このまえストーンヘンジの石がそこらへんに合ったものを組み立てたものじゃなくて、輸送されてきた物、と解明されたのだが
この情報に対して大半の人は、あっそう、か、どうでもいいであろうし。
意外な情報だと思う人、なんか残念な気分になる人、技術の進歩を認識する人
まあいろんな人がいて、いろいろな角度で解釈できると思う。
俺がこのニュースで思ったことは、誰が運んできたか、ということになる
とはいえ、その運んできた人の素性ではなく、そういった運送をしていた組織がいたのか、とうぜん会社みたいに賃金のやり取りがあったのだろうか、そうであるのなら金持ちがいたのではなかろうか。
という金という文明、文化から自然発生するものの想像である。
先に結論的な物を書くと、あのストーンヘンジってやつは石で、なおかつ盗難されるような物でもないからそこに放置され残り続けた金持ちが作ったつまらない飾りなんじゃなかろうか。という感想。
いや、言ったもん勝ちの歴史なのだから説といってしまおう。
もちろん私は歴史家でもなければ、人類史に興味も勉強もしたこともない、なおかつ最大の必要要素であるロマンチストでもない
なので私にはあの石を積んだだけの退屈なものに、あの当時の宗教的意味合いやあの当時の高度な必要な建築であろう
という解釈なんてこれっぽちも出てこない。
嫌な言い方をさせてもらえば、宗教的な意味合いがあれば装飾があっただろうし、紀元前以前だからと原始的な生活をしていたに違いないという見下したスタートからその文明レベル想像もしていない
紀元前イコール原始的な生活を想像している勉強不足か興味を持たない人に、大学で考古学の教授をしているロマンチストが
もっともらしく宗教的な物だったに違いないといえば、そりゃ多くの人は納得するだろう。
知識も興味がないし、大学の教授しゃまがそうおっしゃっているのならそうに違いない。
そう多くの人が信じていることが真実なのだと。
実際のところ、俺もわからない、ただその証拠もないので想像でしかない。
ただあのつまらない石の並びを特別なものに仕立て上げる想像は、やはりロマンチストで、科学的ではない結論のためにあとからその理屈を言ったに過ぎないと感じるのだ。
だってさ紀元前の文明で栄えていて残っている文明レベルを考えたらさ、あまりにも公園の遊具レベルでしょ
金持ちの家の枯山水でしょ。千年後にその金持ちの家の枯山水を遺跡として発見されたときに
これは1000年前の当時の文明水準に比べれば高い自然信仰と建築技術がなければできない高度なモニュメントだ
といわれてるように感じるんですよ。
石の上に石を乗せただけで、高度な技術ですかね?
最初に言った通り、あの石は運搬されてきたものだし、きっと会社のような組織とその賃金があったはずなのだ
それなのに石の並びが天体を模しているとか、そのために数学が必要で天体知識が、とかさ
そらあっただろ。数学も生活で意識する日の出日の入り娯楽の少ない時代なんだから星座もみてたろ。
俺がデカい石を野ざらしおいても、後世のロマンチストは原始人の作った高度な日時計と勝手に解釈できるんだから。
結局あの当時の文明水準を低く見積もりすぎているのではないか?
今現在の地球のどこかの砂漠に原始的な生活をして意味民族いるけど、そいつらだって携帯電話持ってるし
街に出稼ぎしてインターネットでSNS登録してるよ、いやしらんけど、それは十分可能であろう。
ということは人類さほど大きな知能の変化を数万年単位で変化がなかったといわれているのだから
紀元前程度の昔の人は今の我々のように、働いて、金を払い、何かを楽しみ、病にも伏せ、食事をしていたはずである
同じような感性と同じような情報への飽きがあるのなら
あのストーンヘンジはつまらなすぎる。くだらなすぎる
あんなもので神を信じるとは思えないし、信仰心が高まるとも思えない。
あれが本当に宗教的な意味があったんですか?
ロマンチストな歴史家はドルイド教が作ったと主張するが、あれが太陽を模したものであるというのなら
ドルイド教は具体的な偶像を作成する宗教であったはずで、個人で持てる太陽や月を模したアイテムが残っているからな。
よしぐぐって、あないないAIにも聞いてないないまったくそんな事実なかったわ。
間違いなくあの時代には、今でいう建築アーティストがいただろうし、
その文明の中で金持ちが作った産物でしかないじゃないの?
ロマンチストの拡大解釈と、いつもの宗教の所業にされただけじゃないの?
日本の土偶も、本当はあの時代の、玩具なんじゃないの?お土産だったんじゃないの?
三段撃ちもなかったんだろ。坂本龍馬もただの商人だったろ。
歴史家、考古学者ってもしかして事実を元にしたフィクション作家ですか?