多系統萎縮症。

この病気になって、自分の体が思い通りにならなくなってきた。

たとえば、歩くのがそうだ。話すのもそう。

呂律の回らない口調でも、家族と話したい。

壊れて行く自分の体がもどかしい。前なら声も足も出して近寄っていくのに。 

家族は、わたしの壊れ行く体には言葉少なで、他方で、私の中に取るに足らない小さな、希望の持てる事実を見つけて、治りはしないまでもマシになるかもという微かな願望で装飾する。

いや、私自身もそうであるべきなんだろう。

自分の体が発する出来ることについての微かな事実を過大にも過小にも判断しないで、そこに希望をつなぎつつも、でもそれだけにしがみつかずに、しっかりと生きていく。

そう心がけたいものだ。
それがいまの気持ち。