。「そう言う考えがいけないのではありませんか? 士師がエフライムから出ないなどと言う考えこそ、気位の高い目立ちたがり屋と言われる所以ではないのですか?」
「……」アブドンは言い放った妻をじろりと睨んだ。周りの妻たちは恐れて後退さった。しかしアブドンはすぐに視線を下げ、大きく頷いた。「たしかにお前の言う通りだな。知らぬ間にエフライムの愚かな考えに染まっていたようだ」

 その夜、アブドンは寝床で思いを巡らせていた。……エフライムの愚かな考えか。士師エフタにあれだけ痛い目に遭っても抜けないものなのだな。まあ、誰が士師となっても従い、支えて行こう。アブドンは寝返りを打ち、毛布を頭からかぶった。
「アブドンよ……」
 威厳に満ちた、それでいて優しい声が聞こえた。アブドンは毛布を跳ね除け周囲を見回す。誰もいない。……はて、空耳だったか。もう一度毛布をかぶる。
「アブドンよ……」
 同じ声がした。アブドンはもう一度毛布を跳ね除けた。やはり誰もいない。強盗の類かと、アブドンは身構えた。
「アブドンよ……」
 声が聞こえた。威厳に満ちた、それでいて優しい声が高い所から話しかけているようだ。
「……はい、ここにおります……」アブドンは返事をした。「アブドンはここにおります……」
「わたしは士師たちをイスラエルの上に立てた者である」
「真の神!」
 アブドンは床から飛び出し、平伏した。
「わたしはお前を士師としてイスラエルの上に立てる」
「このわたくしを、でございますか?」
「お前はイブツァン、エロンと同様に、いつも通りに暮らすが良い。民はその姿を見て平穏となろう」
「ああ、やっと、我らエフライムをお許し下さったのですね!」アブドンは顔を上げた。満足そうな笑みが浮かんでいる。「我らエフライムもお認めになられたのですね!」
「アブドンよ……」真の神の声が厳しいものとなった。「わたしは個々を見る。それ故に、お前の中に良いものを見たのである。だがお前はそうではなく、属する者に誉れを持たらそうとした。お前は大きな過ちを犯した」
「おおお! これは申し訳のない事を!」アブドンは床に額をこすり付けた。「どうか、お許しを! お許しを!」
「アブドンよ。これの故に平穏はお前までとする。お前の死後、民はわたしを離れるであろう……」
「おお、真の神! 真の神!」
 声は止んだ。

 アブドンが裁き人、士師となったことが広く知れ渡った。特にエフライムは盛大に喜んだ。真の神は我らを許された! 我らは真の神に認めて頂いた! エフライムは全員が士師になった様な騒ぎだった。

「我が主よ!」
「またお前か……」アブドンは妻を見てうんざりした顔をする。「また何かわたしに言い放つのか」 
「聞こえますか、あの馬鹿騒ぎが!」外の騒ぎ声がこの奥の間にまで達している。「エフライムの民は勘違いをしております! その勘違いを解きませんと、また災いとなるやもしれません!」
「……わかっている、わかっているよ」アブドンは頭を抱えた。「……ああ、四十人の息子と三十人の孫たちを七十頭のろばの成獣に乗せる財力を持つわたしだが、エフライムをどうすることもできないだろう。いや、エフライムだけではない、イスラエル全体も、だ……」
「ですが、我が主……」別の妻が優しく微笑んで言った。「士師様なのですから、そんなご心配は無用ではありませんか? 真の神が共におられるのですから」
「わたしの命のある限りはな……」
「でしたら、我が主には、せいぜい長く命を保って頂きませんと……」
「さあな、それは真の神のご意志によるな……」

 アブドンはイスラエルを八年間裁いた。その後ピルアトン人ヒレルの子アブドンは死んで、エフライムの地、アマレク人の山中にあるピルアトンに葬られた。
 そしてイスラエルは再び真の神の目に悪を行なうようになった。そのため神はこれを四十年の間フィリスティア人の手に渡された。

 

 

(士師記 12章13節、13節1節をご参照ください)
 

 「……なぜ、このオレが……」
 ゼブルン人のエロンは、一人、郊外の野原に座り込み、頭を抱えていた。そして、もう何度目となったろうか、大きな溜め息をつきながら、そうつぶやいた。
 
