城郭名:高雄城(たかおじょう)

住所 :京都府右京区梅ケ畑高雄町

城主 :細川国慶など

利用年:建武三年(1336)?ー天文22(1553)3/27?

駐車場:嵐山高雄パークウェイを使用可能

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和気清麻呂をルーツとし、鎌倉期に荒法師文覚によって再興された神護寺。

今では紅葉で有名な観光スポットですが、この裏山に城郭があることはあまり知られていません。

 

神護寺の裏山には、中世の両細川の乱で利用されたと思われる中世城郭「高雄城」が鎮座しています。

 

 

  アクセス

まず最初に行き方を案内します。

この城の訪問時の注意点は、入場料が600円かかる事です。

 

神護寺の境内に入らないと登れないためです。

また、神護寺の営業時間内でないと入ることができません(9:00~16:00)

 

張り切って早く行き過ぎる or 遅くに行く場合、入れない・帰れない可能性があるので気をつけてください。

 

 

なお、当地は観光スポットとなっているので、非常に広い駐車場があります。

駐車スペースについては心配する必要はありません(シーズンによっては料金取られるかもしれません)

 

バスも京都中心部から30分に1本は走っているので利便性は高いです。

どちらの場合もまずは川に向かって下りていきます。

 

 

続いて、高雄観光ホテルの右手の坂を道なりに登ります

 

道なりに進むと、神護寺の山門があります。ここが料金所です。

 

 

神護寺に入ったら、中心部の大きな建物(金堂)に向けて進み、右手に回り込みます。

像があるので、これが目印になります。

 

 

右手に回り込むと、消火栓がおいてあり、ここから登山道となっています。

 

少し上ると多宝塔にたどり着きます。
ここも右手側に登山道があるので、道なりに進みます。


しばらく歩いていくと、ピンクロープが巻いてある木にぶつかります。

ここが非常に重要なポイントかつ、わかりづらい所です。

 

ここからは、常に左に進むと意識してください。

 

左側に進み、山道を登ります

ここは一番荒れている部分ですが、わずかに踏み跡があるのでこれをたどります。

 

少し進むと、赤い看板やドラム缶が置いてある場所が見えてきます。
ここの左に分岐があるので、こちらに進みます。

 

分岐を進むと道がしっかりしてきます。ここをまっすぐ進みます。

 

最終的に文覚禅師の墓にたどり着きます。

墓の左側が緩やかなスロープになっているので、ここを上ることで高雄城の主郭にたどり着きます。

 

 

  歴史・地理

当地に寺院が築かれたのは、奈良時代の頃とされます。

教科書にも出てくる有名人、和気清麻呂が私寺として築いたことがルーツとされます。

 

その後、清麻呂の子により、真言宗開祖空海が招かれ一時活動拠点となり、この際に現在の神護寺の名前が付きました。

平安後期には、寺院は荒廃しますが、これを嘆いた荒法師である文覚によって再興されます。

 

戦国期には、この文覚以降に建てられた寺院が、戦略的拠点として利用されることになりました。

 

 

神護寺周辺が戦国期の争乱の地となった理由は、当地が街道筋にあたるためです。

現在も国道162号が走っていますが、この道は丹波方面に抜ける街道となっており、古くからの交通の要衝でした。

 

戦国期には、長坂口から入る別の街道がメインルートだったようですが、こちらの道も利用されていたようです。

 

 

Google earthで確認すると、神護寺付近で道がCの字状になっています。

高雄城が、丹波方面・京都方面ともに広くにらみを利かせられる立地になっていることがわかります。

この地は、南北朝期にも要衝だったようで、新田義貞が臨時築城をしたという文献が残っています。

 


ただし、高尾の地が争乱の場として頻繁に文献に出てくるのは、

永正4年(1508)の細川政元暗殺から始まる後継者争い(両細川の乱)からの事です。

 

細川氏の勢力基盤が丹波にあったということも関係すると思われますが、主要な戦いにはほぼかかわっています。

 

 

特に興味深いのは、天文十六年(1547)ごろの記事です。

 

このころ京都は、細川晴元の支配下にありましたが、

一時的に細川高国残党の細川氏綱・国慶によって奪われる、という非常事態となっていました。

 

最後には晴元が京都を奪還するのですが、この際に、細川国慶の籠る高雄城を攻めたとの史料があります。

 

 

これ以前の高雄に関する記述は、「高雄着陣」など、城郭に関する直接的な記述がありません。

 

また、その後も天文二十二年(1553)には高雄城の記述が文献から途切れることから、

現在の高雄城は、この時期に築かれた姿を残しているのではと推測します。

 

理由としては、細川国慶勢はあまり京都に地盤がなく、兵力も少ないことから、

広い神護寺よりも守りやすい場所を求めており、あえて狭い高雄の尾根に城郭を構築したのではないでしょうか?

