ケツァルコアトルって何? -2ページ目

ケツァルコアトルって何?

最近、ブログ名を変更しました。健康のこと、スピリチュアルなこと、映画のこと、パソコンのこと、ドラマのことなどを書きたいと思います。

My song createというサイトを利用し、作曲家さんに曲をつけて頂き、歌もいれて頂きました!!!

最近、数年前に創った詞を思い出しつつ、ブログに書き出しているのですが、My Song Createというサイトに出会い、詞に曲をつける決心を致しました。
このような人対人をつなぐクリエイティブなコミュニティは素晴らしいですね。
そして、私はこのサイトでとても素晴らしい作曲家さんに出会い、作曲して頂くことができました。

これは私の夢でもありました。

この作曲家さんは本当に素晴らしい方で、歌に対する姿勢やモットーに心を打たれました!
私が創った詞が曲にのって生き生きと踊りだし、作曲家さんの歌声で詞の情景が
見えてくるのは素晴らしいことだと感じました。

本当に感謝、感激です!

次にリリースされるWindowsの名前は、
Microsoft Windows 10

になるそうな。

9を抜かして10。

本当はOneブランドを推したくて、それに合わせてWindows 1にしたかったけど、既に使われてるらしく(?)、0をつけて10。

ナ、ナ、ナ、ナインは無いんだな。

確かWindows 7は、NTカーネルにしてから7番目のWindowsと言うことで、7という数字になったはず。

Windows NT 3.1
Windows NT 3.5
Windows NT 4.0
Windows 2000
Windows XP
Windows Vista
Windows 7

ほら!7番目でしょ?
※ちなみにWindows 95, 98, MEはNTカーネルベースのWindowsじゃありません。

Microsoft は「NTカーネルの世代でWindowsに名前をつけよう」というアイディアを採用し、次のWindowsはWindows 8にした。
順当、妥当、適切、単純明解だ。

それでも次は9じゃなくて10。
9を抜かして10。
大人の事情で10。

もうここまでくると「馬鹿」としか言いようがない。日本語がまだよく分からない米Microsoft の方の為に説明しておくと、

-------
馬鹿(ばか)とは、日本語で相手をからかったり侮蔑(その立場を低く見なす事で、相手の感情を損なう・人格の否定)するため、最も普通に使われる1 卑語俗語である。公の席で使うと刺激が強過ぎることがある。
-------

という意味です。understand?

一方、Windows Server はWindows Server 2000 から西暦を採用し続け、最新バージョンは2012。サーバーシリーズはブレないんだよなぁ。

ご家庭向けのWindowsの変遷は、以下のようになってます。

Windows 1.0 (既に使われているというのはコレか!?)
Windows 2.0
Windows 3.0
Windows 3.1
Windows 95
Windows 98
Windows ME
Windows XP
Windows Vista
Windows 7
Windows 8

そして次が

Windows 10。
9を抜かして10。

もういっそのこと、

Windows X (テンと読む)

にしちゃえばぁ?

やっば!これだとAppleとUnix/Linuxのユーザーに怒られそうだw

AppleにはMac OS X
Unix/LinuxにはX Window System
がある!

紛らわしいw

Windows One という手もある。
じゃ、次はWindows Twoか?
アホらしい!


『バルタンスマイル』

あなた素敵な バルタン星人
わたし あなたにメロメロよ
寝ても覚めても あなたのチョキが
わたし 捉えて離さない
胸にピコピコつけてるヤツら
わたし 軟派にきたときも
あなた 片手でわたしをかばい
チョキでヤツらをやっつけた

バルタン わたしはあなたが好きよ
あなたの笑顔が好きなのよ
バルタン わたしはあなたが好きよ
バルタンスマイル
フォッフォッフォ (V)o¥o(V)

あなた素敵な バルタン星人
わたし あなたに惚れ惚れよ
とても強くて タフガイだけど
グーに弱いが 玉にキズ
背中チャックをつけてるヤツら
わたし 誘拐したときも
あなた 片手でヤツらを捉え
チョキでかる~く みじん切り