 裁き人、士師イブツァンが死に、イスラエルは悲しみに包まれた。
 エロンはイブツァンと同郷だったし、施しを受けることもあった。とは言え、多くの者たちがそうであるように、口をきいたこともないし、会ったこともない。
 弔いの儀にも参列出来るものではなかったが、遠くからそれを見、哀悼の意を表すことはした。
「これでまた、騒乱が始まるかねえ……」
「いつもと変わらぬ平穏ってのが一番なんだがなあ……」
「士師イブツァンはその事を教えてくれたよな……」
「真の神も、それをお望みだったんだ……」
 エロンの周りでは人々が口々に言っていた。エロンもそれらを聞いて頷いていた。

 その時だ。声がした。
「エロン、エロンよ……」
 その声は威厳に満ちた、それでいて優しい声だった。
 周囲もざわめいた。声が聞こえたようだった。
「おい、エロンてのは誰だ?」
「誰が話しかけたんだ!」
 ざわめきが大きくなった時、再び声がした。
「エロン、エロンよ……」
「はい! ここにおります!」
 別の所から応える声がした。しかし、その者は雷にでも撃たれたようにその場に倒れ、気を失ってしまった。
「おい、こいつは隣町のエロンだぞ!」
「じゃあ、エロン違いってことか?」
「さあ、エロンって名のヤツら、片っ端から名乗るんだ!」
「でもよ、こんな目に遭うんじゃ名乗れねえよ!」
 人々は互いに言いだした。
 エロンも怖れていた。そっとその場を離れようと踵を返した。
「……わたしはイスラエルの神、お前たちの上に士師を立てた者である」
 威厳に満ちた声が流れた。
 人々は大慌てでその場に平伏した。エロンも平伏した。
「エロン、エロンよ……」
 再び呼びかけが為された。……なんだかオレに呼びかけているような気がするんだが。ま、いいか、気を失ったって困ることも無いしな。それに、真の神のお召だし……
 エロンは覚悟を決めて立ち上がった。エロンの周りの者たちが顔を上げた。
「はい、エロンはここにおります……」
 エロンはためらいがちに応えた。気を失わなかった。
「エロンよ、わたしはお前を裁き人、士師とする。イスラエルの民を平安のうちに導くのだ。わたしはお前と共にある……」
 声が止んだ。  

 周りはよろよろと立ち上がり、エロンをじろじろと見た。
 エロン自体、これと言った特徴も無い。むしろ地味で普通過ぎる。皆は表には出さないが、なぜこんな男が士師なんだ? と首をかしげていた。喜びの声も上がらない。
「……なぜ、このオレが……」
 エロン自身もそうつぶやきながら呆然としている。……神の気まぐれじゃないのか? そうとでも思わなきゃ、やってらんないぜ……

 エロンはふらふらと歩き出し、郊外の野原に来た。そして、座り込み、頭を抱えた。「……なぜ、このオレが……」と繰り返しながら、考え込んでいた。

 イスラエルの民も同様だった。エロンには過去の士師たちのような特徴も無い。また、エロンを知る者たちに聞いても、隣の住人程度の覚えがあるくらいだった。しかし、神が士師として立てたとの証人は多数いる。
「なぜ、あのエロンが……」
 民も頭を抱えた。

 さて、エロンに不満を持つ者が現れる事を憂慮した各地の君たちは集まり話し合った。
「真の神がお立てになったのだ、エロンを士師としようではないか」
「そうだ、我々には計れないきっと何か良いものを持っているに違いない」
「それに、神に背いて世が乱れるよりは、エロンを士師として平安を続けた方が良いではないか」
「いかにも。我々イスラエルは士師イブツァンのもたらした平穏な日々を好ましく思っていたはずだ」
「もし、エロンに足りぬ点があれば我々が補おうではないか。きっと真の神もお許し下さるだろう」
「分裂よりは一致が大切だからな」
 こうして裁き人、士師としてエロンは人々の上に立った。

 しかし、人々の心には常に「なぜ、あのエロンが……」があり、エロンの心にも常に「……なぜ、このオレが……」があった。
 正に、その心、神のみぞ知るである。

 イブツァンの後ゼブルン人エロンがイスラエルを裁きはじめた。そして彼はイスラエルを十年間裁いた。その後ゼブルン人エロンは死んで、ゼブルンの地のアヤロンに葬られた。

 

 

(士師記 12章11節、12節をご参照ください)