物理的状況からして
8月は多忙でほとんどアトリエにいけなかったのですが、
きのう久しぶりに行くことができました。
先生にも、クラスのみんなにも会えて、うれしかった★
ドアを開けるやいなや充満している油彩オイルのにおいに、
ほっとさせられます。
アトリエにいけなかった期間は、家で、
「絵の具欠乏症」的に絵の具をいじりたくなり、
午前1時にキッチンで製作したのが、青いやつ。
仕上がりは ? ですが、絵の具が垂れるのにまかせる
他力本願的な姿勢なら、キッチンでもできる。
昨日描いたのは、また、トルソ。
ドレスはイヴ・サンローランをイメージしたものの、
ただのドレスになりました。
巨匠のデザインの品格は、私ごときには、まだまだ、です。
はい、すいません。
人であるかのようにたたずみ、服をきせられ、
ちゃんと存在感んがあるのに、
手も、頭もない。
でもなにかを物語っているように見える。
そんなトルソに惹かれます。
不完全ゆえに発するメッセージが、あるように思われてなりません。
ハードパステルを使っていますが、ソフトパステルほどでないにせよ、
粉が飛びます。
木炭も使うし、こするし、ぼかすし、もう手が真っ黒です。
現在、畳の家に賃貸で住んでいるので、
パステルは家ではいじれません(泣)
キッチンも、衛生上、ちょっとやだ。
9月が落ち着いたら、木炭のデッサンを中心に、
基礎を学習したいと思います。
デッサンって、世界を捉えなおす行為なので、
私のものの見方の凝り固まった部分を
ほぐしてくれる、大切な行為のように、思われます。
という、つぶやきでした。
小さなアリ地獄のはじまり
結局 先週はカラーフィールド系にはいたらず、
引き続き、トルソのモチーフを続けてみた。
先先週の最後の状態が↓
前景と後景のメリハリをつけようということで、風景の町並み、
建物の壁、窓などを、もっと効果的につかうこと、
および、
何事においても、背景を意識して、なるべく
後景から描いていくことで、絵画空間全体の
バランスがとりやすくなる、ということを
を教わった。
メリハリ、メリハリ、強弱、強弱、とおもって
消したり描いたりしているうちに、
後景の窓の桟とか、バルコニーとかの直線が
つよくなりすぎてしまい、
前景がぼやけてしまっている。
ということろで終了。
どちらかを強くすると、どちらかが弱くなる。
だからそっちを強めると、他方が弱く見える。
その繰り返し。なんだか小さなアリ地獄風である。
気軽な表現でいえば、決して水平にならない
シーソーみたいなものだろうか。
ふんわりした明暗を出せるように、がんばってみたい。
ちなみにこのドレス、ディオールから着想をえたはずなのですが、
先生から甲冑風? といわれました
命の「妙」のなせる技がありうる限り
先週もやはりトルソをモチーフにした。
今回はなんの写実もなく、
私の頭なの中で出来上がった構成によるものである。
これはまだ未完成。
腕もない、足もない、頭もない、
ただ胸部だけが膨らみ、ウエストがくびれている
人体のような「物体」
これほど奇妙にして心を打つものはない。
私らしくてシュールだ、とのコメントを多々いただく。
私も、私らしいとおもう。個性ではなく、性質として、
生命の傾向性として、だんだんと明るみにさらされる
ものが、反映され「始めている」。
それが良い結果をもたらすかどうかは別として、
私のアート制作の原動力は、
私の心の奥の奥の奥の奥の奥底に
広大な無意識の海底深くに沈められた
「なにかえたいのしれないもの」
それを引っ張り出すことにある。
あるいは無意識が生じさせる
地震のような激しい震えを
芸術というものを通じて昇華させる
という試みである。
楽しみではない。平静を保つために必要な作業なのだ。
その意味では、
未だに私は、人間の生命というものに
