.
.

今回のテーマは【体現者】

新年明けましておめでとうございます。
今年度も、よろしくお願いします。

と同時に、

昨年度末の大晦日に、
改めて【振り返り】をしていたわけですが、

やはり、【体現】することだな。

と強く感じた1年だったからこそ、
このテーマに。

そして、
新年早々、能登半島地震、羽田空港での事故と悲惨な災害が続いている。

今は【寄付】して待つのみ。
でも将来できそうなこととして、
【予備自衛官】なんてものがあるよ!と教えてもらった。

さて、本題へ。

【指導者は体現者であれ】

【体現】とは、
・思想・観念などの精神的な事柄を具体的なものとして形にあらわすこと。
・ 身をもって実現すること

⇨つまり、考えていることを実現させること

【指導】とは、
「ある目的・方向に向かって教え導くこと」

このある目的・方向にというのは、
ある意味、指導者自身が向かっているところになるといえる

というのも、
自分がやっていないことを伝えることはできないから。
 

つまり、
【自分がやっていることしか伝えることができない】

何で正しい(と思い込んでいる)ことを伝えている(つもり)のに、
行動してくれないのか。

そりゃ
そもそも人は論理で動くものではないし、
先が見えない・未知のことに対しては不安を抱え、行動制限となるし。

でも、
本当のところ、

自分自身が体現できていないことを
何で私がしないといけないの?
ってどこかで思われているのかもしれない。

つまり、
【あなたもできてないじゃん】って。

どんなに凄いと言われる人でも、
どんなに賢くて知識が豊富な人でも、

結局、自分が体現できていなかったら

その【領域】について、
何の説得力ももたない。

【実現可能性】がない。

理論上、こうだよ!と
想像した世界で物事を伝えても納得できないですよね。

少なくとも、僕自身はそう思う。

とくに【見た目】や【健康】のことに関してはとくに。

太った医者に痩せろなんて言われてもでしょ。

運動してないのに、運動良いよ!って言われてもでしょ。

オーガニックにしなよ!と言われても、その人自身が不健康そうなら嫌でしょ。

目がキラキラしてない人に【頑張りましょう】って言われても無理でしょ。

やりましょう!って言って、
やってないなんて【論外】でしょ。

勉強しましょう!という先生が勉強してなかったら勉強って必要なの?ってなるでしょ。

本読みなさいっていう親が本読んでなかったら読む気にならんでしょ。

とどのつまり、

自分がやっていないことなんて【伝わらない】

というか、

【伝わるはずがない】と思ったほうがいい。

【あなたのために】は【自分のため】

【自分のためになっていない】のに
【相手のためになる】はずがない。

そして、根本的には、

相手に伝わるか否かにはやは【尊敬と尊重の精神】が必要だと。

「尊敬」は人に対して使われ、
「その行動、言動がすばらしいものだと感じられ、その人を真似したいと思い、仰ぎ見る存在であると思う」ことを表し、

「尊重」は対象は人とは限らず、
「何かを特別なものとして軽視せず、そのものとして大事に扱う、認める」という意味で、行動を伴うもの。

最終的には【人と人】



ところで、
【コーチ】と【指導者】の違いって何でしょうか?

陸上のオリンピック選手である為末大さんが「先生や指導者は、人生を導いたり人間的成長を促す人、
コーチは選手の目的を達成する人」
とコメントしていました。

あ、なるほど、たしかにと思ったのですが、

つまり、
コーチ⇨スポーツの【競技力を上げる】ことを目指すのに対して、
指導者⇨スポーツを通じた【人格形成】が仕事となる

ということかな。

・結果を出す
・道標(手本)となる

この【差】は大きいなと。

🔥相手はどちらを求めているのか🔥

それは相手の【向き合う姿勢】に出る。

基本的に【結果】がほしいならば、
【主体性】は必須だろう。
はじめからそうではなくとも、
どこかのタイミングで、
主従関係でいうところの
塩梅を変える必要がある。

テストの点数で【平均点以上】を取りたいならば、
自分から狙いにいかないといけないように。

何でもかんでも、
言われたことだけやっていれば、
100点取れるだなんて、
そんなに甘い世界ではないのである。

人間は【怠惰】な生き物

それゆえに、

人間は【習慣】の生き物

その結果が【今】である。

そんな【人間】と向き合うとすると、

【コーチ】という立場になると、
やるか否かは【相手次第】という構図になりやすい。
やらないなら、【結果】は出ないよって。

【指導者】という立場になると、
やるか否かは【相手次第】というわけにはいかないと思うのである。
それは【道標=お手本】となる必要があるから。
【お手本にならないお手本はお手本ではない】ということ。

【再現性】と【継続性】があるか否かは
大切な要素ともなる。

私は〇〇になる!といって、
素直に取り組める人は極々僅か。
週5もトレーニングできる人が僅かなように。
そんな人は放っといても勝手にやる。

私は〇〇になりたい!という人が大半。
そして、大抵は取り組まない。
変化よりも現状維持を好むのは【本能】
そんな人たちにどうすれば、
【きっかけ】を創れるかを考えるのが、
【指導者】じゃないかなと。

では、
【指導者】の【差】って何だろうって考えると、、、
大して違いはないわけです。

なんせこれだけの情報社会で、
ノウハウやスキルなんて溢れていて、
人間に関してはまだまだわからないことがたくさんあるけど、
人間の健康を損なう要素等に関してはもう出尽くしていると言える。

それに対する対処法なるものも、
おおよそ出ているわけで、
何が【差】をもたらすのか。ということで。

そうなってくると、
人との【向き合い方】や
指導者としての【在り方】なんてもの。

そういった根本の部分にしっかりとフォーカスできている人が進化しているのかなと。

拘ればきりがなく、
理想なんて理想でしかなく、
でも蔑ろにできない。
【ちょうど良い】正解みたいなものもない。

そんな世界だと思う。

【健康】というワードひとつとってもそう。
理想を掲げるのは簡単で、
実際に実現しているかはまた別の話。

確かに、
全員に正しいとされる情報を伝える必要はあるが、
全員がそれをできるわけでもなく、
できる人なんて極々僅かな人。

となったときに、

指導者ができるのは、
【あなたどうする?】と問いかけること。

それに合う【答え】なるものを見つける。
仮にそれで【結果】が出たとしても、

自分の指導が正しかったのか。なんて、
可視化・数値化するのは難しい。

本当に自分の指導のおかげで変わったのかと言われれば、全然関係ない可能性もあるわけで。

だから、
自分がどう向き合うのか。
どう在るのか。

ぐらいは【自己満足程度】に示しておく。
そしたら、
自分がどんな指導・アプローチをしたのかぐらいはわかるから。

これは、別に指導者じゃなくても、
誰かに何かを伝える時に
だいたい当てはまると思う。

で、伝わらなかったら、
相手がどうこうではなく、
自分が伝える資格がなかった。と思えば、
また頑張ろう。と思える。

人の役に立つ。と掲げるなら、
そのぐらいの【心構え】で
人と向き合いたい。

言ったら変わる
なんてほど、
人はお利口さんじゃない。

【覚悟】して【決断】して【やっと】だ。

#人間は怠惰な生き物
#だからやれば可能性しかない
#でもその可能性に安愚楽をかぎ続ける
#賞味期限は刻一刻と迫っている
#明日、生きているかなんてわからんぜ
#後悔ない選択を
#弾丸を打ち込め
#良い面して結果出せないより遥かに良い


#今年も文字#やっぱり長め#読む気しない#まとめろよって
#大丈夫#大したこと書いてない#自分も迷走中#そんなことはない
#今年もどうぞよろしくお願いします