何故なら、信用出来る人も、信用できない人も、「私を信じてください」と言うからだ。
詐欺師が、自分の言葉は嘘だとは言うまい。

アジココのブログで、「仁徳天皇は仁君どころか、民に過酷な労役を課した暴君であった!」というエントリーがあった。

引用開始 -->
「仁徳天皇は民のカマドを心配した仁君である」と書いてある記紀ですが、
その記紀を編纂するように命令したのは天皇家です。


天皇家の命令によって編纂された記紀で
聖帝として讃えられているのですから、

これは大本営発表みたいなモノです。

<-- 省略 -->

さて、ここで結論を書きます。



実際の仁徳天皇は仁君どころか、
民に過酷な労役を課した暴君であった!



これが真相です。

<-- 引用終了

記紀は、体制側が書いた史書だから、体制側に都合よく書かれている。
仁徳天皇が仁君というのは体制側の言葉で信用できない。
仁徳天皇陵を作るのに多くの人を使役したはずだから暴君だ。
仁徳天皇陵と言われているのは、宮内庁による治定で、発掘して確認されていないので、発掘調査が実施されることを望む。

と言うような事が書かれている。

しかし、酷い内容だ。
記紀が体制側が作ったので、その内容は体制側に都合よく書かれている部分があるのは事実であろう。
だから、仁君と書かれている仁徳天皇は、仁君でなく暴君だとするのは暴論である。
アジココはピラミッドが公共事業的性格を持っていたことを取り上げながら、仁徳天皇の時代の税制等からそれは考えられないように事を書いている。
色々と、突っ込まれる部分の穴埋めをしているようである。

大仙陵古墳が仁徳天皇陵かどうか決められない段階で、真相とか言い切れるものではない。
分からないとすべきである。
その中で、自分はこうでは無いかと考えるとすべきでしょうね。

さて、枕の部分に話を戻そう。
君主が暴君でも、時の権力者側が作った史書には、仁君と書くであろう。
さて、本当の仁君だった場合に、史書にはどう書かれるのだろうか?
権力者は仁君であったと書かれるのでは?

史書には、事実と違う内容も含まれているだろうと、考えるのが日本人。
史書には、事実と違う内容しかないだろうと、考えるのがK国人。
という事なのかな?