バルタン わたしはあなたが好きよ
あなたの笑顔が好きなのよ
バルタン わたしはあなたが好きよ
バルタンスマイル
フォッフォッフォ (V)o¥o(V)

あなた 普通のバルタン星人
ちょっと地味かもしれないわ
人に紛れて 歩いていても
誰もあなたに気づかない
だけど わたしは気づいてみせる
なぜって あなたが好きだから
どんなに上手に隠れていても
かわいい ハサミがみえてるよ

あなた素敵な バルタン星人
わたし あなたにクラクラよ
バレーボールは出来ないけれど
ブイ(V)のサインは上手なの
変なお面をつけてるヤツら
ゼットン イジメにきたときも
友達想いの 優しいあなた
チョキでゼットン 助けたわ

バルタン わたしはあなたが好きよ
あなたの笑顔が好きなのよ
バルタン わたしはあなたが好きよ
バルタンスマイル
フォッフォッフォ (V)o¥o(V)

バルタン わたしはあなたが好きよ
あなたの笑顔が好きなのよ
街の平和を守ってみせて
バルタンスマイル
フォッフォッフォ (V)o¥o(V)

昨夜の事だが、

ある青年が雲より高い場所から飛び下りた。

その青年は、他人からみたら知的障害者のように見えるかもしれない、純粋無垢なぽーっとした印象の青年だ。
青年はマリオブラザーズのマリオが好きで、マリオのように空を飛べるかもしれないと思ったのだろう。
地面がどんどんと近づいてくる。
私は青年の後ろから彼を観察している。
私は「危ない!」と思った。
次の瞬間、青年は温かい光と共に空中に浮遊し、どこからともなく現れたマリオと共に巨大な大木の切り株の上に降り立った。

私はある宇宙船のコクピットにいた。コクピットに付いてるラジオでは、銀河連邦の公式発表が放送されていた。その青年が、マリオの着ぐるみをを付けていたと思われる老人の正式なエージェントとして迎え入れられた、という内容だった。その老人は銀河連邦でも一目置かれている人物らしい。

中型の宇宙船から、ある会社の数人のお偉方と一人の部下が、あるレストランに入っていった。
お偉方は皆、不機嫌そうで傲慢な態度をかもし出していた。
先にお偉方がレストランに入り、部下は少し後から入っていった。
私は部下の後ろから彼らを観察している。
部下は驚いた。先程まで不機嫌そうにしていたお偉方が皆、幸せそうな表情になっていたのだ。
そのレストランのテーブルに並べられていたのは、日本のそばを中心とした至高の和食だった。その料理やおもてなしぶりに、お偉方は感動していた。
しばらくして、食事は終わったが、まだ、料理が沢山、残っていた。
お偉方は部下に、それらの料理を皿ごと持ち帰るように命令した。
部下はお偉方の傲慢さが恥ずかしくなったが、お偉方の命令には逆らえなかった。
部下は仕方なく、レストランの奥にいる主人に、皿ごと持ち帰っても良いかと訪ねた。

「かまわんよ」

と主人は応えた。
お偉方は我慢しきれず、むさぼるように料理が乗ったお皿をかき集め始めた。
部下は恥ずかしさのあまり呆然としていたが、ふと、少し離れたテーブルで慎ましやかに食事をしている4人の家族を目にした。
その家族も食事を終えたようで、家族の父親と思われる人物が同じように主人に何かを問いかけていた。

「かまわんよ」

と主人は応えた。
その人物は主人に礼を言い、家族は料理皿が載っているいくつかのテーブルごと、自分の宇宙船に運んでいった。
テーブルにはローラーが付いていて移動させることができた。
家族がテーブルを運び終わって、その場所を離れた後の事だった。
レストランの天井一面がガラス張りになっている、その外側の宇宙空間に、超ド級宇宙戦艦(全長1km超、乗員約3万名)と同じくらいの大きな外洋クルーザーが通りすぎ、発進して行った。

