四季彩
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第六話

紅い葉をすっかり落とす落葉樹。
陽光は大人しくなり、「動」から「静」へと冬の姿へと
変わって行く街並。

私はいつしか、正史とは頻繁に会う事は無くなっていた。
会うにしても一ヶ月に一、二回程度となっていた。

いくら学年上位の成績とはいえ、やはり受験は不安で仕方なかった。
順位が良くても、志望校への成績に届かない事もあった。
当時、あまり好きではなかった理科を重点に
一生懸命、自分で買った問題集で演習を重ねた。

あまりのストレスに母に怒鳴りつけた事もある。
些細な音でも騒音に思えた。
廊下を歩く音、テレビ、ドアの開き閉めの音。
あらゆる「音」が私を不快にさせた。


そして冬休みへ。

よりによって私は風邪を引いて一週間程寝込んだ。
あと少しで肺炎になりかける程、咳が酷かった。
それでも何とか体調を取り戻し、また机へ向かい勉強をする。

その頃は、少しでも勉強から離れていると不安で不安で仕方なかった。
むしろ勉強してる程、落ち着いていられた。


窓の外は、すべての風景を真っ白に包み込んでいた。


冬休みが終わり、また学校が始まる。
皆の顔付きが険しかったが、
しばらくするとまたいつも通りに賑やかさを
取り戻していた。

私は、休み時間廊下で会話を楽しむ同級生を横目に
必死に勉強をしていた。

こいつら受験前に何呑気にやってるの?
私には疑問だった。
それは勉強への活力を取り戻すためなのか。
それとも半分諦めているのか。
私には分からなかった。

受験日までの日々は
目が眩む程の速度で流れた。



第五話

いつしか秋も深まり、受験本番まで
刻々と日が近付いていた。

今日は三者面談の日。
私は、放送室で担任の大川先生に向かい合わせに座る。
そして右隣に母。

机の上に、私の今までの実力テストの成績、順位を記した
紙が置かれる。

「第七回の実力テストの成績を除けば・・・
ほぼ志望校確実です」
私と母は、向かい合って微笑んだ。

成績に関しては特に何も言われずに済んだ。

「何か、勉強以外の事で悩みとかございますか」
先生は母に尋ねた。
母は家計が苦しい事、そして奨学金等について
尋ねた。
私は、先生が時折見せる悲しそうな表情が、
見ていて心が痛んだ。

同情されてる。

暴力ばかり振るい、ついには身勝手に出て行った父。
その父の血をそのまま受け継いだかの様に、兄も同じ様に
家を出る。
父はろくに仕送りも一切しなかった。
だから、家庭は母の女手ひとつでとても苦しかった。

三者面談が終わり、校門前で母と別れる。
私は、自転車で通っていたので、車で来ていた
母と一緒に家に帰れなかった。

沈んだ気持ちだった。
どんなに成績が良くても、志望校確実でも、
家庭環境ばかりはどうしようもない。
この家庭をどうやったら貧しさから抜け出させれるのか。
幼い私の手はあまりに無力に感じた。

その日、家には直接帰らなかった。


「もしもし」
「ああ、お前か、どした?」
「お仕事中にごめんね」
「いや、いいけど・・・」
「あの・・今日会える?」
「ああ?俺、家に帰れるの夜の八時過ぎだぞ?それでも・・・」
「いいよ、会おうよ」
「・・・何かあったのか?」
「うん・・とにかく会って話したいことあるの」
「うーん・・・」
「じゃあ、いつもの公園で待ち合わせしようね」
「おい、夜に公園に居たら危ないだろ。じゃあ、お前んちの近くにある本屋の駐車場に待ち合わせしよう」
「分かった」


平日に正史に会うのは今日で初めてだった。
スーツ姿が、いつもの正史を別人に見せた。

「どうした?何かあったのか」
正史が本屋前の駐車場に車を停め、窓から私に話し掛ける。
「うん・・・」
「うーん、じゃあとにかく助手席に座れ」
私はすかさず助手席に乗る。

「私・・・高校行けないかも」
「あ?お前、この前会った時志望校に合格出来そうって言ってだろ」
「成績じゃなくて家計が・・・」
そう言った瞬間、正史が神妙な顔つきになる。

