今日から10月。ピンクリボン月間ですね。
4年前の今日は、初めて主治医に会った日です。
あのころは、ピンクリボン月間なんて知らず。
リレーフォーライフの記事担当になったときも、
「へぇ~こんなのがあるんだ」と思ったくらいでした。
乳がん当初の治療記録がまったくされていないブログなので、
ちょっと今日から日を追ってまとめてみようかな。
なんて思い、4年目を機会に、振り返って書いてみたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2010年10月1日。告知から2日後。
前夜に病気のことを相談した知り合いのA先生の紹介で、今日乳腺外科の先生に会えることになりました。
朝8:00すぎ、緊張して待っていると、A先生からの着信。
夕方診察が終わった後に時間を取ってもらえることに。
大病院なので、受診のやり方を教えてもらい、15:30に病院に行くことになりました。
その日は、もともと予定がびっちりで。
2週間後に控えた結婚式に向けて、
午前中は父のモーニングの衣装合わせ。
12:00時からは私の前撮りの衣装合わせ。
本当は衣装なんて選んでる場合じゃないんだけど、やっと取れた予約。
これをキャンセルしたら前撮りに間に合わないと思ったので決行しました。
衣装合わせは、白ドレス、色ドレス、白無垢の3着を選ばなくてはいけなくて、
一人だと短時間で決められないと思ったので、前日に私の病気のことを知って実家に帰ってきてくれていた妹に付いてきてもらいました。
ドレスの下に、胸やウエストを補正するためのきつめの下着をつけないといけなくて、私の乳がんがつぶされないかと心配になりながらも、冷静に衣装選びを進めました。
お店のスタッフからは「おめでとうございます」と言われ、「ん~、おでめとうじゃないんだけどな…」と心の声。
無事に3着を選び、A先生へわらび餅の手土産を買って、父の車で病院へ。
ここでもなぜか一人で受診。だって大人だもんね。
以前、仕事で訪れた病院へ、今度は自分の病気で来ることになるとは…。
乳腺の先生に会って、何を話せばいいのか、何を聞きたいのかも分からないまま。
取り合えず、教えてもらった通りに受付で初診の手続きを取りたい旨を伝えました。
すると「初診の受付は本日終了しました」と言われ、撃沈。
A先生へ助け船をだし、受付の人に事情を説明したら、手続きできることになりました。
初診の手続きを済ませて、2階の一番奥の乳腺外科へ。
そこでもらった問診表には、「結果はすべて知りたいですか?」「あなた以外に結果を誰に伝えますか?」という欄もありました。
もちろん、結果は全て知りたいです!今すぐにでも!
この日の流れは。
①問診
②マンモグラフィ
③診察
④CT検査
⑤超音波検査⑥診察
まずは、若い女医さんから別室で問診。これまでの経緯を聞かれました。
それからマンモグラフィを撮ってきてくださいと。
今日は話だけだと思っていたので戸惑いつつ。
でも確かに、レントゲンとか何も持ってきてない私に、このままだと何も話できないよなと納得。
迷子になりそうな大病院の地図をもらい、地下の検査室へ。
人生3回目のマンモグラフィを撮影。
いつもは左右2回ずつだけど、しこりが気になる部分だけ、板のようなものをおいて追加撮影しました。
そのレントゲン写真を持って診察室へ。
初めて乳腺の先生との対面です。ドキドキ。
その病院にどんな乳腺の先生がいるのか前日に調べていました。
一番上の教授の先生。
うんうん、頼りになりそう。
紹介してくれるのはこの先生かなって。
そしてA先生も一緒に診察室へ。
ドアを開けて診察室に入った瞬間、驚きました。
「わ、わ、若い!」。
年配の威厳のある感じの先生を想像していただけに、
目の前にいる若くてひょうひょうとした、
どちらかというとちょっと頼りなさそうな先生にびっくりしました。
「ん?大丈夫かしら」。
診察室には私のマンモグラフィの画像があり、乳がんを前提で話が始まりました。
「ちょっと待ってください!私は乳がんが間違いじゃないかと思ってここに来ました!」とは心の声。
口から出たのは。
私「先生、やはり乳がんでしょうか?」
先生「間違いないと思います」
私「そうですか、乳腺内に留まっているごく早期だと聞いています」
先生「いえ、ここのあたり、浸潤していると思います。乳管の外にも広がっていると思います」
私「・・・・」
乳がんだったとしても、ごく早期で、早期なら抗がん剤治療はしなくて良いと聞き安心していたので、すごく衝撃的でした。
前回の病院ではマンモグラフィには映らず、超音波検査で分かったのですが、今回撮ったマンモグラフィにはあやしい感じがちゃんと映っているようでした。
確かに、説明してもらったら私でも「ここかな」っていうのが分かるくらい。
先生は、「乳がんだと診断を受けたことを知っているので、そこを重点的に見るから分かるということもある」と説明されました。前の病院をかばってる!?