私はこの時、理解した。
主人が老人であることを。だが、老人を見たわけではないし、マリオの着ぐるみを着ていたかどうかも分からない。また、分かる必要もなかった。
ただ、理解した。

ってな夢を見た。

『お針子ワルツ』

針が キラリと光ったら
それが 仕事の合図です
ハサミが わたしを呼びに来て
チョキチョキ してと 誘います
生地はどちらにしようかな
色はどちらに染めようか
勘とセンスが 針子の命
夢と希望を 創ります

糸が ヒラリとなびいたら
それが 仕事の合図です
機織(はたおり) 糸巻騒ぎだし
パタパタ してと 誘います
今の流行りは何かしら
似合う帽子はどれかしら
勘とセンスが 針子の命
風と時代を 創ります

生地はどちらにしようかな
色はどちらに染めようか
勘とセンスが 針子の命
夢と希望を 創ります

風と時代を 創ります

2014/10/09 第3版 決定稿

『気づいて気づかないで』

夕暮れせまる 街の中
闇はあたしの 時間だわ
黒い革ジャン 身につけて
影から影へ 忍び足
狙う獲物は 良家のボンボン
お気楽呑気に 歩いてる
勝負は一瞬 素早さ命
天国地獄が 決まるのよ
ドンッと獲物に ぶつかって
次の瞬間 右手をひらり
スリの女神が 微笑んだ

スッても スッても
スッても スッても
あいつはあいつは 気づかない
スッても スッても
スッても スッても
だ~れもあたしに 気づかない

スリはあたしの 天職よ

太陽まぶしい 街中は
スリにとっては 命とり
白いブラウス 着こなして
ルージュを決めて いざ出陣!
今日の獲物は ハンサムボーイ
イヤだわあたしの 好みだわ
ダメダメダメよ お仕事命!
恋より仕事を 選ぶのよ
ドンッと彼氏に ぶつかって
次の瞬間 左手ひらり
スリの女神が 微笑んだ

スッても スッても
スッても スッても
あなたはあなたは 気づかない
スッても スッても
スッても スッても
あなたはあたしに 気づかない

スリは悲しい お仕事ね

2014/10/26 第2版

中国の消費期限切れ食肉問題について、日本マクドナルド 社長 サラ・カサノバ氏は「大切なお客様に不安を与え、心配をおかけしたことを深くおわびします」と述べ、陳謝した。

カサノバ氏は「今回の問題は到底受け入れがたく、報道されている行為は絶対に許されないものだ」と発言し、被害者の立場を示した。

また、カサノバ氏は、今回の問題について「1つの都市の、1つの工場で働く悪意を持った数人の従業員の行動だ」として、問題は限定的である事を示した。

更に、カサノバ氏は、今回の問題を見抜けなかった理由について「データの改ざんや二重のデータ管理が行われていたためだ」と発言し、責任はあくまでも上海の食品加工会社にある事を示した。

ここまでの文章は、殆ど他のサイトでも公開されている記事のコピペであり、私なりにまとめたものである。

要点は3つ。

その1)うちの会社は悪くない。むしろ、被害者だ!

その2)悪いことをやったのは、少人数だけだよ!

その3)悪い事をやった奴が今まで誤魔化していたから、うちの会社は見抜けなかったんだ!


「もうアホか!」と私は思った。
「日本人を舐めてんのか!」とも思った。
アメリカ人社長の認識は、こんなものなのかと思い、愕然とする。
他の日本人の方の考えは知らないが、少なくとも日本人の私は、この社長の認識のあまさ、いや、愚かさに呆れるばかりである。

