今日の記事はいつにもなく長い記事になります。
心してかかるように。
今月の頭に書いた記事「問題山積、援軍来ず。」の見方はあるいは間違いだったと言わざる終えない。
冷静に党首討論を観察し、その後の両者の動きを見ると、
どちらも似たり寄ったりで、大した違いはない事に気付く。
両者共に言えるのは、私利私欲に走っている事、
そして自己主張というなの正義を翳(かざ)した子供の喧嘩以外の何者でもないという事。
なんと愚かしい人々にこの国の指針が任されているのかと思うと、
それを選んだ(自分自身も含めて)国民の責任は重いと感じる。
僕はこれまでいくつかの過ちを犯した。
それは持病によるモノと性格的なモノと両方からくる怒りからだった。
今は父の事を尊敬しているが、
それまでの僕は父の猛威というなの権力行使に
ただただ黙ってやられるだけの母や妹たちを見過ごすわけにも行かず、
父の権力行使に反感を持ちつつ、そういう行いについては、対抗意識をむき出しにしてきた。
元々は父のだったはずが、やがては全ての権力に反感を持ち始め、
抑えきれなくなって、国家権力の象徴の警察に反抗した時もあった。
兎にも角にも、権力と言う名の実力行使や、正義という名の私利私欲の自己主張には
今も昔も反感しか覚えず、それに楯突く心構えでいる。
だから今の政治を見ていると、先にあげた2者だけでなく、
多くの党派は自己主張しかしていない現実に気付くと、むかっ腹以外の何者でもない。
ただ、菅首相を援護するわけではないけれど事実として言って置きたいのは、
震災や国難等の即急対応が迫られる時に、それに対応できるような法が日本にはない事。
そして、良くも悪くも他の国よりも正確な程の民主主義を貫いている日本にとって、
ほう・れん・そうが必要な体制の中では、根本的な問題として即急な対応はに無理だという事。
この2点は外せない。
今の法体制では誰がトップに立ったとしても即急な対応は望めず、
まずその行動に移す為の法案を国会で通さなければ、一歩も先には進めないという事。
それだけは留意して置きたい。
さて、この問題を踏まえ、僕はある考えに至る。
日本国内の動きだけでなく世界の動きの中でも、
どれだけの権力者がその他大勢の気持ちを踏みにじっているかという事についてだ。
オサマビン・ラディンが殺された事についても同じ視点で見る。
彼のやり方は確かに汚かった。
しかし、彼の主張と彼らイスラム圏の人々が受けた仕打ちに比べれば、程度は軽い。
そこにも正義の名の下に行われた数々の実力行使が見え隠れする。
僕は前に大きく2つの主張をした。
一つは簡潔にいうと、「生きたいという念いについては皆平等」という思想。
もう一つは僕の心情としての、「I'm sample, but don't example.」という主張。
この2つを本当に理解してくれている人はいるだろうか。
僕の念いとしては、この2つは相互に絡み合い関わり合って、一つの念いに通じている。
それは、今までの人間の歴史や今起こりえている様々な出来事が
全て人間中心の物事で進められている事についてだ。
僕は1つ目で僕の価値観という名の思想を説き、
そして、それを受けて至った想いというのを心情として主張してきた。
今ある法則のほとんどは宗教を除いて、人間中心が主軸のモノばかりだ。
ダーウィンの進化論も、ソクラテスの哲学も、アインシュタインの相対性理論も、
多くの人達が信仰しているマーケティング手法の数々も、
全ては人間の私利私欲のためにしか利用価値がないモノばかりだ。
木は動けないから低能だとどうして認められる?
僕の拙(つたな)い知識でも、
木同士が人間には察知できない周波数で相互に交信しているという事実があるのに。
動物は言語がしゃべれないから低能だとどうして認められる?
彼らの言葉を人間が理解できないだけで、
彼らには性格も感情も念じる心も全て備わっているというのに。
あくまでも人間の視点でしか見てない事に愚かしさを感じる。
僕は人間だけれど、人間中心の感覚では生きてはいない。
だからこそ、人間の内である自分がどれだけ醜いか、
そして人間としての自分がどれだけ愚かしいか、
その人間である自分がどれだけ辛い事か。
他の人間からすれば、僕の感覚は真っ当じゃない。
だから変人扱いされても病人扱いされてもおかしくない。
ただ僕は今も、そしてこれからも、この真情は揺ぎ無いモノとして持ち続け、伝えていくつもりだ。
日本人の武士道の精神には心眼という心情がある。
物事の真実の姿を見抜く、鋭い心の働きのことだ。
剣術の玄人はその心眼で相手を打ち負かす。
僕はその心眼を持ちつつ、その上の「神眼」を目指さなければいけない。
神眼とは、神の視点という意味でだ。
それをあらゆる物、事、現象の中から、それこそ心眼で捉え、
それを法則化し、伝承できるような形まで持っていかなければならない。
その為に多くの時間を費やす事になるだろう。
でもそれを人間の内の誰かがしなければ今までのような過ちを続けざる終えなく、
結局は破滅の道を辿るしかなくなる。
それを食い止めるのが僕の役割だ。
僕はそういう指針でこれからの人生を費やしていくつもりだ。
今の気付きと心情を忘れない為にも、ここに記して置く。
長くなったけれど、最後まで読んでくれてありがとう。
僕が僕として生きるように君も君として生きてくれるとありがたい。
僕は僕であるように、君は君であるのだから。