今日は映画「累-かさね-」について。

見終わった時の何とも言えない、ざわざわした気持ち。
昔の傷をえぐられた感覚だった。

累の外見に対するコンプレックス。
演じることへの望み。
最初は、自分に無いものを手に入れたいという、祈るような気持ちだったのに、その思いはいつのまにか狂気へと変化していった。
累はきっと暗闇に長くいすぎたのだと思う。
だからこそ、丹沢ニナの世界が眩しく、ニナとして生きて、得られたものを手離すことができなくなったのだろう。

烏合さんのように、累の内面を見てくれる人が近くにいたら、累は今とは違ってたと思う。
外見へのコンプレックスから少しは逃れられたはず。

映画を見て一番強く思ったのは、他人の人生を生き、自分が自分でいれなくなることがいかに苦しく、辛いかということ。
ニナが羽生田さんに言った、殺しての一言。
真意はわからないけれど、累に人生を乗っ取られて、自分じゃなくなることから逃げたくなったからだと思う。

累の気持ちも、ニナの気持ちもわかる気がする。
正反対に見えるけど、本当は似てる二人。

映画のパンフレットで、二人の争いは、愛憎劇と書かれてる。
でも、二人の心の底にあるのは、自分に無いものが欲しいと言う、変わりたいという祈りであり、希望である。
元は私たちと何も変わらない二人。

二人は、自分を愛せる自分になりたかっただけ。