先生は、その後も今後についていろいろ説明してくれたのだと思いますが、よく覚えていません。
というか、知識がなさすぎて、話の意味がまったく分かりませんでした。
ただ気になったのは、乳腺の先生が私じゃなくて、A先生の方ばかりを向いてしゃべっていること。
「先生、乳がんになったのは私です!」と言いたかったです。
結婚式が近いので、早く検査をしてはっきりさせたいことを伝えました。
今後の検査は、PETやMRIや組織診が必要だと。
それから、A先生の勧めもあって、急きょ、本日CT検査をすることになりました。
その結果を見て、また話しましょうと。
CT検査室までA先生に案内してもらい、先生はこの後予定があってさようなら。
(当時はCTの意味は分かりませんでしたが、今思えば全身への転移がないかを、早急に見るためだったのだと思います)
CTは人生2回目。
以前、お腹がいたくて撮ったことがありました。
そのときは卵巣からの出血が見つかって、入院!と言われたけど、携帯忘れて来ていたのが気がかりで、自宅療養にしてもらったんだよね。
人生2回目、造影剤の危険性について書かれた同意書にサイン。
読んでいて怖くなりましたが。
ドーム状のCTのベッドに横になり、私の体の上を行ったり来たり。
途中、造影剤を注射され、全身、特に下半身がカ―っと熱くなり、おもらしした!と思うほど。
なんだか、いっぱいいっぱいになりながら、なんだかドラマみたいだ、これが現実なのかなと思っていました。
でも、この検査で転移が見つかったら…とか、そんなこと知識がなさ過ぎて想像することもできなかったので、特に何も思わず、早く検査が受けられるのは助かるわ~と思っていました。
CTを受けて診察の待合室へ戻ると、今度は超音波検査を受けることに。
小さな超音波室。
そこには看護師さんや研修医らしき女医さんもいて、ぎゅうぎゅうでした。
みんなに見守られながら、胸をさらけ出して、検査。
先ほどの乳腺外科の先生が超音波検査してくれました。
やっぱり、画面に映る真っ黒な影…。
画面には、サイズを図る矢印やら、血流を図るカラフルな画面やらが出ていました。
終了後、先生は研修医にどうぞやってみる?みたいな感じで退出。
ええ! 私の体を実験台に!?
でも研修医は「いいです~」みたいな感じで終了しました。
よかった、まだそんな心の余裕はありません。
その場で着替えていたら、看護師さんたちが、「●●みたいだよね」「うんうん、●●だといいよね」なんて言っていました。
それから私に「●●だと全然違うからね」と。
当時はよくわからなかったけれど、乳腺内に留まっている非浸潤がんみたいだということを話していたんだと思います。
最後、もう一度診察室へ。
CTでは全身への転移は見つかりませんでした。
それと、先ほどの看護師さんの話とは裏腹に、先生は「超音波でもみたけど、やはり浸潤していると思います」と、マンモグラフィの画像をみながら、「ここあたりが…」と説明してくれました。
今後については、下記の検査が必要になるとのこと。
①PET-CT検査→全身への転移を見る
②MRI検査→乳がんの広がりを見る
③組織診(マンモトーム生検)→鉛筆ほどの少し太い針で組織を取って乳がんの性質を調べる
④手術のための検査(肺機能・心電図など)
前の病院で、PET-CT検査とMRI検査の予約をしていたけど、学会で休診があって結果を聞くのが遅くなるのが心配だった私。
その旨を先生に伝えると、
PET-CT検査はそのまま前の予約分で受けて、MRI検査はその病院と連携している別病院で受け、その後ここの病院で組織診をすることに。
つまり10月6日(水)に3つの病院をはしごして、検査を1日に集中させ、その結果を10月12日(火)に家族で聞くことになりました。
もともとは、13日(水)に結果を聞く予定だったので、1日しか分からなかったけれど、1日でも早く聞きたかったので、受け入れました。
結婚式は10月16日だったので、鉛筆ほどの太い針で胸を刺す傷のことが心配でした。
ドレスを着るときに胸に傷があったらやだなと。
先生は、乳輪の近くから針を刺すようにするから大丈夫ですと言ってくれました。
よかった!
