悩み出すとアウトプットができなくなるのが
悪い癖のひとつ・・・。
悩み出したときこそのアウトプット。
今週はもうちょっとがんばります…!

              

              *



昨日、予定していた講演会に行くのをやめた。


とても魅力的な方々のパネルディスカッションだった。
けれど私は、急きょ連絡が来た、
後輩の就活相談の話を聞きたかった。

「衝動」だったように思う。



話を聞かせてくれたのは3年生の女の子。
一緒に学生団体で活動していたしっかり者の後輩で、
先輩に対しても臆せず意見が言える姿や
興味のあることに対して自ら一歩を踏み出していける姿が
印象的だった。


けれど、昨日会った彼女はちがっていた。
力、を失いかけているように映った。


話を聞くと、


こころが落ち着かず、薬を手放せないという。

有名大学に在籍しているのに選考に落ちる自分が恥ずかしいという。

「みんな」先に進んでいく中で進まない自分にあせるという。

親の期待や世の中の不況を考えると大手企業に行かねばと考えるという。

女性が活躍できる総合職なんてないのではないかと感じてしまうという。

こんなにも落とされたり否定された経験がなく余裕がなくなってしまうという。



まわりと比較してしまう気持ち。
自分がダメなんじゃないかと思ってしまう気持ち。


それはすごくよく分かる。


だけど、なぜだろう。
あんなにもイキイキと活動していた彼女が
外部要因に振り回され、苦しんでしまう現状。



正しいか正しくないか、良いか悪いかではなく
自分が「納得」できればいいのだということを、


アドバイスをくれる多くの人たちもまた過ぎゆく人であって
決定する時に戻ってくるのは「自分」なのだということを、


就職活動で「落ちる」ことは
自分自身が否定されていることではないということを、



集まった4年生の仲間とともに

彼女に伝えることが精一杯だった。



自分が「納得」できれば良いのだと思えるには、
「これでいいんだ!」と思えるには
何が必要なのだろう。


「キャリア教育」という名のものが
彼女の問題を解決できるようには
昨日感じることができなかった。



社会を知っていること?
仕事を知っていること?
世の中で働いている人を知っていること?
自分の軸を知っていること?
自分のゆずれないものを知っていること?


何が必要なんだろう?


答えが出ない。
けれどここに書き留めておくべき大切なこと。



勇気を出して、気持ちをだしてくれた彼女に感謝を込めて。

昨日、自身の高校の時の原体験のことを ブログに書くなかで、
1ヶ月ほど前の友人との会話を思い出しました。
私にとってもっと考えるべき会話であったように
あらためて思ったのでここに書いておこうと思います。

---

その日の私たちの会話は(卒業を前に)
なぜ、大学に入ったのか、
なぜその学部を選んだのか、 という話題でした。

その友人とは知り合って3年が経ちますが、
じっくりそのような話をしたことが実はありませんでした。

私は高校での経験から学校教育への違和感を感じたこと、
そこから学校教育の仕組みを学びたいと考え 教育学部を選んだことを話しました。

その話を聞いた友人は、

「しほの動機は0から出発しているよね」

という表現をしてくれました。

そして彼自身の話を聞かせてくれました。

「自分の場合は動機が0.5から始まっているからなあ…」

彼は家族・親戚の多くの皆さんが医者である環境に生まれ、 育ってきたそうです。
その時点で「医者」を将来イメージとして意識していた自分を
彼は「0.5から出発している」と感じ、
それに対して私のことを「0から出発している」と感じたと表現していました。

しかし、彼の場合、
その後0.5から進むことが「できなかった」そうです。

そのまま医者の道をいざ選ぶ段階=大学を選ぶ段階になったとき、
その選択を選ぶことが「こわかった」そうです。

彼はいったん、医者とはまったく別の道を選び、
大学に入り、そして私たちはそこで知り合った訳です。
そして、彼が「まったく別の道」を進みながら 4年間やってきたこと、
それは 「0に近づく」ために自分自身へ問いなおすことだったと
彼は話してくれました。

そして得たものは医者になることへの「納得感」と「覚悟」だったと。
彼は今、医学部入学のために受験勉強をしています。
高校3年生のときのような恐怖感はなくなったそうです。

--------

選択する、選び取る、ということは とても勇気のいるものだと思っています。
そして選んでみても、 その先に進んでみなければ分からないことの方が多い。

選択したところでそれが自分にとって良い判断であったのかは
時間をかけなければ分からないし、
時間をかけても分からないことかもしれない。

けれど、「納得感」というものは、
何かしらの意識もしくは行動によって
確実に得られるものなのではないか、 と最近考え始めています。
(まだ「何かしら」の段階からは脱していませんが・・・。)

それが選択前に得られるかは分からない。
もしかしたら、何か一つ選択した後に得たことで
次の選択に活かされるものかもしれない。

けれど重要なのは「前」か「後」かよりも
そこに「納得感」があるのかと選択の度に
自分自身に問えることではないか、と思うのです。

だからこそ、彼の0.5から0へ向かうための問い直しは
「納得感のある自分」であるためには、を考えていく上で
すごくすごく大切なプロセスだと感じました。


話を聞かせてくれた友人に感謝、です。
shihoです。
これまで「日記」の類を三日坊主で挫折した経験を
何度繰り返してきたかわかりません・・・。

しかし!
大学卒業、社会人になるのを目前にした今、
自分自身のもつ問題意識や目標を忘れないよう、
意識していくよう心がけるために
ブログ開設を決意しました。
(背中を押してくれた友人に感謝…!ありがとう!)

プロフィールにも書きましたが、
私は都内の中高一貫女子校で育ちました。
その中で前半3年間の生活は
息苦しさと物足りなさでいっぱいでした。
このままではいけない。
漠然とした想いでしたが、この危機感が私を
学校の「そと」に突き動かしてくれました。

国際問題の勉強会に参加したり
高校生主催の環境問題に関するイベントに参加したり。

その中で実感したことは

多様なひとと出会うことは
多様な考え方に触れられる、ということ。

多様な価値観の中に飛び込んでみることは
自分が肯定される「幅」が増える、ということ。

そして、ふと疑問に感じました。
なぜ、これらを得る機会が、学校教育にはないのだろうか、と。


そこから私の学校教育への「違和感」が始まり、
大学は教育学部へ入学。
(付属大学をけってわざわざ外部受験という冒険。)
若干の遠回りをしつつも(このあたりは追々書いていきたいと思います)
現在はキャリア教育をミッションにしているNPO法人でインターン中。

しかし、この原体験と違和感は
高校2年生から変わらず持ち続けていつつも、
結局自分が突き動かされるもの、
自分が「じぶんごと」として感じるもの、は言語化すると何であるのか
はっきりと見えないでいます。

4月から社会人になり、また少し教育の世界から離れたときに
この問いかけを忘れずにいるために、
このブログを書いていけたらと思っています。

どうぞよろしくお願いします!