このカサノバ氏の事件に対する姿勢は、セウォル号沈没事件における韓国パク・クネ大統領の姿勢に酷似している。

つまり、問題(事件)を起こした当事者を徹底的にスケープゴートとし、自身(の会社)の保身について、最大限の力を注いでいるという事である。

もちろん当事者の責任は問われるべきである。
しかし、上記、要点で示したように、

「私は悪くないんだ。こいつが全て悪いんだ。私は騙されたんだ。」

と主張し、責任転嫁をしつつ保身に走る態度こそ、真に問われるべき責任ではないだろうか。

更にこれに拍車を掛けるように、日本マクドナルドは、「中国製の鶏肉を使ったチキンナゲットなどの販売を中止し、タイ製に切り替えていますが、今後、商品の安全性を一段と高めていくため、鶏肉以外の食材を加工している中国の業者と、タイの鶏肉の加工業者に対して衛生面などの基準を満たしているかを臨時で監査することや、これらの業者が加工した製品について日本国内で品質検査を行う方針を明らかにしました」とある。

そこで思った。
それでは今まで何をやっていたんだ?と。
タイに切り替えれば良いの?かと。
臨時で監査をすると言っているが、上海の食品加工会社は、監査をすり抜けてるではないか。

日本で品質検査は今までもやっていたはずで(全てではないが)、それを今更、「やります」と言われてもピンと来ない。
大体、中国で加工/冷凍後のものを日本で検査して、安全だと判断できるのか。
安全だと判断したとしても、床に落とされた肉をベルトコンベアに戻した物でないと断言できるのか?
期限切れの緑色の肉が混ざっていないと断言できるのか?

食中毒が(たまたま)発生してないから、日本人にはこれを食わせておけばいい、安全より売り上げを気にしろ、としか考えていないのではないだろうか?

ふざけるな!日本人を舐めんな!

アメリカ人業者(一般の人は含まない)の食に対するモラルは、実は中国人業者と大差無いのではないか???

日本の自給率が低い事を負い目として、外食産業に頼らざるを得ない事を差し引いても、日本人の私としては全く納得できない。

マクドナルドは既に危険なファーストフードショップだった事を思い知らされた。

これからはじまるあなたのものがたり
ずっとながくみちはつづくよ
にじいろのあめふりそそげば
ソオラ ワタカーアルー
マブシイエ ガオーノクニ かなしいおとがする
よりそって イーマガッテ こんなにもいとお しい てをつなぎバッタタカイコトきらいに なればひとりになってくこと
ひとつひとつがあなたになる にじはつづくよー


うーん、わからん。何を言ってるんだ、この人は。

新聞の投書欄に「歌詞が聞き取れない」という記事を母が見つけた時、私は「絢香って人は作詞の才能がないんだよ」と言ったら、母は絢香が好きなので、「こういう歌なんでしょ」と言って、無理やり自分を納得させている。そのクセ、「なんて言ってるんだろうねぇ」と毎回、聞いてくるのだ。私は内心「知るか!」とツッコミを入れつつ、「さあ」と生返事を返している。

私は毎日、この歌を聞いてから出かけるので気にはなっていたが、放置して置いた。特に絢香が好きというわけでもないので。

ただ、新聞に投書が掲載されたのと、解せない歌詞が耳にこびり付いて離れないのが気になってきたので、「んじゃ、ちょっと歌詞をググってみるか」と軽い気持ちでキーワードを打ち始めた。

googleの検索窓に
「絢香 にじいろ 歌詞」
と打った時、その後に続くキーワードの候補として「聞き取れない」と出たのだ。

「絢香 にじいろ 歌詞 聞き取れない」

うわぁ・・・、他のみんなもググってるのかwww

歌い方は歌手の個性で変わるので、好き嫌いも聞き手によって変わる。私個人は、歌い方はそれほど問題視していない。まあ、日本語の歌詞をテッカテカの日本人が歌って、テッカテカの日本人がその歌詞が聞き取れない、何回聞いても聞き取れない、というのは問題だが。

それよりも、作詞がド下手なのが致命的だ。先ほどの文で「才能がない」と言ったが、訂正する。才能云々の問題ではない。それ以前のレベルだ。

作詞の基本をマスターしていない。基本をしっかりマスターしていなければ、アーティストとしての個性や才能など、全くの無意味なシロモノだ。
詞先、曲先、同時と3つの歌の作り方があるが、少なくともこの歌は、詞先ではないだろう。