ある種の敬意を払い希望を見出そうとしているのだろう。
そんなものは、大分なくしたように
来週か再来週は、50号のでっかいキャンバスに
爆弾のような絵の具の塊を
ぶちかましたいと考えている
(投げつけてみたいとおもっている。)
多分私は、素材の力もまた、信じている。
物質には心が宿る。
それが命の「妙」のなせる技であり
厳粛な心理であると
信じているからだ。
不完全の美しさ
最近アップしていませんでしたが、
忙しい合間にも、制作は進んでいるように
思われます。
5月からは、トルソを描き始めました。
アトリエにあった、思春期の少女のような
未発達で不完全な曲線美を備えた古いトルソ。
(トルソとは胴体のことです)
(ジェッソで下塗りしたブロックペーパーに、
初めて水彩パステルで描きました。
実物の作品のほうが、色彩がきれいです・・・)
頭もない、腕もない、足もない、動きもしない、
ただ、体の一部。であるにもかかわらず、
なにか「物言いたげな」トルソ。
そんなものを描きたくてなりません。
そろっていないから、訴えかけてくるなにかが
あるのです。
一番隅っこで、
描くのが、好き。
それなりに広いアトリエの、
うまくいかない日もある
昨日の日曜日。
いままでになく、調子がよくなくて、とまってしまった。
いや、いままでだってそんなにたいしたことはしていないのだが、
なんとなく、絵の具に対する無邪気な信頼、が、依存、になりつつある。
薄く薄く塗り重ねてチマチマやっていたけれど、
最後の20分で、
「あー、ちまちましてヤダ」と思い立ち、
がーーーーーっ、と、厚塗りをはじめました。
お決まりのドローウィング・メディウムと、
ペインティングナイフを用いました。
すこしづつ、メディウムの性質の違いが分かってきたように思われます。
ちなみに、今回のモチーフは、
↓
傷の拡大部分です。
余談ですが、
自分の体の一部ですが、しげしげと眺めると、
自分のものではないような錯覚を覚えます。
こんなものと32年も一緒に生きてきたんだー、
と、風呂でしみじみしました。
はいー
レ・ミゼラブルの燭台
ここのところ、研究している友人が
フランス7月革命、2月革命、産業革命、について
事細かに話して聞かせてくれる。
たしかにあれらば、様々な意味で、一大事だった。
そんなことをに感化され、
なぜかレミゼを再度紐解く。
ユゴーは、20代前半まではとても敬愛していたが、
その後、あまり読まなくなっていたとおもう。
フランス語をやっているくせに、仏文学より英米独文学が
圧倒的にすきなのだ。
レミゼはミリエル牧師の燭台にはじまり、やはり燭台におわる、
と思う。
共有した時間はあまりにも短いにもかかわらず、
そのヒカリは暗澹たるヴァルジャンの人生に
どれだけの光彩をあたえただろうか。
結局は、人生は、
よき師匠に、尊敬でき自分を受け入れてくれる
人生の先輩にであえるか否かで、
180度かわる。
燭台の灯火が象徴するものこそ
レ・ミゼラブル(悲惨なる人々)が生きねばならない過酷な世界の暗夜と
対をなしている。
とりあえず、ヴァルジャンがこの世を去るときは、
ほんとうに、べらぼうに泣ける。毎回。
個人的にはファンティーヌがすきである。
スーザン・ボイルで有名にあった
「I Dreamed a Dream 」
ミュージカルでファンティーヌが歌う数少ないうた。
これも泣ける。
今年のGWは、昔読んだものを再読しよう
うん、そーしよう
第31回CDA認定試験 2次試験
今日と明日は、
CDAの2次試験です。
今回試験対策でお会いしお手伝いさせていただいた受験者の方々が、
いまごろ受けていらっしゃることでしょう。
なんか自分が受験したころのことを思い起こします。
皆さんから色々と勉強させてもらいました。
