
滋賀県大津市立中学校2年の男子生徒が自殺した件から少し経つ。
悲しいことだが、想像力を働かせても自殺した当人の気持ちも完全に理解することはできない。
俺は当事者ではない。
防止策や適切な対策も今の俺にはわからないし、責任が持てない。
しかし身近な所からできることはあると思う。
一日やそこらで解決法が出るとは思えないし、折を見て考えていきたいと思う。
先ずその考えの礎として、小学生でプチ登校拒否になったことをふと思い出したので書く。
小学生の頃、学校で怖かった先生が3人程いた。
授業でわからない問題で手をあげられないのが辛かった。
わかったふりをして当てられないようにビクビク手を上げてるのも怖かった。
(俺が)真顔で相対してる先生に、なんだその反抗的な顔はと言われたことがあった。
先生に嫌われた、怒らせてしまったと、他の授業でも家でも悩んで、
学校に行くのを躊躇った。
何かのきっかけで克服したようだが、よく覚えて無い。
あの頃の自分が持っていた世界はとても狭かった。
風紀の面から怖い先生も必要だとは思うが、
学校に来ることや授業を怖くしたら駄目だろと思う。
子供が持つ世界の狭さ・少なさをナメたらいけない。
例えば保育園に行ってる長男の世界は、保育園と家の二つだけだろう。
仮に保育園でも馴染めず、家でも両親にかまってもらえない環境だと、
生きること自体が辛くなるんじゃないだろうか。
また、自分の周りにはいないのでイメージになってしまうが、
会社が自分の世界の大半を占める人、会社に人生を捧げてるような人は
不況でクビになった時の喪失感、この世に必要とされて無い感覚は尋常じゃないかもしれない。
持っている世界の数は、落ち込んだ時の逃げ場の数であると思う。
逃げ場によって安心できる度合いも違うし、人によってどこが一番安心できるかも違うだろう。
俺はいくつ世界を持っているだろうか。
会社をクビになったら自殺してしまうだろうか。(多分しない。)
恐らく、気が合う友達を、色んなところに持ってる人は強い。
一つの世界から弾かれることに対する心の痛みは、その世界に思いをかけていた分に比例する。
人が持てる世界の数は限られている。
世界の数を沢山持つべきだという話ではなく、
・人によっては持ってる世界の数が少なく、それがそのひとの大部分を占めるということ
・客観的に見ると一つの世界に弾かれるなんて大した問題ではないということ
を(ふさぎこんでる)当人も周りの人も意識できているといいんじゃないかと思った。