曲のフレーズ開始時点において、名詞の途中を置いてみたり(「顔の奥に」)、接続詞を置いてみたり(「は高なる)」、このような稚拙な作詞レベルでメジャーを張って、それを容認する風潮は実に嘆かわしい。ただ、本件の場合、言葉のプロフェッショナルであるべきNHKがこれを容認しているという点について視聴者から叩かれているという特異性がある。

「今時の若手の人気歌手だから、いいんじゃない?」とかNHKは思っちゃったのだろうか?それとも、そもそも歌詞に対する問題意識が無かったのだろうか?

歌い方はとりあえずいい。
自分なりの気合の入れ方で歌ってくれていい。
ただ、日本語の歌詞なんだから、少なくとも歌詞が聞き取れるような歌い方ができるよう努力して欲しい。
自分の歌い方に酔っ払って、歌詞が聞き手に伝わらないのは、本末転倒だ。
プロフェッショナルなんだから。
忘れずにメモしておきたい。
私は無精で記憶力もないので。
ただ、感情的に書き残しておきたかったのだ。

「陽性かくにん!よかった。」

個人的に統計をとったわけでもないので、公開された件の実験ノートに対する批判がどの位の割合にあるのかは分からない。また、興味もない。

ただ、このような一見、稚拙に見えるコメントは、「有り」ではないかと思い始めたのである。

その切っ掛けは、ある天才科学者(ドクター)のエピソードに関連付られる。
その名は「ミース・シルバー」。
ファティマ・マイトである。

「ま~た、訳の分からない事を書き始めやがった」と思った方は、これ以上、読まない方が身の為です。あなたの大事な人生の時間を浪費することはありません。


・・・
ようこそ!浪費の世界へ!
先程、ご紹介した博士については、説明が面倒なので、ニッチェ的にアドバイスさせて頂きます。
「ウィキペ~~ディア!」
「検索っ!」
「クリッッック!」

もう、そろそろお気づきかも知れませんが、わたくし、少々、アルコールが入っております。

「んなこたぁ~、どうでもよろしい!!!」

ミースが養子として天才科学者 バランシェ博士(この人もファティマ・マイト。星団でもトップクラスのエローい、いや、偉~い博士なのです)に養われていた頃の事です(養子になった経緯については、ヒッター子爵様にお尋ね下さい)。
その頃、ミースはただの地っ味~な学生でした。あ、一応、断っておきますが、ミースは女の子で、眼鏡っ娘です。え?そんな情報、いらない?失敬。

ある日、学校で行われた数学のテストで、「ミースはカンニングをした」という事で、先生からコピっとこっ酷く、怒られてしまいました(何か用法が違う気がするw)。ミースは泣きベソをかきながら、バランシェ博士に言いました。

「なんで、怒られなくちゃならないの!わたし、何も悪い事、してないのに!」

バランシェ博士は、答案用紙を確認しました。確かに回答が記述されています。しかも、全部、正解です。しかもしかも(2回言ってみた)、回答を導き出す為の途中の式は一切、記述されていません。

これはもう、カンニング確定ですよね!お尻ペンペンは当然です!



バランシェ博士は、数秒間、空中を睨んだ後、何やら訳の分からない、誰にも理解出来ないような長~い数式をディスプレイに表示し、「これを解いてみろ」と言いました。

ミースは紙と鉛筆と格闘し、しばらくしてから(カップラーメンができる位)「できました!」と言って、回答をバランシェ博士に見せました。
バランシェ博士は、「ふうっ」とため息をつきました。



「正解だ。これは私が導き出した答えと同じだ。お前には、数式を一瞬見ただけで、答えが頭に浮かぶのだろう。カンニングの疑いがかかるのも当然だ。お前は教師より頭が良いのだからな。お前は特別な能力を持っている。それは太古から引き継がれているダイバーフォースとしての力。現在では、‘マイト’と呼ばれている能力だ。」

