今日はとても重みのある深いお話しを聞きました。
ぎふ長良川の鵜飼いの鵜匠さんのお話。
鵜匠人生を語る口調は、深イイ話しの内容とは真逆で、73年間もの人生をさらりと軽く語るギャップが、またその方の生き方に何度もうなずかされました。
365日、鵜と共に生活する人生は、生き物を通して食する感謝を話されたり、着る服も皆さん(観光客に対し)のように、外出着などはないのだと語りながら、漁服やこしみの、足半(あしなか:わらじの半分)などの説明をしてくださいました。
みじんにも、現代の暮らしを羨む言葉もなく、鵜匠である残りの人生を27年とご自身で期限を決めておられ、鵜との生活が嬉しいのだと話されました。
生活も仕事も同じである鵜に対しては
、感謝という言葉を使わずこのように話されました。
30年ちかく生きる鵜なのですが、年老いた鵜だからといって隠居生活をさせるのではなく、月に何度かはちゃんと働いてもらうのだと言われました。
鵜をあやつるために鵜の首に手縄(たなわ)という縄をしめるのですが、人間で言えばネクタイであると。
このネクタイ(手縄)のしめ具合は、毎日の鵜の調子で微妙にかわるもので、鵜匠はそれをその都度見極め、鵜にしっかり仕事をさせるのが仕事であると話されました。
だから、鵜は首をしめられて、苦しいとか可哀想などはないのだと。
人間のように文句を言ったり、だらけたりもなく、ひたすら川で魚をとるために働く鵜はもちろん、生き物は頭が良く、人より素晴らしい動物であると。
鵜は鵜として、鵜匠は鵜匠として、生きざまを感じた話は人生にブレがなく、全うする人生を貫く人とは、言葉も格好も飾らないんだと思いました。
岐阜産まれで岐阜育ちであるのに、鵜飼いの事なんて何にも知らずにいたことの恥ずかしさと、これからもっと岐阜の良さを伝えていける人の一人になりたいとも思えました。
1300年以上前から生活のために行われていた鵜飼いですが、現在は岐阜の観光の一つとして、毎年5月中旬から10月中旬まで開催されています。
花火の合図で鵜飼いは始まります。
鵜飼い舟から見上げる岐阜城(ライトアップ中)です。
提灯すぐ下の小さな三角の光りが岐阜城になります。
是非、岐阜へもお越しくださいね♪
Android携帯からの投稿

