たとえば肉のステーキを食べたときに、美味しいと思う口の中の体験と
食後に甘いものを食べたときの美味しさ。
二つとも舌や口内の刺激は別であり、栄養としても美食としても、甘いものへの欲求から口にする甘味に対する感想は常においしいである。
ではおいしいは味の感想であろうか?
グルメ番組で食事をした人が、おいしいと言葉にしても、それを見ている側の人はその味を想像することはできないだろう。
ではおいしいは何の感想であろうか?
辞書におけるおいしいの定義は
1,美味であること
2,自分にとって都合のいいこと
このようにおいしいは二つ意味があり、用途は1から始まり、転じて2のような意味を持つようになったが
どのように2のような意味を持ったかが重要である。
1も2も満足した体験ときに発生する。
つまりおいしいは味ではなく、それに満足していることを表現する言葉である。
では、景観のすぐれた場所で温泉に入ったときに、おいしい、という感想は出るだろうか?
座学に勤しみ試験で納得する点を取れたときにおいしいという言葉は出るだろうか?
実際は経験として苦労することもなく金銭や体験を得られたときに、おいしい思いをした、という言葉が出る。
だからね、多分ね、おいしいと言葉が出たら、その食事は、安い値段や、誰かの手料理に使うだろう。
高いお金を出して食事にはもっと味の表現をするし、おごりでもなければおいしいは使われない
じゃあ、おいしいは、手軽で適当な感想なのか?
そうじゃないね、そのおいしいは、ありがとう、の言いかえなんだよ。
うれしいから、たのしいから、誰かへの感謝としておいしいという言葉を使う。
おいしいはありがとうなんだよ。