やがてミースは、バランシェ博士の後を継ぎ、ミース・シルバー・バランシェと名乗り、有名なファティマ・マイトとして、星団歴に名を残しましたとさ。めでたし、めでたし。


・・・
じゃなくて!
本題はここからである。小保方さんは実はマイトなんじゃない?とか言い出すわけではない。

ただ、実験ノートとかいう外部記憶に実験の記録を事細かく書き残せば書き残す程、その人物の能力の低さが露呈されているのではないか?と、ふと、思ったのである。

本当に能力が高ければ、実験の記録は脳(内部記憶)に「こびり付く」はずである。人間は歩く時、歩き方のマニュアルを見ながら、歩いているわけではない。赤ん坊の頃に何回もチャレンジして、獲得した成果なのである。

だ か ら !
凡人が研究者(天才とは言わない)の実験ノートをみて、「何、これ。中学生の絵日記か?」とか言う行為は、己の愚かさを露呈するだけだ!

「妖精かくにん!よかった!」
いいじゃないか!これのどこに問題がある?どや?(顔)


・・・
とかいう、狂人じみたメモを残しておく。
あ、そういえば小保方さんは眼鏡っ娘じゃなかったなぁ。関係ないけど。
あ、そういえば女子力については…やめとこ。

最後に一言。
理研よ!コピっとしろし!
(もう、台無しw)

今回はWindows8が抱えるダブルスタンダードと、それに関連するであろうMicrosoftの体質について考察してみる。

【デスクトップ】Windows 7との互換性を完全に確保《Windows 8詳細プレビュー》
http://t.co/uZyxQT1Bw9

この記事で記述されている「この互換性を実現するために、従来のWindowsとほぼ同じインタフェースで操作できる「デスクトップ」環境も、メトロ環境とは別に残している(図1)。」という文章は明らかに誤りである。
互換性のためにデスクトップ環境が残っているワケではない。
デスクトップ環境(Win32/Win64)がメインストリームであり、Windowsストアアプリの実行環境(WinRT)はあくまでタブレット向けのアドオン的な位置づけである。
もし、「互換性の為にデスクトップは残している」というのならば、将来のバージョンにおいてデスクトップ環境は廃止されることを意味する。これはもはやWindowsではない。Windowsストアアプリはウィンドウを使用していないからだ。
そもそもの誤りはデスクトップ/ノートPC向けOS(Operating System)とタブレット向けOSを一つのOSとして統合し、開発コストを下げようという開発者側(Microsoft)の安易な思考にある。
OSサイズを比較してみてもiOSが3GBなのに対しWindows8は10GBもあるのだ。なぜか?
それはデスクトップ環境のAPIに加えてWinRTのAPIが追加されているからだ。純粋なタブレットとしてWindows8を使用した場合、実際に使用されないAPIは少なくないだろう。

Windows8の開発責任者であるシノフスキー氏は、3年の開発期間、ARMプラットフォームへの移植、WinRTの実装、新機能の実装、既存機能の改善など、様々な開発条件/開発要件を勘案しつつ、プロジェクトを推進した。そして、Windows8は、3年間というタイトなスケジュールで一応の完成をみた。
様々な開発条件を勘案しながらも、3年間というスケジュールに沿って、プロジェクトを完遂させた功績は非常に大きい。その意味で私はシノフスキー氏に敬意を払いたい。

しかし、本質的にはWindows「8.0」は完成していなかった。いわゆる「積み残し」があったのだ。それはBugFix(プログラミングにおけるミスの是正)はもちろんのこと、8.0で実装を見送った数々の機能が存在していたのだ。それが8.1で実装された。もちろん、ユーザーからのフィードバックもあっただろうが、それにしても8.1がリリースされるのは早すぎる。

シノフスキー氏は老練たる「プログラマー」であるが、プロジェクトを完遂させるに足るスキルを併せ持つ「マネージャ」でもあった。非常に希有な人物だ。だが、8.0のリリース直後、Microsoftを退職した。
シノフスキー氏は退職理由について様々なメディアで表明しているがこれは表向きであり、シノフスキー自身が心の底で考えている本当の理由は分からない。シノフスキー氏とMicrosoft社内とで対立があった、という噂が転がっているが、それも私には理解できない。

