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をもひでたなおろし

2024年に還暦を迎えた男のブログ

1984年のある日曜日。ごく平凡な休日になるはずだった。

夜も遅くなってからの時間だったと思う。F君から慌てた様子で電話があった。

聞くと、「さっちゃんが交通事故に遭ったらしい」という事で

詳しい事は自分にもよくわからないという。

ただ生死に関わるような怪我ではないようだ。という事で一安心したので

その日の電話はそれで終わった。僕はそこまで大事に捉えずに

あらら、大変だ。どこの病院に入院したのか調べて様子を見に行かなくては。

と、軽く考えていた。

 

ところがそんな気楽な状態ではなかった事が次の日にわかる。

交通事故というのは確かなのだが、自損事故で

彼女の運転していた車が電柱に衝突し、強く胸を打ったらしい。

ぶつけた直ぐは彼女も普通に意識もあり、心配して近づいてきた人達にも

「大丈夫ですから」と言って、かろうじて自走出来た車でその場を去った。という。

 

今で言う「クラッシュ症候群」と言うのだろうか。

衝突時に強く打った身体の一部が変調を起こし、入院してしまい

処置が遅れたため生死を彷徨う怪我だというのだ。

僕がその話を聞いたのが夜勤出勤直前だったため、すぐに駆けつける事ができず

悶々とした長い夜を過ごすことになった。

深夜放送から流れる松田聖子の「時間の国のアリス」を聴きながら

このまま彼女が逝ってしまったら僕の本当の気持ちを打ち明ける事が出来ない。

それよりも、神戸に立つ前の夜に会ったのが最後になってしまうなんて

自分の気持ちの中ではどうしても許せない事であった。

 

結局、僕はさっちゃんに気持ちを打ち明けるどころか、さよならも言えないまま

永遠のさよならになってしまった。二十歳になったばかり、早すぎる死だった。

 

他人に気を遣わせない彼女だった。

多分事故の際も気丈に振る舞ったのだろう。

そのまま救急搬送でもされていたらこんな事にはならなかった。と思うと

残念でならない。彼女の性格が仇になってしまった。優しい娘だった。

彼女とは同じAB型で、誕生日の星座も同じで似たようなところがあったのに

どうして最後の最後がこんなにズレてしまったのか。と今でも思う。

僕が生きている間は彼女の事を忘れる事はないだろう。

 

さっちゃんが亡くなったことで、僕は一つの教訓を得た筈だった。

それは、人生思い残す事がないように生きていく。というものだった。

そんな教訓を得ながらも、こうしている間も後悔に苛ませる事が多い。

さっちゃんの死はそれを僕に教えてくれた筈だが、いまだに変われない情けない僕は

本当にどうしようもない男だとつくづく思う。今頃さっちゃんは天国で

「相変わらずな奴だ」と溜息をついている事だろう。

 

今でもよくさっちゃんの事を思い出す。楽しかった高校時代の思い出と共に。

出来ればお互い還暦を迎えてお茶でも飲めていたら楽しかったろう。とつくづく思う。