 

なお、細川氏の勢力が弱まった織田信長の時代以降は、高雄に関する文献記録は全く見られなくなります。

そのため、この城は「細川氏が軍事行動を起こすうえで重要だったため」臨時的に築かれた城郭、

と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

  構造

高雄城ですが、現状は少し荒れた状態になっています。

また、文覚禅師の墓建立により、一部改変があるのではと考えられます。

 

しかし、それらを抜きとしても構造は比較的単純なように思われます。

なんとなく、「古い」といった印象を感じます。

※Web等高線メーカーを用いて現地踏査の上作図


〇東側の曲輪群

城跡の東側は2段の郭になっており、北には竪堀なのか自然地形なのか判別に苦しむ構造があります。

現状はシダ植物が繁茂しており、城域内で最も荒れた場所になっています。

 

一番東側の郭から見上げます。

 

1段目の郭から竪堀っぽいものを見下ろします。

 

1段目の郭を主郭の帯曲輪から見下ろします。

 

 

〇北側一本目の堀切

本城の一番の見どころです。

 

しかし、この堀切は個人的になぜここに設けたのか気になっています。

というのも、当城は丹波から京都に向かうという場面で使われているためです。

 

なぜ撤退路になる丹波川に移動の障壁となる堀切を切るのでしょうか

細い土橋はありますが、直接対岸の尾根にわたることはできません。

 

当時は丸太橋などを使って、有事は橋を引いて脱出するという構想だったのでしょうか。

 

 

城外側からの長めです。

 

主郭土塁から対岸を望みます。

分かりやすいようにほぼ原寸大で人物を配置しました。

 

10~15mくらいは距離があるでしょうか?
少なくともジャンプでは越えられなさそうです。

 

西側の土橋城になっている部分です。

 

堀切の北側は未加工の尾根になっています。

 

 

〇北側二本目の堀切

城の北限です。しっかりとした堀切が残っています。

こちらは中央が土橋城を呈しています。

 

経年でそうなったのか、元からだったのかはわかりません。

堀切にサンドイッチされている尾根には、中心部に収容しきれなかった軍勢を入れていたのではと推測します。

 

城外側からの眺めです。


城内側からの眺めです。

 

〇南側の段丘群

一部墓所構築で改変されていると推測されますが、切岸はしっかりとしています。

 

竪堀なのか、荒れなのかよくわからない場所です。

ただし、登山道に重なっているので竪堀と判断しました。

 

主郭にはスロープ状の尾根を上っていきます。

この部分は人の手が加えられていないように思われます。

 

もう一つ上の帯曲輪からが本来の城域だったのでしょうか?

 

南側の段郭です。

写真だと分かりづらいですが、切岸は一目で見て分かるくらいしっかりしています。

 

正面からです。高低差がわかるでしょうか?

 

西側の郭とも段差があります。

 

〇主郭帯郭
郭を区画するように竪堀がついているのが特徴です。

東側はシダ植物のため、かなり荒れています。

 

竪堀部分です。写真だと全くわかりませんが、1mほどの溝が確認できます。

 

 

〇主郭
南北2段の郭に分かれていますが、その区切りは不明瞭です。

北側に土塁があり、対岸を抑える形になっています。

 

内部は平坦です。

 

帯曲輪を見下ろします。

 

郭の区画部分です。緩やかなスロープになっており、区分が明確ではありません。

土塁側から主郭内部を見下ろします。

 

土塁です。

1.5mくらいはあるかと思います。

 

最後に眺望です。

洛中へのにらみがよく聞きそうです。

 

ただ、現状は丹波方面は見ることができません。

 

以上です。

 

文献に頻繫に出てくる要衝の割には、山城のほかの城郭(特に東山周辺)と比べて、

縄張りが貧弱なように思います。

 

これは天文期に利用を終了したことを表すのでしょうか。

また、神護寺との一体利用も想定されますが、距離が中途半端に離れており、別物なのではとも感じられます。

 

戦闘の場というよりも、一時的に駐屯する場所という印象が強い城でした。

 

 

  参考文献

1.笹木康平「高雄城」『図説近畿の城郭Ⅱ』戎光祥出版, 2015/4, p96-99

2.「京都府中世城館跡調査報告書 第三冊 ー山城1ー」京都府教育委員会, 2014

3.「京都府中世城館跡調査報告書 第三冊 ー山城編2ー」京都府教育委員会, 2015

4.木下昌規「足利義輝と三好一族 (中世武士選書45巻) 」, 戎光祥出版, 2021/11

5. 馬部隆弘「戦国期細川権力の研究」2018.10吉川弘文館

6.Google Earth(https://earth.google.com/web/

 

7. Web等高線メーカー(https://ktgis.net/service/webcontour/index.html

8. 国土地理院地図Web版(https://maps.gsi.go.jp)

 
 
 

9. ぱくたそ(https://www.pakutaso.com/