かつてデヴィッド・カトラーという人物がいた。NTカーネルの初代開発責任者だ。WindowsNT3.1はNTカーネルを最初に搭載した32Bitのオペレーティングシステムであり、Windows8もこのNTカーネルの延長線上にある。
デヴィッド・カトラーは開発中に気に入らない事があると壁を蹴破るという破天荒な人物であった。良い言い方で表すと、「仕事に厳しい人物」ということである。しかし、仕事ベッタリという訳でもなく、昼休みには友人とテニスをしたりするという、実に若々しい人物なのである。
彼は元々DECに在籍していたが、ビル・ゲイツ本人が直接掛け合って、DECからMicrosoftへと引き抜いた。彼は数人の部下を伴い、Microsoftへ入社した。ビルは彼の大ファンだった。
その時代、Microsoftは彼のような破天荒な人物を受け入れるだけの器があった。

シノフスキーとデヴィッド、二人を単純に比べるのは私もどうかとは思うが、しかし、Microsoftがシノフスキー氏を持て余したという事実は確かに存在する。私にはこれが、Microsoftの体質が昔に比べ、変質してしまったとしか思えてならない。
Microsoftは自身が大きくなるに連れて、財政状況、コンプライアンス適用、業界生き残りを過剰に重視し、逆に「器」が小さくなったのではないかと思えてくる。「開発者の取り込み/育成」には力を入れているが、「人の育成」が疎かになってはいないだろうか。

Windows8はデスクトップのUI、WinRTのUIというダブルスタンダードを抱え込んでいる。このバージョンはWindowsシリーズの中で異端児であると考える。

今、コンパーチブルタイプノートPCがわんさか沸いているが、Windows8を生かす為の苦肉の策としか思えない。価格帯として考えるとコンパーチブルタイプは、UltraBookと同等かそれ以上である。そして、決して、タブレットの価格帯ではない。

コンパーチブルタイプはキーボードを備えたノートPCという役割と、本体変形あるいはキーボード離脱によるタブレットという役割を併せ持っている。そして、そのギミックを実装する為のコストを抑えるのは容易ではない。しかも、OSライセンスのコストも無視できない。

やはり、PCはPC、タブレットはタブレットというように、OSは分けた方が良いのだ。
現在のWindows8が抱えるAPIは太りすぎている。

PCの場合、これ(太りすぎているAPI)はあまり問題にはならないが、UIがダブルスタンダードというのはまずい。従来のようにデスクトップのUIをメインとし、WinRTのUIはオプションとして提供、Windowsストアアプリ「も」実行できるというのならば、納得がいく。Windows8のスタート画面に並ぶ沢山のアイコンの中から「たまに使うアプリケーション」を探すのがとても大変なのだ。グルーピングは可能だが(8.0/8.1共通)、ツリー構造にはなっていない為、全アイコン表示モードにした場合、全てのアイコンが展開されてしまう。これではグルーピングのラベル(8.1)を付けても意味がない。結局、永遠と横スクロールしながら目で追っていかなければならないのだ。

しかも、PCの場合、大きいディスプレイ(24~27インチ)でWindowsストアアプリを動かすと、「空白」が目立つ。「空白」とは何も情報を表示していない領域(空間)のことだ。もちろん、アプリケーションにもよる。そして、Windowsストアアプリはタブレットでの利用を前提としている為、「没入型」を意識した画面構成となっている。没入型とは、一つのアプリケーション「だけ」を画面全体に表示し、ユーザーをそのアプリケーションに「没入」させることを意味する。そういう意味においてはWindowsストアアプリ自体を否定することはしない。しかし、PCで実行した場合、妙に空白が目立つのだ。画面上において、有用な情報が表示されている部分と、単にグラフィカルなイメージ画像がなんとなく表示されている部分(つまり空白)が目に入ってくる。いつも思うのは、「この空白はいったい何なんだ???」だ。

