みなさん、お元気ですか。

だんだん寒くなってきましたね。

私は元気です。

広尾のレ・グランザルブル、テラス席最高です♡




突然ですが
愛と感謝と豊かさの人生を生きると決めました。

愛と感謝のエネルギーの中にいると決めた。
愛と感謝のエネルギーを出して
豊かさを受け取ると決めた。

そう在ると、決めました。



どうしたって生きる喜びなら私は、

他の人に思いやりを持てる自分で在りたい。

パートナーや親に感謝する自分で在りたい。

欲しい物に手を伸ばせる私で在りたい。


今のネイル♡





だから一つずつ。
まずは節約をやめた。


ガンガン、欲しい物を買ってみた。



そしたら不思議なことに
計算しなくてもお小遣いの幅を
超えなかったのです!!


私が使うのはシールやマステや本、
友達とカフェに行くお金、
美容に使うお金…
それらがほぼほぼで、
サクッと出せるお金。
(これも前は「ヤダヤダ」って出してた)

出すときに
「しっかり受け取ります」って
思いながら使っていたら、
1ミリも計算してないのに
お小遣いの範囲内でおさまったんです。


ラッキー?



いやいや、

私は悲しかったよ。





だって、チマチマ計算しなくても
「私はこれくらい」
って無意識で決めてるんだもん。




私はもっともっと好みの現実を
作りたいって思ってるのに、
本当の私は全然作ろうとしてない。



愛と感謝と豊かさの人生を生きるって
全然、決めてない。
と、ただただ悲しくなった。



そして、無意識の凄さを思い知らされた。




無意識に「ここまでが使えるお金」
っていう枠みたいなものがあって
それを「超えないように」って
意識がブレーキをかけてきているんだよ。



そのブレーキを、少しずつ、
少しずつ、緩めていく。


お金と仲良くなるには、
使ってみるという体験も
大切なのではないだろうか。


(私は今、使ってみる
レッスン中なのだな〜。)


「お金が足りない」って思ってることを
自覚して、ただ観察してみる。

「あぁ、全然、世界も自分も
信頼できてないんだな〜」。

って出てきた。


悲しい。





「お金が足りない」という意識は
「私にはない」という思考からくるもので
「私にはある」「すべてがある」という
意識からは出てこないもの。


「ない」から握りしめる。
逃すまいと閉じ込める。
詰まりが生まれる。




「あるから出せる」っていう
言葉の意味を勘違いしていたわ。

「お金持ちの人は月収100万円くらいかせげるんだから、出せるよね」って思ってた。

それは物理的に100万円の札束がその人の元にあるから、払えるよねって。


でも、月収20万円でも、出せる。
1円でも出せる!!!!!

そもそも100万あるからお金持ちっていうのは
自分が思い込んでるだけだよね?

たとえ20万だろうと1円だろうと
「ある」のだから、出さないといけないのよ、
本当に欲しい物に対しては。


仮に月収0円でも、
労働をお金に換えたらお金はあるわけで。
お金に換えられる「労働力」があるならば
それはもう「ある」なのではないか!!!


だから、やっぱり、
「ある」から出すなのだ!


所持金がなくても!!
労働力があれば!!


労働力がなくても
支援者がいれば!!


支援者がいなくても
補助金があれば!!


どこまでいっても多分、「ある」なのだ。


今、読んでいるマンガ。新人ケースワーカーの目を通して生活保護のリアルに迫る青春群像劇。


このマンガ読んでると、本当に
私たちはどれだけ道を踏み外そうとも
やり直すことができると信じられます。

こんなにも助けが、お金が、
「ある」んだなって思います。



世界がやさしいかは、信じる人の自由。
ならば私は、世界はやさしいと思って
生きていきたい。



口ではうまく誤魔化してても
無意識で信じてないこと、
いっぱいあるんだろうな〜。


本当は、お金も愛も、豊かさも、
全部流れているのに。
私がその流れを「いらない」って
してるだけなんだな〜。



本当にバカな思考がいっぱい出てきます。



だから、気づいてやめるだけ。





怖いよ〜
出ていかないでよ〜
絶対戻ってきてよ?

不安満載でお金出すのはもう絶対やめる。


ありがとう
受け取ります
ほんとにありがとう

と愛と感謝でお金を出します。


ということは逆に、
愛と感謝で出せないお金は
一銭も出さないということ。
今までいかに、外側の意識で
お金を使ってきたか…。


インスタに載せたいだけとか
シリーズものだから見栄え的に買っとことか


バカバカバカ〜!!!


ほんまに欲しいんか?それ!
ほんまに欲しい物だけに手を伸ばせ!


と自分を疑ったり喝を入れたり
しながらね、私は学んでいきます。