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しんぷのこえだめ2

皆さんの声を貯めて力に変える肥溜めです

blogをお休みしていた3年間
僕なりに苦悩の連続でした。


それまでの僕は宗教にある疑念を
持っていました。


それは、こんなに多くの人々が
苦悩を経験しているのに、
なぜ神はお助けにならないのか?


今から考えると、その想いは
浅はかな考えだと言い切れるのですが
当時の僕は、この疑念の為
宗教を疎んじていました。





僕は一昨年の11月に高尾の病院に入院してから
隔離室に入っていた時
一回に一冊だけ本の持ち込みを許され
その時改めて、キリスト教の聖書を
通読しました。

また母の勧めもあり
14世紀に活躍した修道士、
トマス・ケンピスの
「キリストにならいて」
という本を読み、
その考えが浅はかだった事に気付きました。





人は勿論、苦悩よりか快楽を求めます。
暗い影よりも明るい光の方が好ましいでしょう。


でも苦悩することでしか得られない経験も
またあります。


キリストにならいて、には
こう書かれていました。


「苦悩することで、忍耐を学ぶ。
   また慎しみ深さが増す。」



もし人が苦悩せず
常に快楽を覚えていたら
幸せの本当のありがたさも
感じられないでしょうし
辛い事に耐える機会がなければ
人の痛みにも寄り添えないはずです。



だからって絶えず苦悩しろ、とはいいません。


ただ逆説的に考えれば
「苦悩こそが神から与えられた最上の愛だ」
と僕は考えました。





実を言えば、それまで持病ゆえ
自殺未遂をした経験がありました。


一番キツかったのは
夜の海に身投げした時の事です。

運か、不運か、
波に乗って海岸に
打ち上げられてしまったのです。

その時から僕は死ぬのを諦めました。
生きるのを諦める人はいると思いますが
僕の場合は、その逆でした。


「こんな僕でも、まだやり残している事が
   あって、それが終わるまで死ねないのか」


そう思ってからも
右葉曲折ありましたが
今の今まで生きておれるのは
やはり死を諦めたからです。


自分と向き合う時間が
長ければ長いほど、
苦悩は絶えませんが
そこから引き出される希望は
より濃いモノになります。


「死ねないなら、思う存分生きてやろう!」


今までの苦悩こそが
これからの財産になると思ってます。


そして苦悩こそが神から愛だと知った時
僕は息を抜いて穏やかになりました。

「今日できた事に感謝して
   出来なかった事は神に委ねよう」

こんな余裕すら生まれてきたのです。




「夜明け前が一番深い闇になる」


闇の後には必ず光がきますし
苦悩の後には
必ず希望が見えるはずです。



今、苦痛に耐えてる方
また思うように物事が進まず、嘆いている方

そんな方のささやかな希望になれたなら
幸いです。




今回も長文、最後までお読みいただき
ありがとうございました。