と言うことを、
常日頃思ってきたわけなのですが。
 
 
 
「おめでとう」なんて
思えなかったのです。
 
 
 
関わり無い、知らない方のは特にね、
知らんがなって思うんです。
自分が切羽詰まってるときほど。
 
 
 
誰からかまわず、嬉しい投稿を見るたび、
すんごい悔しくて負けた気持ちになっていた。
勝手に。
 
 
 

・なんでこの人には入ってて、
私には入らないの?

・全然私うまくいかないじゃん。
稼いでるくせに。ダサいなぁ。

・こうやって一発屋になって、
勝手に馬鹿にされたり、ネタにされるんだな。

・この人より私の方ができるし、
私の方がすごいんだもん。

・私のところに来てくれたらいいのに。
私の方がすごいのに。
 
 
 

みたいなスットコも良いところな勘違いを
してたんです。
(スットコは、ベルみザワ ベルみちゃんに
教えてもろた潜在意識の勘違いのこと)
 
 
 

でも、「そっかー私、自分すごいよね」
「私のサービス最高なんだからね」
 
 
 

ぐらい、自分にも思ってあげたかったんだな。
調子こきマロしたかったんだなぁ。
って、改めて気づいて。
 
 
 
で、「悔しい!」てことは、
「良いものを持ってる自分」がいるから、
悔しいって感じるし、嫉妬もするわけで。
 
 
 
本当はどこまでも、
自分に気づきたいのだなぁと思う。
 
 
 
人は皆、「認められたい!」のドラマを
せっせとつくっている。
私ももれなくずっとそう。
 
 
 
でも本当の本当の自分は、
もうすでに素晴らしくすごい。
ということを知ってるから、
「お前も認めろよ!」みたいなことを
やりたくなるのかなって。
 
 
 
誰かを使って証明しなくても、
月商とか年商とか集客とか。
目に見えるもので証明する前から、
自分と言う存在は、素晴らしく尊い。

 
 
 
他人という存在はどこまでも、

「私はこっちに行きたい」
「好みはこれだよ!」
を教えてくれてるだけ。
 

他人の目ではなく、
本当にどこまでも
 

自分はどうしたいか?
どう在りたいか?
何感じたいか?
今、何叶ってるのか?
 
 
 
なんだなぁと。しみじみ。
 
 
 
改めてこの話がすごく楽しいから、
スットコ見たり、タロット見たり。
なんか色々良い感じにバビュンする講座を
やります🚀🚀
 
 
 
心地よく、自分を生きること
本当の意味で自分の声が聞けること
ここができれば、もっと世界もよくなると
最近は本当に思っています。