逃げ切れないと分かっていても奇跡を願う生き方 | 思考の散歩道

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毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

気がついたらずい分と更新していませんでした。


先日ある勉強会でこんな話がでました。


Aさんの奥さんは自分にとってネガティブなことが嫌い。だから自分にとってネガティブなことや人が現れると削除してしまう。(一部の人たちは断捨離と言って言葉のセルフイメージを上げることで表面を取り繕っていますが、要するに逃げ回っている)


その話を聞きながら心の中で・・・・いるなぁ~少ないけれどそんな生き方を選択している人。


で・・・・・


私は先生に質問


「そのような生き方をしていて逃げ切れますか?」


返ってきた答えに納得。


それは・・・・・


表向きは逃げ切れたと見えても厳密に言うと逃げ切れない。それは人間は誰もが皆、最後にとてつもなく大きな「ネガティブ」と向き合うことになるから。


とてつもなく大きな「ネガティブ」それは死です。


どんなに充実した人生を生きてきても死はやはりとてつもなく大きな「ネガティブ」であることに変わりは無い。


ネガティブに対する耐性を付けていかなければ人生最後の絶対に逃れることが出来ないネガティブでとても苦しむことになる。



なるほど・・・・



でも、そのような人は自分はシッカリとネガティブとは向き合っているとか、人生にとって必要なのは「バランス」とか「中庸」とか、もっともらしい言葉のオンパレードだし、挙句の果てに「全ては自己責任」なんて言い出す人もいる。



そこでもうひとつ聞いてみた。



そんな人に気がつくようにどのような「自己責任」をとらせるのか・・・・



ここから先は具体的には書けませんが、自分が一番大切にしているもの、自分がこれが私のセールスポイントと思っていることがダメになる。



なるほど、自分なりに今までの人生で見てきた経験から推察すると、外見に自信を持っている人には消すことの出来ない大きな傷が顔に残ったり、ファッションが大事だと思っている人には身体に障害が出るなんてことになったり。


逃げ切れないし、場合によっては耐え難いほどの自己責任をとらされることが確実であるのならあなたはどうしますか。


ネガティブな出来事や人と向き合いポジティブとネガティブのバランスを取りながら生きていく人生か。


最後に絶対に逃れることの出来ない超ネガティブと耐性のないまま向き合うか、または厳しい自己責任をとる人生か。