「家計・・・苦しいのか?」
「うん・・・」
「親父は仕送りしてないのか?」
「うん・・・」
うなづいた瞬間、一筋の涙が頬を伝った。

「おい、泣くなよ、まだ高校行けないって決まった訳じゃ・・・」
「違うの、そういうんじゃないよ」
自分自身、どうして泣いているのか分からなかった。

「じゃあ・・俺がお金出そうか?」
「・・・え?」
「いや何でもない」
正史が手の平を口に当て、窓の外へ視線をやる。

私は、暫く下をうつむいたまま泣きすさび、
その内、涙が収まった。

「ごめんね・・・」
「別に・・・つーかお前時間大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。家すぐそこだし。私たまに夜にコンビニ
行ったりするから、母さんも大して気にしてないと思うよ」
「そっか」
正史が両手で頭を抱えて、深く座る。

「・・・本当にごめんね」
「しつこいぞ、いいって、お前が心配だったから話聞いて
やったんだぞ」
「・・・本当に心配?」
「・・・何だよ」
「私、本当は家計の事とか・・・進路の事で相談に来たんじゃないと
思う」
「あ?」
「・・・正史さんに・・・心配してもらいたかったの」
そう言った瞬間、正史が火照り出す。
正史の顔を見てると自分まで顔が火照る。
私は下をうつむいた。

「何言ってんだよ・・早く帰って勉強でもして寝ろ」
「分かってるよ・・・でも正史さんはどう思ってるの?」
「何が?」
「私のこと・・・」
「あ?んな事知らねーよ」
「何で言ってくれないの?」
私はまた目が潤んできた。

「つか・・何で言わなきゃいけねーんだ?」
「だって・・だって正史さんはあの日、傘貸してくれたでしょ?
普通、知らない人に傘なんて貸さないもん」
「それは・・・」
正史は暫く黙り込み、私の視線を逸らした。

「俺は心が優しい人間なの。雨で濡れてる人間見てると
傘貸したくなるんだよ」
「嘘ばっかり」
「お?じゃあもう会わないぞ?」
「ごめん、冗談。でも・・・本当にあの時、
私じゃなくても傘貸してくれた?」
私は首を傾げるようにして、正史を見た。

「・・・だろーな」
ぼそっと静かに正史は言う。

「・・・そっかぁ」
「何だよ」
「ううん。何でもない。今日はありがとう、じゃあね」
私は車から降りて、正史に手を振る。

「大丈夫か?道暗いぞ?」
「だーかーらー、大丈夫だよ。だって歩いて三分もしないよ。ほら、あそこに私のアパート薄っすら見えるでしょ?」
「そーだけどよぉ」
「じゃあ、おやすみ!」
「おお」

小走りで、正史の車から遠ざかる。

本当は正史の気持ちが知りたかった。
心配して欲しかった。
ただそれだけなのに。

家に帰って自分の部屋に入っても
勉強する気になれなかった。
結局、私は風呂と歯磨きを済まして
就寝する事にした。

まだ時計で時間を確認しても
十時になったばかりだった。
寝ようとして目を瞑っても
正史の事ばかり考えていた。


星月夜。星が空一面に散らばっていて
静かに街を見守っていた。



第四話

木洩れ陽が地上でゆらゆらと踊っている。
私は公園のブランコに座りながら、正史を待っていた。
会うのが照れくさい様な・・・それでも早く会いたい様な・・・
自分でもよく分からない気持ちで居た。

「おお、久しぶり」
「あ・・・」

あの日と変わらない爽やかな笑顔に胸が高鳴る。

「これ・・・」
「別にいいのに・・・」
「でも・・・傘返さないままだと、何だか心が落ち着かないし・・・」
「そっかぁ。わざわざありがとう、な」
「こっちこそ・・・あの時はありがとう」
正史は私の横のブランコに静かに座る。

「ところで君、名前なんて言うの・・・」
「坂下かえで」
「そっか・・・」
「え・・・何?」
「いや・・・」
「そっか・・・って何?」
「いや・・・別に何でもないって」
「ふ~ん」
私は、ブランコを漕ぐ。

