大麻合法化における正当化に、痛み止めに医療用大麻を掲げることが多いい。
これを持ち出されると、どうにも正論感というか言い返すに及ばない納得感を持たされる
ただ最近ようやくこれに対して、というか根本的な誤解をもっていることに気づく。
痛み止め、という言葉、立場に違和感を持ったのだ。
以前日記にも自身の状態の把握には痛みを強くするようなものがあるべきだと書いたが、似たような話だ。
例えば風邪になり、体調がよくないときに、CMの商品情報やら病院に行き風邪薬という物を得るが、
この風邪薬という物は、治療薬ではなく対症療法であり、風邪がなくなるわけではない。
この対症療法としての、症状の緩和させるもの、は治療であろうか?
もちろん違う。
では怪我をして治療をして、その傷が塞がり、痛みがなくなるまで、痛み止めを貰うとする。
これももちろん治療ではない。
もし催眠術で、痛いことで有名な足つぼマッサージを、平気な顔で受けられるように
眠けを、冷水でごまかすことも治療でもない。
では、なぜ我々は、痛みを分からなくする、麻痺させることを、薬や治療処置とおなじカテゴリーに含めているのだろうか。
というのが私の、言いたいことである。
それは私の経験、というか、子供のよくある勘違いの延長の話でもあることだが、
薬という名前の物を取り込み、症状がわからなくなる事を、治ったと勘違いしているからだ。
それ今でも大人になったこの時でもそう思っている、そして今ようやく勘違いであることを自覚した。
つまり痛み止めに類するものはすべて都合のいい毒なのだ。
もちろん薬とは毒ではあるが、我々の言う薬は細菌や臓器の機能に影響を与え、病気という状態を治すものという、イメージを持っている。だが、病院ではなくドラッグストアやコンビニでも売っている薬という物は基本的に、痛み止めという麻痺させる毒としての機能がほとんどである。風邪薬胃薬酔い止め栄養剤・・・
今を耐えられるように、使っている。
まるで酒と同じだ。
使えば使うほど、苦しみが後回しになる。
快楽に逃げる事と、痛みから逃げる事は同意なのだ。
医療用大麻が痛み止めだろうが、快楽目的だろうが、同じことを指す。
0からプラスになるか、マイナスが0になる事の違いでしかない。
社会規範で0を起点に良い物と悪い物に分かれているが、それが都合のいい物だからだ、その正体に目を瞑ったのだ。
痛み止めを使うことに罪悪感を持たないのは刷り込まれたものなのだ。