それと、「子どもは産めますか?」「将来子どもを産みたいと思っています」と伝えました。
先生からは、「体外受精をして、受精卵を凍結する」という選択肢を提示されました。
ここの病院ではやっていないので、希望するなら早めに予約を取って話を聞きに行ってみてくださいと、病院名と先生の名前を書いた紙をもらいました。
体外受精、受精卵凍結。
今まで身近に考えたことはなく、向井亜紀さんのことで存在は知っていましたが、テレビの中の出来事だと思っていました。
取り合えず、紙はもらったけれど、ハードルが高くて、そこまで考えられませんでした。
次回の10月13日(水)の予約を取り、小学生に渡すような、6日の検査まわりのスケジュールが書かれた手書きの紙をもらい、本日の受診は終了。
終わったら6時半で待合室には誰もおらず、外に出たらあたりは暗くなっていました。
「本当にがんなのか」ということが知りたくて行った病院ですが。
もちろん乳がんということは間違いなく、
さらに進んでいる状態だということが分かった結果となり、胸が苦しかったです。
両親に電話をして車で迎えに来てもらいました。
検査の結果を伝えながら、孫を楽しみにしてくれている両親に、「受精卵凍結っていう選択肢もあって、治療が終わったら赤ちゃんも産めるらしいよ」ということを強調しました。
その後、「もう帰る?」と母に言われたのですが、予定していた洗濯機を買いに●マダ電機へ。
洗濯機とトースターを見て、店員にお決まりの値切りまで披露しました。
お会計待ちのときには、力が抜け、元気糸も切れて、絶望的な気持ちになりました。
帰りに寄った回転すし屋さんでは、大好きなお寿司も喉を通らず。
うどんなら食べられるかと思ったけど、やっぱり食べられなくて。
私のこれからは一体どうなるの?
そんな不安でいっぱいでした。
帰って、A先生へ今日のお礼と報告をして、長い長い一日は終わりました。
やっぱり私は乳がんでした。。。
★
にほんブログ村
4年前の今日は、初めて主治医に会った日です。
あのころは、ピンクリボン月間なんて知らず。
リレーフォーライフの記事担当になったときも、
「へぇ~こんなのがあるんだ」と思ったくらいでした。
乳がん当初の治療記録がまったくされていないブログなので、
ちょっと今日から日を追ってまとめてみようかな。
なんて思い、4年目を機会に、振り返って書いてみたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2010年10月1日。告知から2日後。
前夜に病気のことを相談した知り合いのA先生の紹介で、今日乳腺外科の先生に会えることになりました。
朝8:00すぎ、緊張して待っていると、A先生からの着信。
夕方診察が終わった後に時間を取ってもらえることに。
大病院なので、受診のやり方を教えてもらい、15:30に病院に行くことになりました。
その日は、もともと予定がびっちりで。
2週間後に控えた結婚式に向けて、
午前中は父のモーニングの衣装合わせ。
12:00時からは私の前撮りの衣装合わせ。
本当は衣装なんて選んでる場合じゃないんだけど、やっと取れた予約。
これをキャンセルしたら前撮りに間に合わないと思ったので決行しました。
衣装合わせは、白ドレス、色ドレス、白無垢の3着を選ばなくてはいけなくて、
一人だと短時間で決められないと思ったので、前日に私の病気のことを知って実家に帰ってきてくれていた妹に付いてきてもらいました。
ドレスの下に、胸やウエストを補正するためのきつめの下着をつけないといけなくて、私の乳がんがつぶされないかと心配になりながらも、冷静に衣装選びを進めました。
お店のスタッフからは「おめでとうございます」と言われ、「ん~、おでめとうじゃないんだけどな…」と心の声。
無事に3着を選び、A先生へわらび餅の手土産を買って、父の車で病院へ。
ここでもなぜか一人で受診。だって大人だもんね。
以前、仕事で訪れた病院へ、今度は自分の病気で来ることになるとは…。
乳腺の先生に会って、何を話せばいいのか、何を聞きたいのかも分からないまま。
取り合えず、教えてもらった通りに受付で初診の手続きを取りたい旨を伝えました。
すると「初診の受付は本日終了しました」と言われ、撃沈。
A先生へ助け船をだし、受付の人に事情を説明したら、手続きできることになりました。
初診の手続きを済ませて、2階の一番奥の乳腺外科へ。
そこでもらった問診表には、「結果はすべて知りたいですか?」「あなた以外に結果を誰に伝えますか?」という欄もありました。
もちろん、結果は全て知りたいです!今すぐにでも!