「正史さんはどんな職業なの?」
「サラリーマンだよ。ごく普通の。」
「サラリーマンかあ。楽しい?」
「楽しいって・・・まあ、仕事は退屈だけど仲間が居るから
気は紛れてるよ」
「へ~」

「坂下さんは何歳?」
「15歳」
「ああ?15歳?じゃあ俺一緒に居たらヤバイな」
「何で?」
「何で・・・って言うまでもないだろ」
「中学生と一緒に居るから?別にいいでしょ。周りの目なんて気にしなくていいじゃん」
「そりゃそーだけど・・・」
「それに・・・」
「・・・ん?」
言いかけた言葉を喉元で止めた。

一緒に居たい。

顔が火照り出す。下へうつむいた。

「ね~、またこんな風に会ってくれる?」
「俺、仕事忙しいし・・・」
「じゃあ休日は?」
「簡単に言うなよ。一週間疲れた体を休ませるために休日ってものがあるんだろ」
「じゃあこれっきり?」
「いや、そういう訳じゃあ・・」
「約束して」
私は懇願する様に正史の目を見る。

「分かった・・・分かったよ」
「本当?」
「本当」
「やったあ」
私はブランコを勢いよく降りて、正史の方へ振り返る。

「これからも一緒にこうして会おうね」
「・・・うん」


その日から私たちは週に一回ぐらい会っていた。
会っても私のほうから一方的に正史に話す事ばかりなのだが。

正史に会える。
そう思うだけで今まで重々しい学校での生活も
頑張れる気がした。

一緒に誰も給食食べてくれなくても。
一緒に体育でペア組んでくれなくても。

学校が終われば、今まで以上に早足で家路を急いだ。
会うのは毎週日曜日。平日は会えない。
だが、万が一、もしかすると、正史から電話が来るかもしれない。
私は勝手にそう思い込んで、家で電話が掛かって来るのを待っていた。

肩幅の力強い感じが、何らかのスポーツ選手を連想させた。
男っぽい顔にあごひげなんか生やして一見怖そうだが
笑顔は案外人懐っこい。
そんな正史にいつしか気持ちが傾き始めた。

