こんにちは。
4月1日、茨城県で新型コロナウイルスの感染者が新たに18人確認され、2人が死亡したそうです。県内での死亡例は初めて、感染者数は42人になりました。感染拡大が止まりません。1日も早い収束を祈ります。


さて、話は変わって先日のこと、栃木県真岡市の真岡鐵道久下田駅前に建つ二宮尊徳(金次郎)像を見てきたので、ご紹介します。

こちらが、真岡鐵道の久下田駅↓


真岡鐵道では、SLもおか号のカレンダーを販売していて、以前このブログでも、ここで購入したことを記事にした事があります。

当時は駅に人がいて、カレンダーも買うことが出来たのですが・・・↓


平均24年4月から無人駅になってしまいました。

さて、その久下田駅前に建っているのがこちら「二宮尊徳廻村の像」です↓


尊徳(金次郎)像といえば、薪を背負って本を読む少年像が有名ですが、こちらは壮年になってからのもの↓



二宮尊徳廻村の像
二宮金次郎(のちの諱を尊徳と称す)が小田原藩主の命をうけ支族宇津家再興のため知行所桜町陣屋に赴任したのは文政五年(一八二二年)九月六日のことである。
金次郎は藩命を受諾するにはあたって桜町領実地踏査のため文政四年五年に各四回来陣している(これを機に小田原と桜町の往来が活発になる)
こうして文政六年三月二十五日再び故郷栢山に帰らずの覚悟をもって全家財を処分し妻波子一子弥太郎を伴って小田原を出発江戸、幸手を経て谷田貝(現在の久下田)から桜町(現在の物井)に着任したのは金次郎三十七歳の時であった。
以来百七十年余尊徳ゆかりの地として新生二宮町は大きく発展し町の中心地であり軌道交通の玄関口となっている この久下田駅前に昔日の足跡と面影を偲びかつ功績を顕彰するためにここに二宮尊徳廻村の像を建立するものである。


この銅像は二宮尊徳翁五十年祭当時(明治三十九年 一九〇六年)祭典奉公会の委員として会務に当たられた田中寿治氏(当時県視学)が尊徳翁に接したことのある上物井の野沢利右エ門老(当時七十六歳)にいちいちただして桜町に在りし日の翁の姿を描いた唯一の等身大肖像画を原型としたもので、翁が農村復興のため居住した桜町陣屋の方を向いて居る。
(原画は町立物部中学校のものであり県立博物館に展示されている)
平成五年三月吉日建立
二宮町長 小倉尚志


栃木県芳賀郡二宮町は昭和29年、久下田町と長沼村、物部村が合併して誕生しました。「二宮」の町名は、尊徳翁にちなんでつけられたもの。その二宮町も平成21年に真岡市に編入され、尊徳翁ゆかりの自治体名は消滅してしまいました。残念です。


駅舎の写真を撮っていると、ちょうど真岡鐵道の上り列車がやって来ました↓


スイカを想わせる配色の列車。初めて見た時は驚きましたが、不思議なもので、何度も見ていると馴れるものです。


というわけで、真岡鐵道二宮駅前に建つ「二宮尊徳廻村の像」でした。