この日の流れは。
①問診
②マンモグラフィ
③診察
④CT検査
⑤超音波検査⑥診察
まずは、若い女医さんから別室で問診。これまでの経緯を聞かれました。
それからマンモグラフィを撮ってきてくださいと。
今日は話だけだと思っていたので戸惑いつつ。
でも確かに、レントゲンとか何も持ってきてない私に、このままだと何も話できないよなと納得。
迷子になりそうな大病院の地図をもらい、地下の検査室へ。
人生3回目のマンモグラフィを撮影。
いつもは左右2回ずつだけど、しこりが気になる部分だけ、板のようなものをおいて追加撮影しました。
そのレントゲン写真を持って診察室へ。
初めて乳腺の先生との対面です。ドキドキ。
その病院にどんな乳腺の先生がいるのか前日に調べていました。
一番上の教授の先生。
うんうん、頼りになりそう。
紹介してくれるのはこの先生かなって。
そしてA先生も一緒に診察室へ。
ドアを開けて診察室に入った瞬間、驚きました。
「わ、わ、若い!」。
年配の威厳のある感じの先生を想像していただけに、
目の前にいる若くてひょうひょうとした、
どちらかというとちょっと頼りなさそうな先生にびっくりしました。
「ん?大丈夫かしら」。
診察室には私のマンモグラフィの画像があり、乳がんを前提で話が始まりました。
「ちょっと待ってください!私は乳がんが間違いじゃないかと思ってここに来ました!」とは心の声。
口から出たのは。
私「先生、やはり乳がんでしょうか?」
先生「間違いないと思います」
私「そうですか、乳腺内に留まっているごく早期だと聞いています」
先生「いえ、ここのあたり、浸潤していると思います。乳管の外にも広がっていると思います」
私「・・・・」
乳がんだったとしても、ごく早期で、早期なら抗がん剤治療はしなくて良いと聞き安心していたので、すごく衝撃的でした。
前回の病院ではマンモグラフィには映らず、超音波検査で分かったのですが、今回撮ったマンモグラフィにはあやしい感じがちゃんと映っているようでした。
確かに、説明してもらったら私でも「ここかな」っていうのが分かるくらい。
先生は、「乳がんだと診断を受けたことを知っているので、そこを重点的に見るから分かるということもある」と説明されました。前の病院をかばってる!?
先生は、その後も今後についていろいろ説明してくれたのだと思いますが、よく覚えていません。
というか、知識がなさすぎて、話の意味がまったく分かりませんでした。
ただ気になったのは、乳腺の先生が私じゃなくて、A先生の方ばかりを向いてしゃべっていること。
「先生、乳がんになったのは私です!」と言いたかったです。
結婚式が近いので、早く検査をしてはっきりさせたいことを伝えました。
今後の検査は、PETやMRIや組織診が必要だと。
それから、A先生の勧めもあって、急きょ、本日CT検査をすることになりました。
その結果を見て、また話しましょうと。
CT検査室までA先生に案内してもらい、先生はこの後予定があってさようなら。
(当時はCTの意味は分かりませんでしたが、今思えば全身への転移がないかを、早急に見るためだったのだと思います)
CTは人生2回目。
以前、お腹がいたくて撮ったことがありました。
そのときは卵巣からの出血が見つかって、入院!と言われたけど、携帯忘れて来ていたのが気がかりで、自宅療養にしてもらったんだよね。
人生2回目、造影剤の危険性について書かれた同意書にサイン。
読んでいて怖くなりましたが。
ドーム状のCTのベッドに横になり、私の体の上を行ったり来たり。
途中、造影剤を注射され、全身、特に下半身がカ―っと熱くなり、おもらしした!と思うほど。
なんだか、いっぱいいっぱいになりながら、なんだかドラマみたいだ、これが現実なのかなと思っていました。
でも、この検査で転移が見つかったら…とか、そんなこと知識がなさ過ぎて想像することもできなかったので、特に何も思わず、早く検査が受けられるのは助かるわ~と思っていました。
CTを受けて診察の待合室へ戻ると、今度は超音波検査を受けることに。
小さな超音波室。
そこには看護師さんや研修医らしき女医さんもいて、ぎゅうぎゅうでした。
みんなに見守られながら、胸をさらけ出して、検査。
先ほどの乳腺外科の先生が超音波検査してくれました。
やっぱり、画面に映る真っ黒な影…。
画面には、サイズを図る矢印やら、血流を図るカラフルな画面やらが出ていました。
終了後、先生は研修医にどうぞやってみる?みたいな感じで退出。
ええ! 私の体を実験台に!?
