今日のおやつはおしるこでした。
まったりタイムで癒されました~。
茨城県つくばみらい市にある『間宮林蔵記念館』におでかけしたことについてレポートします。
https://www.city.tsukubamirai.lg.jp/sp/page/page001630.html
小学生の時に樺太探検をした人として習いました。
子どもたちが大好きなこちらのマンガにも出てきていたので行ってみました。
間宮林蔵さんの銅像。手にくさりのようなものをもっています。最初はなんだろうと思いましたが、測量に使う道具でした。資料館にレプリカが展示されていました。
間宮林蔵さんの生家も再現されています。
再現された生家も十分広かったですが、本当のおうちはもう少し広かったようで、当時としてはまずまず裕福なおうちだったのではないかなと想像しました。
資料館の入場料は
大人100円
中学生以下無料
でした。
資料館は撮影禁止なので写真はとれませんでした。
間宮林蔵さんの生涯について、9分の動画が用意されており、そちらをみてから資料をみたので、大人も子どももわかりやすかったです。切り絵で作られたアニメーションでとても味がありました。アニメーションの林蔵さんの雰囲気をみて実写にするなら市川右團次さんかななどと妄想しました。
間宮林蔵さんの詳しい年表や、作成した地図のレプリカ、測量に使っていた道具、衣類、関連した人々についての説明など展示されていました。
学芸員さんに質問すると、親切に詳しくいろいろ教えてくださいました。
お忙しいのにどうもありがとうございました。
間宮林蔵さんは幼い頃から賢く、竹竿をいつももっていろんなものの大きさを計ることが大好きなお子さんだったようです。
田んぼのの水を確保するために近くの小貝川をせき止める工事が行われていました。水が多い年に工事がうまくいかず、こどもの林蔵さんがこうしたらいいと提案して見事に堰が止まったそうです。それをきっかけに役人にみそめられ、江戸で修行をすることになったそうです。
その後、蝦夷地で伊能忠敬に出会い、本格的な測量術を学びます。北海道の地図は間宮林蔵さんが測量したと言われています。その後に2度カラフト探検にいき、カラフトが島であることを発見します。その後に現地の人と仲良くなり、中国大陸の調査も行われます。
強い探求心と地道な努力で偉大なことを成し遂げたことに改めて心が動かされました。
シーボルト(鎖国時代の長崎出島のオランダ商館医、プロイセン政府の内情探索官という説もある)が海外に追放され、密かに写しをとっていた日本の地図などを使って、オランダに戻って日本について本を出し、間宮海峡を『マミヤ・ノ・セト』と表記して世界に知らしめています。間宮林蔵さんは自分の名前が海峡に使われたことを知らずに亡くなっていることを初めて知りました。
資料館から250m離れた場所に間宮林蔵さんのお墓もありました。
お墓参りもさせてもらいました。
資料館の近くに、車が賑わっているお店がありました。
火曜と土曜においしいトマトを販売しているお店でした
トマト大好きなので、買って帰りました
思いがけずおいしいお土産にありつけてしあわせ
以上、間宮林蔵記念館おでかけレポートでした。