とある執事の福音宣教

とある執事の福音宣教

神様の祝福が豊かにありますように。

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私たちはみんな神様の子です。

父である神様が最初の人間アダムを創造された時、神はアダムの鼻からご自分の霊を吹き込まれました。

私たちにはその霊が今も魂に息づいています。

つまり、私たち人間は、神の細分化された霊を持つ、いわば神の分身なのです。

しかし今その霊は、この世の汚れによって、輝きを失いつつあります。

この汚れを取り除かなければ、人間はこの地球を卒業して、高次元である天国に行くことは出来ません。

では、どうすれば、その汚れを取り除くことが出来るのか。

それはイエス自身が模範を示し、自ら作った道である「愛すること」によって、取り除くことが出来ます。

イエス以前は「愛すること」によって解脱する方法、つまり愛を実践したからといって地球を卒業することは出来ませんでした。

釈迦・仏陀のように修行し、悟りを開くことによって、輪廻の輪から外れる方法しかなかったのです。

しかし、多くの人が釈迦のように修行することは今も昔も難しいことです。

そのため、イエスは現世と天国の間に「愛」によって通過できる道を創り、父である神様のもとに人々を導く方法を構築したのです。

イエスのいう愛とは何でしょうか。

①父である神様を一番に愛すること。
②他人を自分のように愛すること。
③お互いに愛し合うこと。

まず、父である神様が、自分自身に何を望んでいるのかを考え、それを実行することです。
もし、その過程で、自分の想いや利益と反することを感じたとしても、神様の想いを優先して下さい。
自分よりも神様の想いを最優先する生き方が求めらています。

また、人に対しては、我欲を無くし、利他の精神で奉仕することです。
相手の利益は自分の利益と思い、相手の不利益は自分の不利益と思って行動して下さい。
誰かの喜びがあなたの喜びになるように。
誰かの悲しみはあなたの悲しみになるように。

先ほども申しましたが、人間は細分化された神様の霊を受け継いでいます。つまり元は同じ霊なのです。そこに区別はありません。

私たちはみな同じ存在です。

自分を傷付けることは、他人を傷付けることになります。自分を大切にすることは、他人を大切にすることにも繋がります。

自分も他人も区別なく愛して下さい。

そして、みんなが神様の子であり、兄弟姉妹であり、天の家族であり、ひとつであることを忘れないで下さい。


最期にもうひとつ。
今までは一方通行の、愛することだけでしたが、もうひとつ大切なことがあります。

それは「愛される自分」になることです。
一方的に愛することは、ある意味簡単なことです。しかし、お互いに愛し合うようになる為には、愛されるように自分自身を磨くことも大切になります。ありのままの自分ももちろん素敵でしょう。ですが、自分自身を磨く努力も忘れないで下さい。
自分自身を自信を持って愛する為にも。
(ナルシストになるのとは違いますよ)


このブログを読んでくれた方に、神様の祝福が豊かにありますように🕊