どきどきします。
健闘を祈ります。
合格祝賀会でお会いできるのを楽しみにしつつ。
遊べるうちに遊んでおきなさい
昨日、と、先週の日曜日にアトリエで描いた絵。
相変わらずBlessure について描いていますが、
あまり直接的なイメージは投影されていないかもしれません。
昨日は紫ベースでこのようなものになりました。
海に発生した竜巻が空に海水を巻き上げるような渦巻き、
それといっしょに舞い上がるもの、みたいな感じです
パレットナイフで一生懸命、擦り傷みたいな引っ掻き跡や
手術の縫い目的な跡をつけようと、カリカリ、カリカリ、やった
わりには、あまり効果なし。
最初は淡くてやさしい、水中に漂うような感じではじめたのですが・・・
これは先々週のものです。
白く見える線は、アサヒペイントの水性ペンキです。
下地は粗粒子のアクリルをカラージェッソのかわりに使った。
翌週先生にみせたら、途中は良かったね、といわれました・・・
まあ、完成した時点がよりよい着地点でないということは、
多々ある。
とても人生に似ているのだ。
少しずつ、ですが、絵の具の性質とか、
メディウムを混ぜたときどうなるかな、とか
分かってきたきがします。
顔料で遊んでいるようなスタンスでやっています。
先生いわく「遊べるうちに遊んでおいたほうがいいよ。
そのうち遊べなくなるから。問題が明確になると煮詰まってくる。
そうしたら、また具象をやってみたらいいんじゃないの?」
とのこと。
そうかもしれない。
具象で描きたいものは、すでにあるから。
Blessure eclat
先週の日曜日はCDAの二次試験対策講座の講師アシスタントをしていて、
アトリエで描けませんでした。
アトリエが閉まる10分前くらいに顔だけ出して、
部屋に漂う絵の具のにおいで満足し、帰宅。
その後、どうしても何かしたくなって、家でお絵かき。
カラージェッソの変わりにアクリル素粒子の絵の具
で下地をつくり、
重ねる色の発色が良くなるように、クリーム色の水生ペンキで
下地をつくり、
あとは、筆を振ったりスポイトで絵の具をたらしたりして、
飛び散る感じ、破裂する感じをテーマにしてみました。
(部屋に新聞紙を敷いてしっかり床をガード)
腕が燃える感じ、皮膚が裂け、肉が溶け、破裂して飛び散る、
そんな事故直後の痛みの原風景にしたかったのですが、
なにせ2歳の赤ん坊のときの記憶です。
ほんとうにそうだったのか、怪しいものですが、
こうやって描いていると、何かがよみがえってきます。
ということで 副題は eclat (エクラ)
フランス語で、爆発などによる破片、爆発音、はじける音、輝き、
色の鮮やかさ、など多義的な言葉です。
ブレシュール 制裁
昨日描いた一作
今回も、やはり、ブロックペーパーに白いジェッソを塗って
下地をつくるところからはじめました。
本当は中央から爆発するような赤い塊をつくりたくて、
絵の具をぶちまけ、あえなく失敗。
ペンキくらいの粘り気がないとできないことを、
無茶にやってしまったので、
あえなく赤い染みだらけの画面からスタート。
最近、絵の具の流れ落ちる様と、絵の具にメディウム(という粘々した薬品)
をまぜて、水を使わずにペインティングナイフで盛り上げていくのが
割と気に入っています。
私の、まさにいまこの右腕にある傷の様子を、
結構リアルに再現してくれているので、
描写せずとも物質が代弁してくれるようで・・・・
楽です。
物質に任せるというのは、ある意味、興味深い行為です。
本当は、もっとグロテスクにしたかったのですが
どこか春らしくなってしまった・・・
でも、二つのモチーフは 私と母だなーと思いました。
なんとなく十字架のような形になったので、
副題は「制裁、または背負うべきもの」
そんな感じです。