自分でも気付き始めていた。








第三話

七月は大暑だった。
終業式を終え、いつものごとく家路を急いでいた。
早く家に帰りたい気持ちと、同級生に遭遇したくない気持ちが
私の自転車を漕ぐ速度を上げさせた。

自転車を漕ぎながら、ふと街路樹を見上げた。
かなり大きなイチョウの木である。

青々と茂る葉々が木を埋め尽くしている。
蝉の泣き声が辺り一面に響いていた。


私の事を煙たがっていた連中もいつしか受験を意識し出してか、
私に絡んで来なくなった。
むしろ、そういう連中は成績で思い悩んでいて表情が重々しくなっていた。

一方、私は学区外選抜で進学校を目指していた。
志望校は絶対合格だとあらゆる教師から言われていた。


見下していた。
第一志望になかなか点数が到達しない生徒。
テストの点だけでちやほや私に接してくる教師。
学校の連中を私は見下していた。


家に着く。
自分の部屋に入り、床に敷いたままの布団に
だらっと倒れこむ。枕に顔をうずめた。

これで暫く学校に行かなくていいという安堵感と、
これから本格的に始めるであろう受験競争に対する不安。
何だかんだで受験に対して底知れぬ恐怖感があった。


・・・あれから連絡していない。
あれはいつ頃だっただろうか。よく覚えてない。
あの男と出逢った日。

傘は返せないままだった。
向こうは私の電話番号を知っている訳では無いので、
当然向こうから電話が掛かって来る事は無かった。


      あの人に会いたい


部屋のドアをノックする音が聞こえた。
開けると兄だった。
柄の悪い友達の家に居候している兄だが、
たまに冷蔵庫から食料を貰いに家に帰ってくる。

金髪とピアス。
少しでも抵抗するとすぐに腕力に訴える。
だから私は兄をひどく嫌い、会話もしない事にしていた。

「母さんは?」
「・・・」
「何だよ、無愛想な奴」
部屋のドアを閉める。台所へ行く足音、そして冷蔵庫の中を
あさる音が聞こえてくる。

どうしてこんな奴が兄なんだろう。
兄。
実際は義兄だった。

私の本当の父は、私がまだ物心付く前に母と離婚して家から出ていた。
そして母が今別居中の父と再婚する。その新しい父親は、前妻との間に
子供が居た。それが兄だった。

だから、兄と私はぎくしゃくしていた。
血が繋がっていないという事もあり、どこか互いに余所余所しかった。
深い事情を知らない近所の人たちは、私たち兄妹の事を
「そっくりだねー」ってよく言ってくる。

でも本当は似ていない筈なのだ。


兄はいつしか愚れ家を出る。
母と父はしょっちゅう喧嘩をしていて、遂には母は私を連れて
今の県営アパートに越した。

だから「家族」という概念が分からない。
家族全員で食事をするとか、家族団らんとかよく理解出来ない。
多分、一般家庭ではそういうのが「普通」なのだろう。

私は、その「普通」にとても憧れを抱いていた。


殆んど私と会話もせず、というか私からしないまま、
兄はまた食料品を持って玄関を開けて出て行った。

家中に不思議な空気が流れた。
何だか心地悪い、どろっとした空気。


私は、布団から起きて、電話のある台所へ行く。
私は決意した。

男に電話しよう。

学習机の鍵のある引き出しにずっと眠っていた
くしゃくしゃの紙切れ。
それには男の番号が書いている。

おそるおそる男に電話を掛ける。

掛けて数秒で男の声がした。
「もしもし河井ですけど」
「・・・もしもし」
「どちら様でしょうか?」
「あの・・・」
声が石となり喉に詰まってなかなか出てこない。

「あの・・・だいぶ前、公園で傘を貸して頂いた、坂下ですけど」
「坂下?えっと誰だっけ・・あぁ・・・もしかしてあの時の女の子?」
ちょっと落胆した。そっけない反応。電話越しだとはいえ、声で一発で
気付いてくれると思っていた。

「あの時のお詫びが・・その傘を返したくて」
「別にいいよ。持ってろ。つか今仕事中だから」
「あ、ごめんなさい」
「じゃあ、また俺の方から折り返し電話するよ、じゃあな」
「うん・・・」

顔が熱いのが自分でも分かる。
本当はもっと話していたかった。
それと同時に昼間に、相手が仕事中だろうと思われる時間帯に
電話した自分の浅はかさを恥じた。

居ても立っても居られない様な気持ちだった。
電話が向こうから掛かってくるまで、
何をしていたらいいのだろう。
とてもじゃないが勉強どころじゃないし、
昼寝なんか出来る心境じゃない。

胸が激しく波打つ。


何となく怖くて
数ヶ月も電話しなかった。
でも今やっと電話をした。
荷物が軽くなった様なそんな爽快感が胸にある。


近所の山の木々が夏風に静かに揺れる。
葉が一枚。一枚、祈りのように落ちる。

第二話

校庭の並木道を通ると、頭上からふわりと桜が舞い散る。
桜の大木はフェンスを越えて、その枝を歩道にまで伸ばしている。広げた掌に一枚また一枚舞い落ちる。そっと包み込めば、またしても想いは巡る。あの頃もこんな風に遅れ桜が散っていた。

家族全員で保育園へ私を迎えに来た光景。あの光景が今でも脳裏に焼き付いている。その光景には母も父も、そして兄も居た。そして桜。

私は忘れない。


校庭を抜け、家路を急ぐ。警察署前の横断歩道で、今年中学を卒業したばかりの大山という男に呼び止められる。

「お前これからどこ行くの?」
「・・・」
私は、相変わらずの態度だった。

「本屋行かね?」
どういう訳か、私はのこのこと彼について行ってしまった。

彼は、いわゆる落ちこぼれだった。そして、三年になるといつしか学校に来なくなった。一つ上の学年で、しかもほとんど面識が無かったので、彼がどういう人なのかは知らなかった。ただ一つ、私と共通点があるのは。