でも研修医は「いいです~」みたいな感じで終了しました。
よかった、まだそんな心の余裕はありません。
その場で着替えていたら、看護師さんたちが、「●●みたいだよね」「うんうん、●●だといいよね」なんて言っていました。
それから私に「●●だと全然違うからね」と。
当時はよくわからなかったけれど、乳腺内に留まっている非浸潤がんみたいだということを話していたんだと思います。
最後、もう一度診察室へ。
CTでは全身への転移は見つかりませんでした。
それと、先ほどの看護師さんの話とは裏腹に、先生は「超音波でもみたけど、やはり浸潤していると思います」と、マンモグラフィの画像をみながら、「ここあたりが…」と説明してくれました。
今後については、下記の検査が必要になるとのこと。
①PET-CT検査→全身への転移を見る
②MRI検査→乳がんの広がりを見る
③組織診(マンモトーム生検)→鉛筆ほどの少し太い針で組織を取って乳がんの性質を調べる
④手術のための検査(肺機能・心電図など)
前の病院で、PET-CT検査とMRI検査の予約をしていたけど、学会で休診があって結果を聞くのが遅くなるのが心配だった私。
その旨を先生に伝えると、
PET-CT検査はそのまま前の予約分で受けて、MRI検査はその病院と連携している別病院で受け、その後ここの病院で組織診をすることに。
つまり10月6日(水)に3つの病院をはしごして、検査を1日に集中させ、その結果を10月12日(火)に家族で聞くことになりました。
もともとは、13日(水)に結果を聞く予定だったので、1日しか分からなかったけれど、1日でも早く聞きたかったので、受け入れました。
結婚式は10月16日だったので、鉛筆ほどの太い針で胸を刺す傷のことが心配でした。
ドレスを着るときに胸に傷があったらやだなと。
先生は、乳輪の近くから針を刺すようにするから大丈夫ですと言ってくれました。
よかった!
それと、「子どもは産めますか?」「将来子どもを産みたいと思っています」と伝えました。
先生からは、「体外受精をして、受精卵を凍結する」という選択肢を提示されました。
ここの病院ではやっていないので、希望するなら早めに予約を取って話を聞きに行ってみてくださいと、病院名と先生の名前を書いた紙をもらいました。
体外受精、受精卵凍結。
今まで身近に考えたことはなく、向井亜紀さんのことで存在は知っていましたが、テレビの中の出来事だと思っていました。
取り合えず、紙はもらったけれど、ハードルが高くて、そこまで考えられませんでした。
次回の10月13日(水)の予約を取り、小学生に渡すような、6日の検査まわりのスケジュールが書かれた手書きの紙をもらい、本日の受診は終了。
終わったら6時半で待合室には誰もおらず、外に出たらあたりは暗くなっていました。
「本当にがんなのか」ということが知りたくて行った病院ですが。
もちろん乳がんということは間違いなく、
さらに進んでいる状態だということが分かった結果となり、胸が苦しかったです。
両親に電話をして車で迎えに来てもらいました。
検査の結果を伝えながら、孫を楽しみにしてくれている両親に、「受精卵凍結っていう選択肢もあって、治療が終わったら赤ちゃんも産めるらしいよ」ということを強調しました。
その後、「もう帰る?」と母に言われたのですが、予定していた洗濯機を買いに●マダ電機へ。
洗濯機とトースターを見て、店員にお決まりの値切りまで披露しました。
お会計待ちのときには、力が抜け、元気糸も切れて、絶望的な気持ちになりました。
帰りに寄った回転すし屋さんでは、大好きなお寿司も喉を通らず。
うどんなら食べられるかと思ったけど、やっぱり食べられなくて。
私のこれからは一体どうなるの?
そんな不安でいっぱいでした。
帰って、A先生へ今日のお礼と報告をして、長い長い一日は終わりました。
やっぱり私は乳がんでした。。。
★
↓よかったらクリックしてください♪
にほんブログ村