これが本城氏の持っていた、本城城の城下町の武家屋敷 慶長(1610年代)の頃と思われます。

字が小さいですが、外堀北側中央現在の表尾崎町に志村七左ェ門の文字が見えます。

また右上現在の東町にも 志村勘七の文字が見えます。最上家家臣の本城氏の家来です。

大きな屋敷の志村七左ェ門という名前は、志村豊前守光安の次男

志村八左ェ門と一字違いですので、何か関係がありそうです。

これは宝永・正徳(1710年代)の頃の 本荘城の武家屋敷の配置図

なんと中央右側、現在の中堅町に志村六左ェ門の名前があります。

これは六郷藩の分限帳に載っているもう一つの志村家で初出が元禄十四年(1701)です。

私の先祖、志村源内の屋敷は上の方現在の美倉町渡辺ガラス店の場所にあります。

最上家の家臣本城氏は、元和8年(1622)に改易になり家来も転居となりました。

ここから100年間程 本荘の志村家は歴史の表舞台から消えて、

浪人ないしは足軽として生活していたと思われますが資料はありません。

しかし八左ェ門・七左ェ門・六左ェ門 面白いですね。…つづく