両親が別居してること。

彼は本屋で、バイクの本を読みあさっていた。私は、彼の周辺をただうつむいて立っているだけだった。

「お前バイク好き?」
「別に・・・」

私には珍しくちゃんと「声」で返答した。いつもなら頭を上下左右に振る位の反応しか出来なかったのに。


結局、私は彼が立ち読みしてる横でじーっとうつむいて立っている事しか出来なかった。

今思えば何だったんだろう。どうして私なんかを誘ったのだろう。

一時間ほどして本屋から出、その場で別れた。


でも薄々分かる気がする。おそらく、私に「同じモノ」を感じていたのだろう。学校にも家庭にも居場所が無い所。

そう思うと何だか悲しくなってきたのと同時に、妙に彼が近い人間に思えてくる。

だが、その日以来彼とは会っていない。後になって風の便りで聞いた。午前中は土木の作業員をして働き、定時制の学校に通っていたらしい。


妙に風が冷たい。私ってば同情されてるのか。過去に担任になった教師も、私に対して哀れみの目を投げ掛けてきたが、まさかほとんど年も変わらない人にまで。そんな。

自転車を漕ぐ脚に段々と力が入る。だがこのまま沈んだ顔で帰ると母が心配する。

母は普段和食亭で働いていたが、毎週水曜日だけは休みだった。そして今日は水曜日。


急遽、自転車を方向転換し、山の麓になる総合公園へ向かう。
公園のブランコに座り無心になる。僅かに揺れる。
そして雨。

今日は何てついてないんだろう。傘は持っていなかった。さっきの彼との時間といい、雨といい、今日は何だか脱力する事ばかり。

「そこの君」
後ろを振り返ると、一人の男が居た。
「びしょびしょじゃないか」
そう言い、手招きをする。

この人は一体「何」なのか。

「傘・・・貸してやるよ」
「・・・結構です」

あ、喋った。私が喋った。今日はどういう訳か「声」が喉に詰まらない。

私は男を怪訝そうに見た。知らない人に声を掛けられると、誰しも危機感を抱くだろう。まさしく今の私がそうだった。

「傘・・・要らねーのかよ」
「要りません」
「じゃあ濡れて帰るのか」
「そうです」
男は急に私の腕を掴んだ。

「いいから、持て」
そう言って傘を私に差し出す。
「・・・じゃあ、貴方こそ濡れて帰るのですか?」
「俺はこの公園でダチと待ち合わせしてるんだ。ダチの車に乗せてって貰うからいいよ」
「・・・」

どうしてこの男は私に妙に関わるのだろう。名前も知らない人間にここまで親切?する人が居るのだろうか。

「・・・公園のどこで待ち合わせしてるのですか?」
「んーっと。あそこ。あの公園の入り口だよ」
「じゃあ・・・あそこまで一緒に行きましょう」
私はそう言って傘を差す。二人の頭上目掛けて。

相合傘。

さっきまで馴れ馴れしかった男が急に静かになった。照れてるのだろうか。男を見るとこっちまで照れてくる。

無言なまま公園の入り口まで行き、そこでずっと男の友達を待つ。


しばらくして男の友達が青いワゴン車で迎えに来た。
「お。正史、その子どうしたの?」
「ん・・・ちょっと・・・」
「知り合い?もし良ければ車で家まで送ってあげようか」
「・・・いいです」
「んだよ。遠慮するなよ。俺のダチだから大丈夫だよ」
「私、この公園の近くに住んでるし・・・それに自転車だから」
「そっか・・・」

正史が友達の助手席に乗り込もうとする。私は急いで、彼の腕を掴む。
「なんだよ」
「あの・・・電話番号教えて」
「あ?」
「お、正史、その女の子に好かれちゃったね」
「うっせーよ」

私は頬を紅潮するのを感じた。
「・・・この傘・・返さなきゃいかないし」
「別にいいよ」
「・・・」
「分かったよ、じゃあこれ・・・俺の番号」
そう言って電話番号を殴り書きした紙切れを私に渡す。

