私自身、阪神淡路大震災を神戸市東灘区で被災しました。

今回、東北地方太平洋沖地震で被害にあわれた方々に

心からお見舞い申し上げます。


過去の震災と今回の地震を比較しても

何も生まれないかもしれませんが

明日から前を向いて生きていくためには

少し役に立つかもしれません。


阪神淡路大震災当時は近所の小学校に避難しても

地震直後、公的機関は何の対策も打てませんでした。


校庭にただ立ち尽くす人たち、毛布を担架代わりにして

運ばれてくるお年寄り。

頭を切っている人に手当をしてあげることもできませんでした。

食糧、水の備蓄もなく

私はコンビニではなく個人商店を回って

食べ物をかき集めました。


無料でお餅を配る和菓子屋さんがあるかと思えば

大阪からやってきて一本8千円で焼き芋を売りつける

業者もいました。


道路は地割れ、電柱も倒れ、信号機が機能していないため

車は好き放題に走り、歩行者は道路を渡るのにも一苦労でした。

まさに無政府状態でした。


携帯電話もインターネットも普及しておらず

情報源は私がたまたま持っていたポータブルラジオだけ

近畿圏内では電話回線が通じず、東京の親類を経由して

お互いの安否を確認していました。


やがて、当時勤めていた会社の神戸営業所から

カップめんワンカートンと水18リットルの差し入れがあり

安堵したのを憶えています。


1週間ほどたって

鉄道が開通しているところまで線路伝いに歩き

伊丹へ避難しました。

電気、水、ガスのライフラインが生きており、助かりました。

しかし、全壊した阪急伊丹駅の姿は今でも忘れられません。


そのような、経験を踏まえ今、感じていることは

携帯電話、インターネットの普及、自治体や企業、国の危機管理意識の向上

海外からの支援の受け入れ態勢が早かったことなど、

微力ながら、人間も自然の猛威に対する自衛力は向上したかのように映ります。


ただ、そんな人間の変化もあざ笑うかのように

堤防をはるかに超えてくる津波が押し寄せ、市民生活を

もぎ取るかのように奪っていきました。

原子力発電所の停止、多くの安否不明者、甚大な被害はこれから

さらに明らかになり、悲しいニュースが流れるかもしれません。


避難所では、体力のない方から避難疲れが出てくると思います。

明るく、清潔な環境。温かい食事とお風呂、ゆっくり休める寝具

それだけの提供でもいくらか心が安らぐことでしょう。


いま、我々にできること…

早急に考えねばならない局面です。