しつこい様で多少、気が引けるが、もうひとつ気になることがある。標準で搭載されているWindowsストアアプリの中で、本来、表示すべき情報とは異なる情報が「何気なく」というか、「おまえ、なんでここにいるんだ!?」という情報である。それは何か?
「企業の広告」である。
例えば、IE(InternetExplorer)を起動して、何か自分の趣味に関するサイトを見つけて、そのホームページを見たとしよう。そのページには自分の趣味に関する情報が表示されている。そして、ページのサイドに企業や商品の広告が表示されていたとする。このページ構成については、あまり文句はない。あくまで個人的な見解だが。
しかし、スタート画面から起動するWindowsストアアプリは、あくまでアプリケーションであって、目的を達成する為の機能を実装し、目的を達成する為の情報だけを表示すべきだと考える。その画面に何の関係もない企業や商品の広告が表示されても迷惑なだけである。これでは、新聞紙に挟み込まれたチラシと何ら変わりはしない。

Microsoft製ではなくサードパーティ製のWindowsストアアプリで自社の他製品の広告を表示する、というのならば納得はいく。だが、Microsoft純正の、しかも、デフォルトでインストールされるWindowsストアアプリに、他社の企業広告を表示するのはダメだろう。これは全く、納得できない。センスを疑う。そんなに広告料が欲しいのか?

だからなのか、私にはWindowsストアアプリがまだまだ、「スカスカ」の見かけだけの派手でチラシ入りのWebページを「アプリケーション」として表示させているだけ、としか思えないのだ。

私個人が考えるキラーアプリ(つまり結構、好きなアプリでチョイチョイ使うアプリ)は、Google Earthなのだが、これのWindowsストアアプリ版がまだリリースされていない。これこそ、まさに没入型のアプリとして欲しいものであり、タブレットでも、また、PCでも使いたいアプリなのである。だが、まだ、リリースされていない。というか作る気があるのかも分からない(Bing Mapsとか興味はないし~)。

話がPCに偏ってしまった。話を戻そう。

タブレットの場合、タブレット専用路線を選択するなら、Windows8が抱え込むAPIをフレシキブルな構成に再構成した上で、スリム化を図るべきだと考える。つまり、タブレットでは絶対に使われないであろうAPIを外し、それに連動して.NET Frameworkを再構成することである。現在の10GBのOSサイズは、タブレットに載せるには(iOSに比べて)大きすぎる。

そうではなく、このままコンパーチブル路線を選択するなら、OSは現状維持しかない。しかし、ハードウェアを含めた「製品」としてみた場合、高額、低性能、高重量、短稼働時間がネックとなる。OSのライセンス価格を下げるか、ハードウェアのコスト削減と進化を待つしかない。
ARMプラットフォームのサポートもいつまで続けるのか保証はまったく無い。かつて、NTカーネルベースのWindowsシリーズは他のプラットフォーム(MIPS、PowerPC等々)をサポートしていたが、間もなくサポートは打ち切られた。ARMも同じ運命を辿る気がしてならない。

いずれにしても、Windows8は8.1になったとしても、ブレまくっているような気がしてならない。
それは、Windowsに関わる様々な立場の人の、様々な思惑が交錯して、Windows8がまるで出来の悪いパッチワークで出来ているように感じられるのである。
本当に使う人の立場になってデザインされているのか疑いたくなる。
何かこう~、一本、スジが通ってない気がする。ポリシー(信念)が感じられない。
と言うよりも、複数の思惑がポリシーという大義名分を騙って陣取っており、カオスと化している気がするのである。

Microsoftはこれから未来に向けて、このカオスの中から「本来、あるべき自分」を見いだすことができるのだろうか?
これは「会社組織」としての未来ではなく、「開発者」としての未来でもない。

「人」としての未来である。そこには立場や思惑を超えた、「本来、自分がありたいと思う未来」があることを私は望む。その先にこそ、Windowsの本当の進化が見いだせるのだから。