「じゃあ・・・な」
「うん・・・」

そう言って車のドアを閉め、その車は発車した。私は車が、見えなくなるまでずっと目で追い続けた。


いつしか、雨は上がっていた。

第一話

朝、ソメイヨシノが数本立ち並ぶ校庭を歩く。
この時期にも桜は花を咲かすのだ。
二月下旬、まだ寒風が街中を駆け抜けていた。

それでも日中は春の陽気のごとく、ぽかぽかと暖かかった。

桜の新緑の葉、花、香りがぶつかってくる。
この若葉の香りが実にいい。
野原や山を駆け巡って遊んだ、あの頃を鮮やかに蘇らせてくれる。



あの頃・・・



小学生の頃は、また性別、年の差関係無く、近所の者同士で遊んでいた。だが、年を重ねるにつれて徐々にそういうのが無くなる。同年代同士で、男は男、女は女と同性同士で戯れる様になる。だが、私にはそういう仲間が居なかった。

私は、苛められていた。

机には鼻糞が付けられ、筆記用具は盗まれ、あげく根も葉も無い噂をことごとく流される様になった。

「あいつって人の庭に入ってたんだって」
「あれ?あいつの兄貴って少年院に入ってるんだっけ?」

私には兄が居た。兄は、当時耳に病気をしていた。そのせいか、近所の人からは「身障者」呼ばわりをしていた。さらに、兄は別居している父に懐いていたが、一緒に暮らす母には懐かなかった。

兄はその内、家出をし不良仲間の家を転々とする。


私は兄が大変嫌いだった。殺してしまいたい程…と言うと大袈裟かもしれないがそれ位憎くて仕方なかった。私が、苛められる原因のひとつにも兄の存在があった。

勿論一番の原因、それは私自身の人一倍内気な性格だった。

私は、当時誰とも会話する事が出来なかった。どういう訳か、喋るという行為に恥じらいを持っていた。言葉を発しようとすると、言葉が喉元で留まるのだ。それはまるで石が喉で詰まってる感覚に似ていた。


兄が不良でしかも無口。これは苛められてある意味必然かもしれない。中学の入学式には上級生から「学校来るな」と大声で叫ばれた。

廊下で擦れ違う度にヒソヒソと噂話される。私の持ち物を触ると、決まって誰もが嫌そうな表情をする。まるで汚物を触ったかの様に。

そういう日々が中学の二年近く続いたのだ。


我ながらよく耐えたものだと思う。登校拒否というものをしなかった。学校を休み続けると、置いてけぼりにされる…そんな恐怖感があったから休みたくても休めなかった。


だが、そんな過酷な日々の中にも一生懸命私と仲良くしようと努力してくれた人達が居る。それなのに、私は結局彼等と仲良く出来なかった。仮に仲良く出来たとしても、周りの皆が流す噂話を耳にした時、彼等はどう思うのだろう・・・そう考えると怖くて自分の方から距離を置いていた。


母は薄々、学校内での出来事を知っていたと思う。でも敢えて母は何も言わなかった。当時、「どうして何も手助けしてくれないんだ」と内心恨んだりもした。だが、最後に自分の力で乗り越えないと意味が無い・・・と自分でも分かっていた。

親が学校に怒鳴り込んでいたとしても、虐めというものはますますエスカレートするものなのだ。親が、子供等の敷地内に入っても、何も解決しないと思う。本人同士の問題だから。親が子供に手を差し伸べても、その手は何の力にもなれない。


居場所がどこにも無かった。


だが本来真面目な性格のお陰で成績は良かった。二年の三学期には学年上位にまで躍り出た。

私が、一回学年で最高点を出した時、周りの教師の反応が凄かった。

今まで、私に対してつんとしていた教師も、手の平を返した様ににこにこと接して来た。はっきり言って鬱陶しかった。結局、成績でしか生徒を見ないのだろうか?それを知ってから、教師という存在自体が滑稽に思えてきた。


学校の家の往復の毎日。唯一の心が和む時間は、登下校道の光景だった。

夕焼けで様々な暖色が織り成す空の色、季節折々の植物が風に揺れる風景、黄金色に辺り一面を染める稲畑。それらは私の目を楽しませた。


それでも私の毎日は灰色だった。そんなある日、私はある男と出会う。